寄宿舎での実践と研究の課題を意識的に考え合っていきましょう!
寄宿舎教育研究会とのつきあいが、どのようなきっかけで始まったのか記憶にない。たしか、15周年の企画でしょうもない話をして、20周年頃から本格的なおつきあいがはじまったと思う。それも、おつきあい程度という感覚でズルズルと来てしまった。2005年頃だったと思うが代表という話があったときには、全障研大会の準備委員長の大役があって到底できないということで、「それが終わったら考えます」と適当なことを言ってしまったのが運の尽きだったかもしれない。「当座、30周年までということでどうか」と言われて、引き受けざるを得なくなったのだが、そういって口説いた人は、30周年の時には、「あとすこしで定年で、僕は知らないよ」というに決まっている。
おつきあいしてみて、どうも「生活」「生活教育」というような言葉の魅力の一方、わかったようなわからないようなもやもやしたものがいつも残っていて、これが今の課題だと明確にストンと落ちたことがない。いつも寝技のような、搦め手で人間関係だけでやっているような気がする。これまで、意識的系統的に寄宿舎について研究してきたわけではないので、全国的な状況やネットワークがどうなっているのか、どんな営みがなされて、なにが課題になっているのかなどを意識的に考えていく必要があるように思う、障害児教育の中で寄宿舎がどうなっているのか、そしてこれからの寄宿舎教育と研究会を考えるというのが、当座の課題だと思っている。
ともに考えあい、実践と研究の課題を共通認識にしていきましょう。グズグズした性格ですので、叱咤激励、よろしくお願いいたします。
寄宿舎教育研究会とのつきあいが、どのようなきっかけで始まったのか記憶にない。たしか、15周年の企画でしょうもない話をして、20周年頃から本格的なおつきあいがはじまったと思う。それも、おつきあい程度という感覚でズルズルと来てしまった。2005年頃だったと思うが代表という話があったときには、全障研大会の準備委員長の大役があって到底できないということで、「それが終わったら考えます」と適当なことを言ってしまったのが運の尽きだったかもしれない。「当座、30周年までということでどうか」と言われて、引き受けざるを得なくなったのだが、そういって口説いた人は、30周年の時には、「あとすこしで定年で、僕は知らないよ」というに決まっている。
おつきあいしてみて、どうも「生活」「生活教育」というような言葉の魅力の一方、わかったようなわからないようなもやもやしたものがいつも残っていて、これが今の課題だと明確にストンと落ちたことがない。いつも寝技のような、搦め手で人間関係だけでやっているような気がする。これまで、意識的系統的に寄宿舎について研究してきたわけではないので、全国的な状況やネットワークがどうなっているのか、どんな営みがなされて、なにが課題になっているのかなどを意識的に考えていく必要があるように思う、障害児教育の中で寄宿舎がどうなっているのか、そしてこれからの寄宿舎教育と研究会を考えるというのが、当座の課題だと思っている。
ともに考えあい、実践と研究の課題を共通認識にしていきましょう。グズグズした性格ですので、叱咤激励、よろしくお願いいたします。