この書の空気は、窒素80%、酸素20%の空気ではなく、「空気を読む」の場の空気のことです。
場の空気により、絶対に間違っているような決断を反対意見なしで決定されることがあると主張されています。
戦艦大和の沖縄出撃、イタイイタイ病事件、自動車公害に関する世論等をその例としてあげています(古い本なので事例が古い)。
決定に関わった人は、振り返って、おかしいと解っていても、当時の空気ではそう言わざるを得なかったと言うのです。
個人的に優秀な人材が集まり、当時としては正確で豊富なデータが揃っていても、ある空気が醸成されると、誤っていると解っている決定がなされることが多々あると言うのです。
その力が場の空気です。
少し前にKY(空気が読めない人)と言う言葉がはやりましたが、これは「水を差す人」のことです。
つまり、本当のことを言っちゃう人ですね。
水が差されると空気が霧散してしまうこともあります。
自由な討論というのは、「水を差す」自由があるものだと考えます。
この水を差す行為は、かなりの実力がないと、いじめ、仲間はずれ、たたきの原因になるので、少々危険な行為なのです。
論理が言葉だけに頼っているため、ぼやっとした印象は拭えません(文系評論家の悪い面)が、読んで損はないかなと思います。
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