ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

作業所研修

2011年01月31日 19時01分38秒 | 生活教育
午前中、事務で予算の件で協議。その後、企画や総括などについて、話をする。
11時40分に解放。
卒業生と食事を取りながら、ケアホームの話を聞く。
「やるぞ!」とのりきみが取れることが大事とのこと。生活の流れなのだから…。
そうやな…とおもう。生活なのだから…。

大学から宇治東福祉会の職員研修にいく。場所と時間に悩む。
黄檗の駅の手前を山にあがると、事業所が…。昔の宇治作業所と比べると格段の違い。
障害者権利条約の話を3時から5時までする。

宇治東福祉会ではいろいろな事業をやっているという。児童ディもやっているし、ショートステイなどもやっている。すこしみせてもらった。
昔の知り合いもいっているとのこと…。

黄檗ホームという、市営住宅の中に設けられたケアホームにもいかせていただいた。
そこで、「てっちゃん糞戦記」の主人公T君がいて(と思って)、びっくり。ビデオのリモコンなどを沢山操作して、楽しんでいた。もしかして、「向日が丘のY先生知っている」ときくと、足をピットあげて、「はい」という。昨日、寄宿舎のプロジェクトでY先生にはお世話になったところ。奇遇やなぁ…と思う。「うんこがでにくいんやな」というと、また、足をピットあげて反応。メールして元気にしてるよといっとくよというと、喜んでいた。
そのほか、向日が丘の卒業生で、地域生活を切り開いたという人の部屋にもいった。

こういった、ホームやレスパイトも意外とと小回りがきいていいのかもと思ったりしました。地域生活の内容をもう少し、障害のある人の生活を豊かにしていく方向でいろいろ考えてみたい。

家に帰って、さっそくY先生にメールを書いた。返事が来た。「そのてっちゃんとはちがいます」とのこと…。はやとちりやな…。

そのほか、かぜがはやっている。すこし寒気がしているのも気にかかる。明日は「人間ドッグ」…。

生活教育メモ

2011年01月30日 22時42分56秒 | 生活教育
 寄宿舎教育研究会のプロジェクト会議(11時半からであるが、おくれて参集、4時頃まで)。この中で、京都教育センター編『風雨強けれど光り輝く-検証!京都の民主教育1978-2010』(つむぎ出版、2010年)が紹介された。第7章が障害児教育となっていて、桃山養護学校まで寄宿舎のある学校となっているなど、ご都合主義の記述があって、それだけでもこの本の価値が落ちてしまうと感じる。そうならないようにしたい。
 その後、Oさんとの待ち合わせが6時半だったので、5時頃まで皆さんにお付き合い願う。
 Oさんとあって、うえだくん・べっきくんの場合の未編集版をわたされる。2月、しばらく、あざみ・もみじ寮へいくとのこと。音声から声、そして言葉へという発達と直立二足歩行の発達連関をどう捉えるかなど、いろいろ考える。

※プロジェクトでの寄宿舎教育入門の構想を持ち寄り検討-「生活教育として捉える意味」の章のためのメモ。この中の教育学の部分は書くことはないだろう。
もういちど、「障害児の生活教育」にもどって、このことばを確かめないといけない。

生活教育をめぐって(メモ)
Ⅰ.「生活教育」の諸相
 1.生活と教育-ペスタロッチ・デューイから
 2.戦前における「生活教育論争-生活綴り方と生産教育(留岡清男)
 3.戦後における「生活教育」の展開の相克
  ・戦後民主教育の試みの中で
   社会科、綴り方、生活指導などなど
  ・カリキュラム論としての発展(日本生活教育連盟)
  ・生活指導と教科指導の2領域論
   →生活指導論として理論化(集団づくり、自治と自立)
  ・文部行政における「生活指導」の否定と能力主義的教育の徹底
   -管理主義的生徒指導論やカウンセリング(非行対策、不登校対策などなど)
   -「生活科」
   -「生きる力」
 4.障害児教育における「生活教育」
  ・施設教育の中での生活即教育の思想(糸賀一雄など)
  ・適応主義的教育論の中で
   →「生活単元学習」「作業学習」から「生活中心教育」へ(小出進など)
  ・権利の総合保障の一環として「障害・発達・生活実態を考慮して…」
   →「発達保障」論-田中昌人の発達論と「生活の教育的組織化」
  ・「生活の質」(QOL)

Ⅱ.子ども・生活・学校
 結局この問題の複雑さは…
 1.生活
 ・「生活」をどうつかむか?「生活」というだけで茫漠としてしまうこと、「生活」の急激な変容、「生活科学」の未成熟-社会科学の問題
 ・「家庭」「家族」、生命の再生産の場としての「地域」の衰退-岡田知弘「地域づくりの経済学入門」(おもしろくないが…)
 2.生活と学習、生活と労働
 ・教育学における「生活と教育の結合」論
 ・子ども論-子どもをどう捉え、そしてどう受けとめ、支えていくのか、そして生活 主体者として力をつけていくか
 ・学校教育という文脈で言うと「教授学校」か「生活学校」かという学校論の構築に関わる問題
 ・教育における今日的な生活の問題-貧困の問題など(あらためて「生活と教育の結合」の提起を

 3.障害のある子どもの生活の質-障害のある子ども達の「あたりまえの生活」を支える
 ・「あたりまえの生活」
 ・障害児教育の中での固有の課題(障害、生きづらさなどなど)
 ・障害児学校論の貧困

Ⅲ.寄宿舎としてこの問題をどのように引き取るか
 1.歴史的な展開
 2.寄宿舎教育における「生活教育」「生活実践」
  ・寄宿舎教育
  ・生活指導
  ・生活教育-子ども達の生活史と生活の質と価値を問う立場(か?)
 3.生活実践と生活教育-実践の展開とその価値
  研究の方法論:
   ケース研究/エピソードを大切にすること/質的研究としての実践研究
 4.実践の内への深まりと外への展開-実践論の構築を→現状分析と運動論へとつなぐ

Ⅳ.現状分析と政策-障害児の未来をひらく運動論

グループホーム・ケアホーム

2011年01月18日 21時37分11秒 | 生活教育
 学生さんの卒論をみせてもらったり、印刷やテレシネの関係で会計に行ったりした。
 その後、事業所へ。グループホーム・ケアホームの世話人の研修会の講師を、やむを得ずすることになった。そのうち合わせだった。なかなか、グループホーム・ケアホームが広がらないということだった。「すまい」「くらし」の場の確保は、本当に大事だが、それをつくっていくためにも「世話人」の確保と障害の理解の向上が大切だとのこと。
 寄宿舎教育との関係で、常々、「世話及び生活指導」の「世話」の部分を改めて考えてみる必要があると考えている。暮らしを下支えすること(衣食住)、生活の介助や支援、楽しい活動の組織化、そしておしゃべりで「世間の話」をしたり、世間との交流を創っていったりと…。それにしては、寄宿舎、寮、グループホーム、ケアホームなどでのその役割を果たす人たちの置かれた地位は、とてもそんな状況ではないようだ。
 事業所の理事長に、そこの運営するグループホームにつれていってもらった。一つは、男性が5人で住んでいる民家、もう一つはもと短大の寮だったところで、女性が7人で住んでいるところ。夕方だったので、夕食をつくってくれているパートさんがいて、世話人さんも1名いた。男性のグループホームでは、一人が発作をおこしたといっていたが、一人ひとり個室でテレビを見たり、ゲームをしたりしていた。お風呂に入っている人もいた。昔の姿を知っている女の子もいたりした。

そういえば思い出したのが、日本経済新聞(1月16日付)の共同住宅の記事。
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共同住宅 自ら築く
市民やNPO、望みの形で

障害者もいる家族のマンション
近所付き合いが盛ん

健常者が、障害者や、高齢者と一緒に住むマンションを作り、近所付き合いの延長で助け合うという3事例を紹介。

1.ぱれっとの家 いこっと
これは恵比寿駅近くにある、外見は普通の民家。
ここに、公募で集まった、知的障害がある4名、健常者3名が暮らす。
NPO法人が中心になり、計画、運営。家賃は7万円程度。
NPOだけでなく、理解のある会社や、助成金、寄付金などで建設した

2.みんなの家
横浜市都筑区のマンション。
これは障害者を家族に持つ主婦の将来の不安が、きっかけとなり、
同じような思いを持つ家族の輪ができ、ボランティアなども参加、
「みんなの家をつくる会」が発足したという。
NPO法人を作り、資金調達をして建設したという。

3.シャロームつきみ野
高齢者向け賃貸タイプ

自立した高齢者の入居者同士の支えあいを重視した賃貸。
運営は、NPO法人シニアネットワークさがみ。
同法人の理事長の思案から、始まった計画らしい。
しかしこれも資金調達が難しく、結局、入居を希望していた家族と
付き合いのあった、農協からの融資で実現にこぎつけた。


たくさんの「あきらめ」…

2011年01月15日 22時45分27秒 | 生活教育
北海道からの帰りの際のアクシデントの疲れが引かない。飛行機の中で読んだのが、北海道寄宿舎研究会の研究集会で講演をしてくれた日置さんの本、日置真世『日置真世のおいしい地域づくりのためのレシピ50』(全国コミュニティライフサポートセンター、2009年)は、できちゃった事業-「入り口は軽いノリ・結果は大仕事」のことを書いている。

この本では、いろいろ考えさせられることが多いが、その前提として、たくさんのあきらめ(当たり前でない暮らしで折り合いをつけている家族や当事者たちのたくさんのあきらめ)を受け止めることからはじめることがあると感じた。

僕らは多くのあきらめを強いてきた、強いている。時として、それを「ぶれない」「一貫性がある」「筋が通っている」などといって、賛美したりする。そんな現実に対して、常々、違和感を持ってきたことも事実だ。規則だとか、ルールだといったところで、結局は、たとえば教師にとって都合のいいいいわけのことが多いのだ。

それに関連した部分を摘記しておこう。

「無理をしてでも、必要とされることをリアルタイムで実現することは、みんなの意識を何よりも変えているということがわかっていたからです。これまで、弱い立場にいる人たちは「障がいがあるから仕方がない」「障がい児を育てているのだから仕方ない」「こんな自分だから悪いのだ」「誰に何を言っても無駄だ」とたくさんの我慢やあきらめをしてきました。言い換えると、あきらめや我慢がもはや当たり前の状態になっているのです。しかし、「こんなものがほしい」「こんなことで困っている」「自分らしく生きたい」と表現すること、解決の道が開ける、自分の声が社会を変える原動力jに成る、我慢する必要はない、自分が目指す自分らしい制かgつを語っていいのだ、夢を抱いてもいいのだという気持ちになってきたのです。(中略)これまでいろんな意味でチャンスの無かった人たちが「使おう」「相談してみよう」という気持ちをせっかくもったのに、「いっぱいです。使えません」とはどうしてmこ言えなかったのです。だって、また「やっぱりね」って、それまでよりももっと強くあきらめてしまうからです。
…だからこそ、中途半端になることは承知しつつも走り続けていたのです。(p.224-225)。

「一人の力は小さくても、たくさんの人が力を出し合うことでおもしろいことができる」ことを実感を持って知ることが大事。
何をやりたいのか(実施主体の動機)よりも、何が地域に求まられているのか(必要性)と自分たちができることは何か(独自性)がもっとも大事。大事なのはなによりも「必要性」
「どんなことがあっても、みんなが必要としていることをしている限りは誰かがたすけてくれる。なんとかなるんだ」という経験。

障害の当事者でなくてもl、みんな地域の「生活の当事者」であるということ

北海道寄宿舎研究会

2011年01月11日 20時44分03秒 | 生活教育
北海道寄宿舎教育研究会の研究集会に話しに来ている(「子どもの権利と生活教育実践の課題-インクルージョンと特別学校」)。

歴史を縦糸に、国際的な広がりを横糸に、その交点で生活実践を深めるということにしたいと思った。
資料は、レジュメを出していたので、それでと思ったが、急遽、その場で、画像や映像も含めて示したいと思ったので、パワーポイントをつくった。
結局、2時間。そんなに続かないと思ったが、話をしてしまい、それでも時間が足りなかった。
北大、学術会館。100人くらいの参加(下支えは数人の人でよくもここまでがんばっているなぁ)。
「夜明け前の子どもたち」見たことのある人は数人。広報「人」の映像もみせて、就学猶予免除の姿も見せた。
北海道の高等養護学校の寄宿舎の実情はたいへんらしい。それだけ、要望が強いと言うこともあるようだ、しかし、北海道の養護学校の配置の問題もある。高等部増設運動をやっていた先生にもあった。もう退職をしているようだが、しかし、資料は沢山あるということだった。そんな資料も大切である。

寄宿舎教育研究会のホームページ

2011年01月09日 22時18分54秒 | 生活教育
午前中、大学に行って、昨日忘れていたメールをする。修論の検討は、まだできていないということで延期となり、時間ができたので、亡くなった三好さんがつくってくれた、ホームページのファイルを暫定的に大学のサーバーを利用してアップした。第25回の生活教育全国研究集会(沖縄)でとまっていたもので、三好さんが亡くなる前に、ファイルをCDにやいてくれたもの。
まずは、当面、そのままにして見ていただき、全体としてやりかえて利用できるようにしたいと思っています。


『障害児の生活教育研究』などは、資料的価値のあるものである。今後やりかえて、『とまりあけ』などのバックナンバーなども掲載できるようにしていきたい。

午後1時からキャンパスプラザで、寄宿舎関係の事例の検討会。北九州市立大学のK先生や京都府のスクールソーシャルワーカーのM先生の参加もあり、ケースの検討がなされたが、全体として学部の先生方は子どもの何をみているのだとうかと疑問に思うことが多くあった。教室に来ている間だけみている状況…?担任、福祉、寄宿舎などのもっている情報が、「個人情報」という名の下に、それぞれのところでとめられていて対応ができていないのか。人権の名による、人権侵害や放置がなされている。「この子達が生きた」という証が消されていく。それを記憶と記録に残すのは、実践を担うものの役割ではないかと言わざるを得ない。学校に子どもの発達や家族の再生のトリックスターがいなくなっている。「大きなお世話」が大事では・・・。

帰るとお年玉が待っていた。ありがとうございました。京都にあった汐文社の出版物にふれ、汐文社の今田さんといろいろ話をしたことを思い出した。現在は、文理閣がその伝統を受け継いでいる。


間宮正幸「発達障害のある若者の教育と自立支援-共同のなかでの自己形成」

2010年12月01日 00時09分46秒 | 生活教育
教育2010年12月号
特集1 「生きづらい若者たちを支える」
間宮正幸「発達障害のある若者の教育と自立支援-共同のなかでの自己形成」

中途半端な論考…

以下抜き書き--------------------------
喫緊の課題であるわが国の若者の自立を実際に検討するという場合、発達障害のある人々の困難を省いて論ずることは到底できないことがあきらかになってきた。
これには、わが国では引きこもり者の存在をまったくもって無視できないという現実がかかわっており、わが国独自の課題であると一面がある。

精神保健相精神保健福祉の領域では、ひきこもりと青年期・成人期の発達障害に関する議論が急速に高まりつつある。職業リハビリテーション分野でも、発達障害がある場合の就労支援研究が急増している。

だが、引きこもりは容易に接近しがたく、また現実の雇用情勢は依然著しく厳しい。
本稿で、検討しようとしているものはは、主として「手帳」を持たずに「学校から仕事へ」という移行過程の困難を抱える人々の問題である。軽度発達障害を持つ人たちの生活現実と言い換えてもよい。しかも、未受信・未告知のままに成人になった場合が急浮上してきた。これらの人々には、十分な思春期青年期の教育、すなわち、共同の中での自己の形成ということが望まれるところなのだが、現実はどうだろうか。

通常これらの人々の中期高等教育移行の実態を知ることは難しい。まして、卒業の生活と労働の姿を伺うのは容易なことではない。あるいは彼らが地域でどのように暮らしているか、その情報はもどかしいほど手に入らない。

ひきこもりと再定義の中で、広汎性発達障害が非常に大きな位置を占めることが明らかになった。

引きづらさとは、「社会の矛盾を個人で引き受けなければならないと思いこまされているしんどさ」と乾彰夫はいう。
まさにこれらの若者たちは、自分という存在がどういうものであるのかが理解できないまま、社会的の矛盾を個人で引き受けていたというほかにない。ひたすら「自立」の圧力に答えようと押しつぶされていた。
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発達障害のある若者の問題が指摘されているが、そのリアルな認識は示されておらず、課題提起にとどまっているのが残念。

無縁社会としての「地域」社会-インクルージョンの前提を考える

2010年11月30日 00時05分59秒 | 生活教育
土曜日午前・午後と特別支援教育の公開講座があった。
いろんな人が講演し、シンポジュームなどもあった。

その中で、田中康夫さん(北海道大学)のさりげない発言が気になった。
「特別支援教育が進んでいる中で、息苦しさがましている」「児童養護施設、自立支援施設の子どもの現状に接する中、この国の在り様は…と思うことがある」

障害のある子ども・青年の貧困と排除-生きづらさの今をどう考えるか?
「生命の再生産の場としての地域」つまりは「生活の場」をどう考えるかが問われているとも思う。行方不明の高齢者の問題を通して鋭く照射された「無縁社会としての「地域」社会」は、障害や息苦しさをかかえる人のインクルージョンの前提を再考することを要請しているのではないか…。地域・生活の問題は、国連においてそれぞれの権利条約として検討されているが、それに照らして日本社会の問題を考える必要がある。

岡田知弘(京都大学)
「現代日本の地域再生を考える-新自由主義が新しい福祉国家か」
岡田知弘氏は地域について、本源的に社会的動物としての人間の生活領域であり、地域において、自然経済、政治、文化のあらゆるカテゴリーが一体化して存在し、このような住民の生活領域としての地域があってはじめて国、地球が存在すると、概念規定を明確にしたうえで、多国籍企業主導のグローバル化や自由主義的構造改革政策による地域社会の衰退の現状、そして地域再生とその主体形成の意義について詳細な資料をつけて講演している。

上坪陽「一人ぼっちの高齢者をなくすために」『人権と問題』(2010年12月)
国連高齢者権利条約づくり
 国連は1941年210月1日を国際高齢者の日とし、1991年には高齢者のための国連原則を採択しています。この原則は、独立・参加・ケア・自己実現・尊厳の5章を通して、どのような状態にあっても、状況にあっても、高齢者の人権が守られるべきであると社会に呼びかけています。
1999年には、「すべての年齢の人達のために」という合言葉を掲げて、国際高齢者年が実施されました。「高齢化は長年にわたる人類の努力の成果」とか、「高齢者が直面する問題は社会で解決する問題」とか、「高齢者は過去と未来をつなぐ架け橋」など問題提起が続きました。
 2002年の国連高齢化問題第2回世界会議は、高齢化に対応する社会行動計画が採択され、政治宣言が各団体代表で調印されました。
 2010年5月、日本高齢者NGO会議が、高齢者権利条約策定の要請を事務総長あてに提出しました。これに対して、国連総会に12月、高齢者権利条約案を提出したいとの回答がありました。
 私たちとしては、貧困差別格差がはびこる現状を打開して日本政府を高齢者権利条約づくりに参加させる取り組みを強めたいと考えています

子どもの貧困と教師

2010年11月21日 12時59分20秒 | 生活教育
子どもの貧困について、2~3年前から、議論が高まってきている。
貧困は、以前の貧困とは変わったのか? 考えてみる必要がある。

奈良の教師(もう退職してずいぶんになるが)の本が資料室にあったので手に取った。
浜田博生『新しい小学校の同和教育』(問題研究所、1986年)
1950年代半ばの教師になりたての頃の経験が記されている。

 東井さんの『村を育てる学力』、小西さんの『学級革命』などに学び、学級経営に腐心していたときのことです。
 心を開いてくれないK君のことを校長に相談してみました。
「家へいったか」「はい」「もう一回いってみー」それだけでした。翌朝、
「お父さん、朝鮮人やったやろ。嫁はんの仕事きまっとったか。Kはよく仕事する子や、書かしてみー」
 しかし、Kは書かないのです。三日後の朝、校長室に呼ばれました。Kが校長のむこうで小さくなっています。
「K、言うてみー。自分の口でちゃんと言うてみー」
 Kは泣きじゃくりつつ、
「先生、文集にのせんといてや。校長先生に約束してもろてん。な^、先生」
 私はそっと綴り方をよみました。五枚。朝鮮人を父にもつなやみ、酒乱のなやみ、兄弟げんか、母も差別うけていること、宿題できない、わからない、守もしなければ、内職も-などなどがしっかり書かれています。その後、何度Kの家を訪ねたでしょう。時には父の酒をたしなめ、母の内職を手伝いもしつつ、Kと宿題もしました。Kは、明るく、活発になっていきました。
 卒業式の日、校長はKの手を握りつつ、「あの綴り方はな、Kが一生背負うもんや、文集にはならんだけどな」と私にも聞こえるように励ましていました。

1950年代の後半の校長と新米教師のやりとりの中で、子どもが心を開いていく…その背景の家族や生活。

この本の第二章は、「今の子どもたちと新しい同和教育」で、その一が、「今。親。子どものくらしをたてなおす」というテーマとなっている。

その中に、「「くずれ」-それは危機と言わねばならぬ深刻さで、子どもに広がり、子どもを蝕んでいます」とあり、1980年代の半ばまでの様相を記している。高度成長の終焉でもあったのだろうが、しかし、1950年代の半ばの貧困とは異なってたともいえる。その中での「くずれ」のあらわれ…。

1970年代後半に、僕たちがみた子どもの姿を確認してみたい。

遊象さんの「キノコ」談-追悼・三好作次さん

2010年11月13日 18時02分41秒 | 生活教育
 三好さんは、「遊象」というハンドルネームで、ブログで発信するなどインターネット上で活躍してきた。そんな活動を基に、寄宿舎教育のメーリングリストを運営し、寄宿舎教育のホームページをつくって、みんなを励ましてくれた。アナログな寄宿舎の先生方の中で、みんなを巻き込みながら情報の共有や議論の場をそれとなく創り、下支えしてくれた。
 そんな三好さんに励まされて、2006年11月から僕もブログを始めた。第25回の「障害児の生活教育全国研究集会in沖縄」の際に、話題となった「ちゃ~すが」という沖縄の方言の響きと意味が気に入って、ブログには「ちゃ~すが・タマ」(「どうなる・どうする」という意味)と名づけた。三好さんは密かに開設したブログにいち早く「開設おめでとう」のコメントを寄せて、寄宿舎研のホームページからリンクをはってくれた。遊象さんの優しいまなざしは、時に短いコメントとして寄せられてきた。「キノコ」談もその中の一つである。
 1回生の担当となった時、「トイレでシイタケを栽培する学生さん」と題して次のような記事をブログに書いた。
「昨日の新歓コンパは衝撃であった。新歓コンパで、自炊の話になった時のことだ。
 その中で、シイタケをトイレで栽培、収穫し、料理に使っているという男子1回生がいた。
 シイタケの生えてくる元を「元気君」とも名付けて、かわいがっている。ちょっと顔を出したシイタケも、2日もすればりっぱになるという。その元気の元となっているから「元気君」だ。
 トイレで栽培するのは、薄暗いこと、適当な湿度があることがシイタケに必須だからだという。トイレの、水が出る上に、棚をつくって、元気君をおいている。元気君に音楽を聞かせると、シイタケも立派になるという。その音楽はレゲエがよいそうだ。
 おまけに、トイレの写真、大きくなったシイタケの写真、そして料理に使われるところの写真などをとって、ミクシイの自分のホームページで限定公開しているということだ。今後は、そのレシピも公開してほしい。
 この学生さんには、頭や耳からキノコが生えないか今後も注目だ。」

 遊象さんもこの学生のことを気に入ったらしく、次のようなコメントを寄せてくれた。
「こんばんは。いつも楽しく読んでます。
 椎茸は寄宿舎では裏山で栽培してます。何時だったか、そう創立15周年の頃、共同作業所づくりの資金カンパを兼ねて、椎茸の原木と菌をセットで購入し、自家栽培にチャレンジした。…いやせざるを得なかった事を思い出しました。トイレは考えませんでしたが、風呂場でやりました。音楽は私のまずい歌を聴きながら育った椎茸。結構のもんでしたよ。」
 そう、遊象さんは、風呂場でシイタケを栽培していた経験があることを告白してくれたのだった。学生さん達の中で、時々、トイレでキノコを育てるようなかわった学生さんも時にはいるが、そんな学生さんはなかなか見られなくなった。学校現場の中にも、遊び心が少なくなっているが、遊象さんは、その名の通り、遊び心をいっぱい詰めた大きな身体で、やさしくみんなを見つめてくれる人だった。

 2007年頃から春の寄宿舎教育研究会の運営委員会の際には、与謝の海養護学校の資料整理をしたいと三好さんにお願いして、道筋をつけてもらってきた。日程がとれずに、バタバタしているうちに、時は過ぎていった。2009年の夏には、環境が整ったとの連絡をいただいたが、突然の学長選挙などがあり実現できないままとなった。その夏、三好さんは検査入院され、続いて闘病生活となった。与謝の海養護学校の歴史と実践、寄宿舎教育の課題と将来展望など、話を聞きたいことやいっしょに整理したいことはたくさんあった。そんな仕事をいっしょにできなかったことが残念でならない。また、後回しにしてそれができなかった自分のふがいなさを思わざるを得ない。
 三好さんの遊び心と優しいまなざしを想いつつ、三好さんのこれまでの活動への感謝とともに、残してくれた生活教育の課題を心に刻みたい。


坂の上のたんぽぽ

2010年03月07日 23時13分46秒 | 生活教育
寄宿舎研の春合宿が終わった。いろいろと考えさせられることが多かった。

家に帰って、佐々木稔編『坂の上のたんぽぽ』(かもがわ出版、1989年)をじっと見る。
1988年の与謝の海養護学校創立20周年に、この本は編集されたものである(1969年仮開校で、1970年に開校だったのではないか?)。この年に、ぼくはいまの職場に着任したのだった。
それから、また、20年すでに経過している。その歴史を想う。その中での物語を語ってもらわなければと思う。

「希望」の年を

2009年12月31日 23時59分41秒 | 生活教育
歌には、言葉を越えるものがある。それはなんなんだろう…。それは、歌う人と聴く人の共感という感情のつながりあいということなのかもしれない。

そんな歌の中には「希望」を歌うものが多い。「希望」は、希な望みなのであろうか?

類語を調べてみる。

生存・危険回避などの希望
願い ・ 望み ・ 期待(感) ・ 思惑 ・ 成算(のもてる) ・ (闇の中の)光明 ・ (助かる)見込み ・ 一条の光 ・ 出口(が見える) ・ 未来への息吹 ・ (まだ)脈(はある) ・ 楽観できる ・ 夜明け(は近い) ・ 光(の書) ・ (
~が)頼みの綱 ・ (~に)曙光(を見る) ・ (まだ)幻滅していない

将来像・将来の自分などにかかわる希望
大望 ・ 理想 ・ 念願 ・ 願望 ・ 希求 ・ 大志(を抱く) ・ (わたしの)夢 ・ 志望(校) ・ 青雲の志 ・ 野望 ・ 目標(がなくては生きられない) ・ 将来性のある ・ 有望な ・ 展望(を開く)

書き初めに「希望の年」というのが定番である。新しい年は、希望を、みんなで語り合いながら、共有しあえる年にしていきましょう。

「希望」(高谷清)

2009年12月29日 23時01分56秒 | 生活教育
「特定非営利活動法人(NPO)きらら」の機関誌に高谷清先生が書かれた「希望」についてのエッセイがおくられてきた。「生活教育における希望」ということを考えてみる。

言葉にみる人間のこころ ②
希望
                             谷 清

 びわこ学園に在園しているほとんどの人は身体的に「ねたきり」の状態で、「理解力」も障害をうけている「重症心身障害」といわれる状態にある。しかし人数はごく少ないが、言葉で会話できる人もいる。先日、自分で動けない40代の車椅子の彼を押して散歩した。彼は知的障害も伴っているが、日常のことは理解できるしゆっくりとしゃべることができる。発音は聞きとりにくいが、慣れているので大体はわかる。車椅子を押していると、「じぶんのあしであるきたい」と訴えるように言った。
 一瞬、会話が途切れた。彼の「障害」を考えるとどうしても歩くことができない。私は「そうか、それはそうだね、歩きたいね」というのが精一杯であった。このような会話は他にもある、言葉がほとんど出ない人が「歌手になりたい」と声を絞りだす。まったく動けず「ねたきり」の状態の人が「結婚したい」と打ち明ける。
 語っているのは「希望」である。それらの希望はかなえることは、ほぼ無理である。では、どうしたらよいのだろうか。「希望」は未来に関することであり、「ねがいのぞむこと」である。「希」一字は「少ない、まれ」の意があり、「望」は「遠くを見る」意味である。「まれなことを未来に見ている」のである。
 しかし実現を「望んでいる」のは現在である。未来を望むことが、現在にあるというのが大事なのではないだろうか。その「望み」が実現するかどうかでなく、「希(まれ)」であり、実現できなくても、そのような「望」をもっているということ、そのことを話す人がいること、共感があること、そのことが「現在」を充実させるのではないかと思うのである。実現も大事であるが、その「希望」を語り、共感しあえるということが、今を生きる「希望」なのではないだろうかと、考えながら車椅子を押していた。(理事長)

生活教育全国研究集会・基調

2009年11月06日 17時40分04秒 | 生活教育
 寄宿舎教育研究会の「とまりあけ」にお礼と基調報告の概要を書きました。


 第28回障害児の生活教育全国研究集会に、各地よりご参加くださりありがとうございました。今回の集計は、100名を越える参加がありました。特に若い方の参加やこれまで地道に活動し新しく採用された方を迎えての参加があり、寄宿舎教育研究会活動への励ましとなりました。
 「貧困と格差を乗り越える『希望』を科学する-教育権・生活権保障の第2段階」と題された基調報告は、全国的に寄宿舎が抱える様々な課題や困難を踏まえつつ、「子どもの貧困」という角度から寄宿舎とそこでの生活教育の意義、「希望」という角度から子どもの発達とそれを保障する私たちの仕事と実践の意味を問うことで一貫するものでした。30周年を迎えるにあたって、率直に、今日における、寄宿舎の統廃合、研究会の活動の担い手、研究活動のあり方などが問われているとして、研究会の曲がり角を指摘しています。生活教育の研究課題を、今回の集会をステップにして、春合宿、さらには来年の全国集会へと継続して議論していくことを強調しています。
 基調報告では、障害児の施設や寄宿舎の実践の歴史を振り返り、「ガリバーのオシッコ」の逸話などこれまで語られてきた子どもと私たちの姿を通して、特に、私たちの日々の実践の中で、子どもと向き合うことはきれい事ではすまないこと、しかし、子どもとともにあることの意味が人生の糧となることを強調し、生活実践の「希望」の方向を示そうとしたものでした。
 戦後史の中で、政権がかわり時代が変わろうとしています。しかし、今日の社会の危機的な状況は変わっているわけではありません。「希望」は誰かが示してくれるものではなく、価値ある生活をつくっていく、子どもたちと私たち自身の営みの中にあるのではないでしょうか。基調報告のレジュメの行間にはそのような思いが込められていると思います。