今年最後の東京日帰り
富士山は雲の中
東京に近づくと日も差して来ました
実家のある杉並区の街路樹もすっかりと葉を落として冬の装い
通っていた小学校の向かえにある神明社、地元の人は天祖神社。東京にある伊勢神宮唯一の分社。
既に初詣を。
東京の人は里帰りするので正月には不在の人が多いのか、正月前の初詣のお誘いのポスターも。
初詣用の授産品も販売中
交通安全祈願を購入
名古屋の熱田神宮、妙高市の関山神社、の交通安全ステッカーに加えて三カ所目。
通っていた創立147年の小学校
通っていた創立147年の小学校
小学校前の屋敷森も近くの病院移転のために多くの木々が伐採。
昔の鬱そうとした森の面影は既に思いでの中に。
いつもの喫茶店でモーニング
父の墓参りのために神奈川県登戸へ。
年末のご挨拶も
住職の息子さんが新年の正月飾りを
名古屋へ戻る途中に海老名にあるロマンスカーミュージアムへ
子供の時に小田急線沿線に住んでいた亡き祖母の家に行くとき、よく見ていたロマンスカー。
独特のミュージックホーンは子供時には憧れでした。
戦時中の戦闘機の設計技術者達が関わった初代ロマンスカー。流体力学の技術の美しい流線型は時代を経ても色あせません。
そして当時の国鉄と協力して東海道線で当時の狭軌の世界最高速度記録を。
2代目の二階建ての車両も展望車の予約はとるのが至難の業、結局乗ることができませんでした。
また、日東紅茶の社内デリバリー、”走る喫茶店“とも言われていました。
流線型の車体ですが今みると凄く狭く感じます。
特に”目線“で見ると天井の低さを。多分、当時の日本人の体格から言えば問題なかったのかもしれません。
同じ頃にデビューした名鉄(名古屋鉄道)のパノラマカーに比べても天井は低いです。
二階建ての運転席へは名鉄は外から乗り込むのに対して小田急は中から乗り込みます。名鉄では雨の日に運転手交代の時に、下で次の運転手さんが傘を差しだしたのも懐かしいです。
速度を上げるために採用された連接台車。
速度を上げるために採用された連接台車。
このロマンスカーの線路の継ぎ目の音が、いつも聞き慣れた“ガタンガタン、ガタンガタン”の2回ではなくて、”ガタンガタン“と1回だけ。これも子供の時には新鮮なものでした。
ジオラマも
年末年始は高速道路の休日割引無いので、名古屋に着くときに深夜割引の時間、深夜零時に着くように国道で。箱根新道を使って箱根峠越え
裾野市に近づくと夕暮れの富士山
結局、バイパスのお陰で、静岡市、浜松市といった大きな都市の街中を走らないため、スムーズに名古屋へ。
結局、名古屋には22:30に。
神奈川県から寄り道をしながら実際の運転時間は8時間。バイパスのお陰でスムーズに、そしてスバルのアイサイト、クルーズコントロールで楽に
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