この曲が作られてからもう30年近く経つことに驚いている。
野島伸司脚本のドラマに使われていたことを覚えている。良くぞこんな地味な曲を引っ張り出したものだと感心した。今や数多い歌い手にカヴァーされて祝の宴席などでも歌われるスタンダードナンバーとなっている。
中島みゆきとの出会いはヤマハ音楽祭のグランプリ受賞だった。ファーストアルバム「私の声が聞こえますか」から「予感」までのLPレコードはリリースされる毎に買い揃えた。わたくしの中学高校大学時代は彼女の詩の世界に影響を受けているのは間違いない。社会人になってから歌を聴く余裕がなくなったこともあるし、内省的な世界観から外に向けた強い意志が歌われるようになり徐々に興味を失ってしまった。フォークからロック色の強いサウンドへの移行も素朴だった初期の頃を愛する者としては受け入れ難かった。
「化粧」や「髪」のように女性独自の情念を歌う中島みゆきと、人が出逢うことの幸せや劇中カラオケで歌われる応援歌「ファイト」の中島みゆき、どちらが本当の彼女なんだろう。深夜ラジオのオールナイトニッポンでケラケラ笑いながらしゃべる彼女に戸惑ったように、二面性を見るようだ。
これまた前置きが長くなった。
今までも名曲の世界にインスパイアされて制作された映画は沢山ある。けれど、鑑賞した中で良く出来たと思うような作品を未だ知らない。小説や漫画を脚色して面白いものにすることはできても、詩や短歌をドラマに作り変えるのは相当難しいんだろう。無駄を削ぎ飾りを排除した究極が詩歌であるとするなら、映画やドラマはそこに色を塗りつけていかねばならない。考え方も作業も真逆だもの、そう上手くはいかないだろう。
「糸」で歌われている出逢うことの不思議と必然。縦と横の糸が織りなすことで生まれる新しい希望。劇中で描かれていないわけじゃないけど、どちらかと言えば、冷たい水の中を震えながらのぼっていけ!と力強く応援する「ファイト」に近かったように感じた。
平成の30年間とシンクロさせようとしているけど描き方にインパクトがなく、別に時代が平成じゃなくともいいよねと思ってしまう。
北海道、東京、沖縄、シンガポール・・・。北海道のお話でいいんじゃないだろうか。特に沖縄要らね〜。
要するに欲張りすぎ。企画の段階で色々なアイデアが出てきてプロデューサーが取捨選択できないまま脚本化してしまったんだろうね。瀬々監督は「ヘブンズストーリー」のような作家性の濃い映画を撮ると凄い作品にするけど、基本的には職人監督だから器用に卒なく仕上げちゃった感じがする。
この作品で観るべきは二つ。
榮倉奈々のやせ細り死相浮かぶ病床で娘に託す祈りにも似た願い。「余命1ヶ月の花嫁」とダブって、涙なしでは観られなかった。
そして愁眉は、小松菜奈がシンガポールで共同経営者に裏切られ、日本食堂で不味そうなカツ丼を泣きながら食べるシーン。「万引き家族」の安藤サクラの泣き演技に匹敵する良い泣きだった。
中学生の頃花火大会で出会った二人が、時間をかけてしっかり結ばれたラストには異存ない。榮倉奈々の娘も、泣いている人に優しくハグする少女に育ってくれて、オジサンも嬉しい。
気が付くと、二人の(なな)の映画だった。