ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

6月に観た映画

2022-06-27 09:41:43 | 映画
映画の評価は散々。でも、実際に観ると全く異なると。普通は皆さん、評価を見て行くこともあるので勿体ないと。多分、水谷豊さん、テレビ朝日が嫌いな人達の書き込みかな。
まぁ、余りこんな評価とか、テレビでの“感動しました!”といっている連中は気にしませんが。
この映画では、中国に端を発したコロナの世界的パンデミックは、日本にも大きな打撃。経済的打撃も大きく、日本が永年内包していた課題、つまり変化を嫌い、新たなものへの拒否反応。特に地方においては顕著。この映画は、厳しい地方都市での文化へのあり方を面白おかしく描いた、コロナ時代の映画。厳しい地方経済の中で、金にもならない文化活動への補助の打ち切り。人類の歴史の中で、”文化活動“は経済的に余裕があって初めてなり立つもの。一日中、食べることに専念している人間以外の動物と人間の大きな差異。
個性的な俳優さんたち、若い人を取り囲むようなベテラン陣。そしてなんと言っても西川智実さんの凛々しさも。ただ、話している声が全く聞こえないのは大人の事情かな?
素敵な映画。
これほど注目される前から気になっていた映画。
カンヌ国際映画祭で賞を取ったので結構、お客さん、しかも高齢者の方達。
映画は、若者たちによる高齢者殺害、というショッキングな場面から。若者たちによれば、高齢者が多いから自分たちへの税金の使い方が十分ではないという”世代間対立“。
将来的、というかすぐそこに見えている“日本の将来”。間もなく、団塊の世代の人達が後期高齢者、つまり75歳に突入。東京の今施設にいる母の関係から施設の方、数人のケアマネジャーさんとお話しをする機会がありました。彼等の一番の心配は、やはりこれから大量に発生する団塊の世代の人達の問題。東京でも、今、都内、若しくは地方に施設を沢山新設しています。でも、いくら新しい施設できてもそこで働く人達がおらず、稼働できない施設、あるいは稼働率が50%などという施設が多いとのこと。現在ですらこの様な状況なのにこれからの団塊世代が後期高齢者となる状況は恐ろしい、と。
そして、今の日本という国の凋落を見ると、若者たちの経済的環境も芳しくないと。高齢者に近親者、例えば、伴侶や子供がいても、同居できる、経済的に支援できることは非常に厳しくなると。
妻子がいるから大丈夫、というのはもう、過去の事になりつつあります。となると、まだ、意識のあるうちに、自らの生き方、つまり自ら死を選ぶ、というやり方はあり得るかも、と。
確かに高齢者の人達が今の日本の繁栄を導いた事は事実であり、それに対して報いる事は理解できます。しかし、日本の状況からそれを許さないくらい若者たちは疲弊し始めています。自分達自身が生きることに大変になっています。
倍賞千恵子さん、その年齢は重ねて老いは感じられても、凜とした美しさは変わりません。
映画の最後は、”希望“とパンフレットには記載されていました。でも、本当にそうなのか?
自らの意識が無い、単なる“生物体”としての存在が本当に”人間として“どうなのか?人としての“尊厳”とは?
映画では”プラン75が好評なのでプラン65も検討中“と。
還暦をすぎた自分にとっては非常に重い映画。
半世紀前に中学校の頃、日曜日の夜にNHKのラジオ番組、“日曜名作座”で初めて触れた小説。
森繁久弥さんと加藤道子さんの迫真の朗読に引き込まれました。長岡藩というものがどこにあるかもわからず(今は新潟県によく遊びに行くので判りますが)、“武装中立”のスイスを日本に作ろうとした、その思いに惹かれました。当時の日本、戦後のいわゆる55年体制で社会党がまだ力を持っていた時代。石橋書記長の”非武装中立論“が世の中で議論されていました。よく“非武装中立論は非武装万歳論”と揶揄されていましたが、本を買って読んで、何もしないのではなく、”日本を武力攻撃することが世界にとって不利益になる、そんな国に日本をする事“と言うことで、本では“医療”をあげていました。日本に行けばどんな難病、難しい手術もできて命が助かる、そんな国。
河井継之助の”武装中立“、石橋書記長の“非武装中立論”どちらも、自ら戦争をせずに日本を護る、という思いは同じことと。
多感な子供時代、感動しました。
ただ、司馬遼太郎さんの原作では、河井継之助のスイスのような”武装中立“の必要性の熱い思いが書かれていたと思いますが、この映画では残念なことにその事は余り出ていません。せっかく、素晴らしい俳優さん達が出ているだけに勿体ないと。コロナの前に完成、コロナの影響で二年越しの公開となった映画。この二年の間には世界は大きく変わり、今、まさに日本を護るということの意味が重要視されている時代。この映画の意味は大きいと。
MX4Dを初めて体験。シーンに応じて座席は大きく揺れ、風が吹き、時には霧も。戦闘機のシーンでは臨場感あります。
前作から40年近くたっての続編。トムクルーズも還暦近く、年相応に指導者として、でも、最後には自ら。
本当に素敵に歳をとっているな、と。
そしてこの映画ほど、中国の世界における立ち位置が大きく変わったことを痛感できます。ハリウッドは中国の巨大な市場のためにチャイナマネーを受け入れ、その結果、中国に都合の悪い映画は作られない、という“暗黒時代”。
この映画も当初は、中国政府、そして軍需産業と密接なネット企業、テンセントが出資していました。その結果、かなりの歪曲された部分が。
トムクルーズが着るフライトジャケットから日本と台湾の国旗が消えて、訳の分からないものに変更されていました(完成した2019年)。しかし、米中の関係悪化からテンセントが手を引き、その結果、当初の日本と台湾の国旗が復活。映画でも最初のシーンでトムクルーズがこの”本来の“ジャケットに袖を通していいます。
当初、この映画について、中国と袂を分かったとのことでしたが、大きな興行成績をあげており、中国市場無くても良い映画は、成功すると。そのため、ハリウッドでも、中国に頼らない映画作りの機運が強くなっていると。この映画、因みに中国では上映禁止とのこと。また、別の記事では、トムクルーズが心酔している新興宗教、スピリチュアル組織を中国政府は禁止、でも台湾は許可、とのことから中国が制裁の意味で手を引いたとも。中国は他国の文化、歴史を都合良く捻じ負けようとしている中で、アメリカ本来の“自由”ガ取り戻せれば良いと。セブンイヤーズインチベットでのブラッドピット、中国を批判したリチャードギアが早く、映画界に戻って欲しいと。
そのようなこと思いながら、懐かしく。
ラストに流れるの”ANTHEM“を聞くと我々世代はゾクゾクと。
今、戦闘のおこなわれているウクライナのひまわり畑が有名な映画。何度も観ていますが今回改めて。ヘンリーマンシーニの悲哀を感じさせる曲、そしてイタリア的な戦争による悲劇の描き方。悲劇を男と女の愛情で描く見事さ。そしてラストシーン。今回の戦闘行為、色々と考えさせられます。ロシア(というかプーチン)の”大ロシア“復活の考え方は、“理解”出来ても”是認“はできないですが。
“このひまわり畑、麦畑にはロシア兵とイタリア兵が埋まっている。ナチスが埋めた”
今も同じかもしれません、80年たった今でも。
カムイと人、精神的なものと人的なものが一体となったアイヌの考え方。それがよくわかる映画。
”カムイ“とは日本語では“神”と訳されますが、本来の意味は”精神をもったもの“という意味で、人間の周りには“カムイ”が沢山。日本古来の八百万の神、に近いかもしれません。”カムイ“から与えられた動物を食し、毛皮を貰う、そしてそれを祭事で送り出す儀式“イオマンテ”。
この”チロンヌプイカムイ“とは“キタキツネ”。
1986年の録画を現代に画像処理をして再生。
イオマンテ、自体は、熊が有名ですが、これも含めて現代ではおこなわれていません。”動物保護““可哀想”という”西洋思想“に基づく批判からと思います。“人と自然”は”相対する“もので“自然は克服、征服する対象”という発想に基づき、それへの反省、贖罪から生まれた考え方。アイヌの考え方、ひょっとしたら日本古来の考え方の対極にあるもの。
現代社会があちらこちらで行き詰まっている中で、アイヌの考え方はもう一度見直されるべきと。アイヌの人達を利用した金儲け、ウポポイのやうなやり方ではなく。









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