ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

中村光博『「駅の子」の闘い 戦争孤児たちの埋もれてきた戦後史』幻冬舎新書、2020年1月

2020年02月25日 17時32分30秒 | 
中村光博『「駅の子」の闘い 戦争孤児たちの埋もれてきた戦後史』を、仙台にいく新幹線の車中で読み終わった。NHKスペシャルを担当したディレクターが著者、その書籍化。
2018年8月に放送された「“駅の子”の闘い-語り始めた戦争孤児」は、福岡教育大学での講義の導入に紹介し、本庄豊さんの『戦争孤児』に書かれていた福井清子さんと福岡教育大学の合唱団の話をした。今年度(2019年9月)も、福岡教育大学の集中講義でその話をして、NHKスペシャルを学生さんたちにみてもらった。はじめ、なんの話?と不思議そうだったが、じわっとわかっていってくれたようだった。
その後、八瀬学園について調べて、ようやく、その概要を書くことができた。まだ、不十分だし、戦争孤児と障害児施設について、近江学園に即して、考えてみることも課題となっている。そう思っているところに、出版されたのがこの本である。『障害児の生活教育研究』に、「鈴木健二の戦後体験と近江学園の20年」の研究ノートの冒頭にこの本を紹介しておいた。
この本に関して、不思議なことは、「駅の子」の写真を紹介する本庄豊さんについての紹介はあるが、この本と重なる『戦争孤児―「駅の子」たちの思い』(新日本出版、2016年)の紹介がないこと。

目次は次の通り

プロローグ-たった70年前、ここに孤児たちがいた

第一部 戦争が終わって闘いが始まった-焼け野原に放置された「駅の子」
 神戸空襲で「駅の子」になった
 上野駅で見た地獄
 孤児の保護施設・板橋養育院の悲劇
 学童疎開の犠牲者
 引き揚げ孤児の悲劇
 路上生活で視力も失う
 「戦争孤児」んお保護を後回しにした国
 奮闘した民間の保護施設-1000人の子どもを保護した愛児の家
 「靖国の遺児」と呼ばれた子どもたち
第二部 嫌われていった「駅の子」ー復興から取り残され、やがて忘れられ
 対策を指示したGHQ
 始まった強制収容「刈り込み」
 オリに閉じ込められた戦争孤児
 復興から取り残されていく「駅の子」
 路上で野良犬のように扱われる
 社会に逆らって生きると決めた
 転落していった子どもたち
 日本を去った戦争孤児
「駅の子」たちのいま

エピローグ-取材を終えて

佐藤嘉尚『人を惚れさせる男 吉行淳之介伝』新潮社、2009年

2020年02月20日 22時42分08秒 | 
佐藤嘉尚(さとうよしなお)『人を惚れさせる男 吉行淳之介伝』をよんだ。いくつか、理由がある。章のタイトルに、8.15前後があったこともある。宮城まり子との関係も気になったし、宮城まり子の「ねむの木学園」のことも吉行はどのように思っていたのかも知りたかった。読んでいて、吉行が「娼婦」との関係、その姿を小説に描いたことなども面白かった。戦後の影の部分を歴史的にらないと、施設や学校での生活とその後についても評価が出来ないのではないかとも思う。

佐藤は、『面白半分』の編集を担当する編集者だった人。

序章 吉行家墓所
第一章 幼い結婚
第二章 孤児のような少年
第三章 急死
第四章 少数派
第五章 戦争
第六章 大空襲
第七章 八月一五日前後
第八章 『葦』と『世代』
第九章 雑誌編集記者
第十章 胸の空洞
第十一章 尿器と芥川賞
第十二章 闇の中の祝祭
第十三章 黒い涙
第十四章 面白半分
第十五章 ポピー
終章 変な静けさ
あとがき

宮城まり子との関係と「ねむの木学園」
○三つの約束(pp.255-256)
二人が一緒に住んで十年ぐらい経ったある日、宮城が改まった感じで吉行に言った。
ずーっと考えてきたんだけど、からだが不自由で知的障害があって、自宅で両親が面倒見られない子どもたちのお家を作りたいの。いいのかしら。
そのこと、キミは前から言ってたね。知り合ったときから、言ってた。昨日今日言い始めたのならやめなさいって言うけど、ずっーっと前から思い続けているみたいだから、反対はしない。その代わり、約束。
はい
途中でやめると言わないこと。愚痴はこぼさないこと。お金がナイと言わないこと。この三つの約束が守れるなら、やっていいんじゃないかな。特に、キミを信じてくる人に、途中でヤメタって言うのは、大変無礼なことだよ。
うん、わかった。守る。
…(中略)…
施設の名前を決めかねたときは、淳之介に相談した。
ねむの木ホーム。ねむの木の丘。きょうだい学園。ねむの木学園。いろいろかんがえたけど、迷っているのよ。どんなのがいいかしら。
考えるよ。
翌朝、宮城の部屋のドアの下の隙間に、原稿用紙が挟まっていた。それには大きな字で「ねむの木学園」、そして横につて小さな字で、「迷わずこれに決めなさい」と書かれていた。
※宮城まり子『淳之介さんのこと』に記されているエピソード

野坂昭如『「終戦日記」を読む』NHK出版、2005年

2020年01月28日 21時36分22秒 | 
敗戦前後の状況を知りたいと思って、図書館から借りてきた野坂昭如『「終戦日記」を読む』を読み終わった。行間が広く、活字が大きいので、逆に頭に入りにくかったが、内容は興味深い者だった。
目次と使われた日記・文献は次の通り。なお、この間の問題意識で国民の戦争意識と敗戦後の動きについて、気になるところだけ、摘記しておくこととした。

まえがき
八月五日、広島
原爆投下とソ連参戦
空襲のさなかで
終戦前夜
八月十五日正午の記憶
遅すぎた神風
混乱の時代のはじまり
もう一つの「八月十五日」
インフレと飢えの中で
あとがき
日記の書き手たち

参考文献
細川浩史・亀井博『広島第一県女一年六組 森脇瑶子の日記』(平和文化、1996年)
山田風太郎『戦中派不滅日記』(講談社文庫、1985年)
高見順『敗戦日記〈新装版〉』(文春文庫、1991年)
大佛次郎『大佛次郎 敗戦日記』(草思社、1995年)
永井荷風『摘録 断腸亭日乗(下)』(岩波文庫、1987年)
渡辺一夫『渡辺一夫 敗戦日記』(博文館新社、1995年)
徳川夢声『夢声戦争日記 抄 敗戦の記』(中公文庫、2001年)
中野重治『敗戦前日記』(中央公論社、1994年)
海野十三『海野十三敗戦日記』(講談社、1971年)
木戸幸一『木戸幸一日記 下巻』(東京大学出版会、1966年)
軍事史学会編『大本営陸軍本部戦争指導版 機密戦争日誌 下』(綿正社、1998年)
岡本望『嵐の青春 神戸大空襲』(文理閣、1993年)
大木操『大木日記 終戦時の帝国議会』(朝日新聞社、1969年)
伊藤整『太平洋戦争日記(三)』(新潮社、1985年)
藤原てい『流れる星は生きている』(中公文庫、1976年)
今井弥吉『満州難民行』築地書館、1980年(川浦一雄「第二部 大陸避難日記」)
安里・大城将保『沖縄戦・ある母の記録』(高文研、1995年)

NHK人間講座2002年8月から9月放送された『「終戦日記」を読む』のテキストをもとに単行本化されたもの。

P.28 (山田風太郎、高見順、大佛次郎などの日記)
いずれも、じかに、敵の目標とされていないせいだろう、日記で読む限り、一月先の命はまず覚束ない自らの運命を嘆き、怯え、せめて九死に一生を求める努力はうかがえない、すべて運命と見なし、戦争を天災に近く受け取っている、このような自体をもたらしめた大本は自分以外にある、文字通りその日だけを凌ぐ、」となると、身近にのみ眼を注ぐ。時は夏の盛り、日本の自然において、秋の実りをもたらしめる、万物猛々しくも盛んな時期、危殆に瀕した国家よりも、自然の力強さ、人間の卑小さに目を向け、一種の諦観に至る。誰も神経症にならない、楽天的ですらある、そしてだれもが、この期に及んで、史を自分に引きつけて考えていない。

P.120
もう一方に、戦争下も敗戦も関わりない臣民がいた。料理飲食業組合、待合業組合、接待業組合、芸妓屋同盟会、貸座敷組合、慰安所連合組合、つまり花柳界、遊郭の経営者。空襲後、もっとも早く、群の湯尾製塩所を受け焼け跡で営業をはじめたのも彼等。そして東京では、八月十七日、その主だった連中が、警視庁に呼び集められ、「国体護持の大精神に則」つた内命を受けている。やって来る占領軍、三日前までの「鬼畜」に対し、「彼我両国民ノ意思ノ疎通ヲ図リ、併テ国民外交ノ円滑ナル発展ニ寄与、世界建設」の目的で、占領軍慰安施設を緊急に造るべく、指令される。


『名作うしろ読み』

2019年12月27日 23時31分00秒 | 
ようやく、斎藤美奈子の『名作うしろ読み』を読了。
小説の最後「おしり」が多々紹介されている。多々あるのでいちいちかかないが、次のような柱で作品が位置づけられている。
1.青春の群像
2.女子の選択
3.男子の生き方
4.不思議な物語
5.子どもの時間
6.風土の研究
7.家族の行方
名作のエンディングについて

いくつか面白いところ、
路傍の石は、3種類の末尾がある(要するに、はじめの朝日新聞の連載、戦前版、戦後版 なんと、戦前は軍部の、そして戦後は占領軍の圧力で完結しなかったとは)p.178
君たちはどう生きるかの、「おじさんノート」、コペル君は父を亡くしていたが、おじさんは人生論だけではなく社会科学的なものの見方を説いていることなど、p.188
などなど

最後は「名作のエンディングについて」
●「お尻」が無視されてきた理由
●閉じた結末(ハッピーエンドやバッドエンド:エンターテイメント文学)、拓かれた結末(多様な解釈で、独自の余韻を残す純文学)
●風景が「いい仕事」をする終わり方
 もしもあなたが何かを書いていて、終わり方で困ったら、とりあえず付け足しておこう。「外には風が吹いていた」「空はどおまでも青かった」「私は遠い山を見つめた」。
●人が「もうひと仕事」する終わり方
 あるく、つぶやく、しゃべる、かんがえる。人の動きや状態や思索ではなしが了と、「物語はここでいったん終わりだが、彼や彼女の人世一はまだこの先も続いていくのだ」というと条件が出る。新たな、展開を予想させる行動を盛り込むと、よりそれが強調される。なお、○○がむせび泣いた、涙は最強の武器。
●語り手がしゃしゃり出る終わり方
●フィニッシュをどう決めるか
 その他の本や誌の引用、後日談、「神よ」と呼びかけ、続編の予告・・・・いろいろある。どんな作品も、書き出すことは出来るが書き終わるのはむずかしい!

コーヒーを浴びせてしまって、本にお詫びをしておきたい。このエンディングは、語り手がしゃしゃり出る形?

斎藤美奈子『名作うしろ読み』中央公論新社、2013年

2019年12月24日 11時37分55秒 | 
斎藤美奈子の『名作うしろ読み』を読んでいる。
小説のはじまりは、よく語られるのだが、「たとえば、トンネルを抜けるとそこは・・・」とか、しかし、その最後は語られない。
その最後の言葉を記して、その小説を簡単に論じるのがこの本のみそ。とはいえ、1つの小説で、見開き2頁なので、そう長くはない。もともと、新聞連載のものをあつめたもの。
この斎藤という人、小説などの解説の解説をしてみたり、最後に注目してみたり、以外と面白い発想をする。
とはいえ、今回の本で考えたのは、文章の最後の部分ということ。
よく、論文の最後の締めをどうするか悩む。結論があるわけじゃない場合もあり、終わり方がわからない・・・。これでいいやという踏ん切りができないときは、だらだらと書いてしまって、結局何が言いたかったのかわからなくなっちゃうという経験を積んできた。
そういう意味での、最後のことばをみてみると、その論文や文章を書いた人の人柄や、躊躇、葛藤などもほんのりと判るのかもしれない。

クリスマスキャロル

2019年12月24日 11時37分55秒 | 
クリスマスイブだから、ディケンズの『クリスマスキャロル』のことを特別に書いておきたい。
イブの晩、けちで強欲で冷酷なスクルージのもとに、共同経営者だったマーレイの亡霊が現れて予言する。
その夜、スクルージのもとに、3人の精霊が表れ、彼の過去・現在・未来を見せる。
孤独な死の未来、それ以上に、現在は、スクルージの雇っているポップの家、食卓を囲んでクリスマスを祝う一家。足の悪いティム。スクルージは「あの子は生きのびられるのだろうか」と問う。精霊が「子どもは死ぬ」というと、「死んだらいい、そうすれば、余分な人口が減る」と、スクルージが口にしたセリフが続く。さらに貧しい子どもたちの幻に、「この者たちが避難する所、頼りになるところはないでしょうか?」と問うと、「監獄があるんじゃないか?」「貧窮院があるんじゃなかったかね?」と、ふたたび彼自身が口にしたことばがかえってくる。
1843年に発表されたこの小説、産業革命のもと、貧富の差の大きな19世紀イギリスの姿を示すが、しかし、それは今日の社会にも通底するものがある。

とはいえ、「クリスマスキャロル」というと、稲垣潤一の歌しか思い起こさないのが、現代の日本の状況かもしれない。
「クリスマスキャロルが流れる頃には 君と僕の答えも、きっとでているだろう」

斎藤美奈子『文庫解説ワンダーランド』岩波新書、2017年

2019年12月18日 23時25分53秒 | 
数日前に、図書館から借りていた斎藤美奈子『文庫解説ワンダーランド』を読み終わった。
文庫の解説に対して辛口の批評を綴った、目の付け所のおもしろい本。解説は、「基本はオマケ」と書いている。目次は次の通り

序にかえて 本文よりエキサイティングな解説があってもいいじゃない

1.あの名作に、この解説
坊ちゃん 四国の外で勃発していた解説の攻防戦
伊豆の踊子・雪国 伊豆で迷って、雪国で遭難しそう
走れメロス 走るメロスと、メロスをみない解説陣
放浪記 放浪するテキスト、追跡する解説
智恵子抄 愛の詩集の陰に編者の思惑あり

2.異文化よ、こんにちは
悲しみよこんにちは、ティファニーで朝食を 翻訳者、パリとニューヨークに旅行中
ロング・グッドバイ、グレート・ギャツビー ゲイテイストをめぐる解説の冒険
ハムレット 英文学か、それが問題だ
小公女 少女小説(の解説)を舐めないで
ヨーロッパ退屈日記、女たちよ! おしゃれ系舶来文化の正しいプレゼンター
武士道、葉隠 憂国の士があこがれるサムライの心得

3.なんとなく、知識人
赤頭巾ちゃん気をつけて、なんとなく、クリスタル ン十年後の逆転劇に気をつけて
君たちはどう生きるか、資本論 レジェンドが鎧を脱ぎ捨てたら
されど われらが日々 優しいサヨクのための嬉遊曲 サヨクが散って、日が暮れて
モオツァルト・無情という事 試験に出るアンタッチャブルな評論家
Xへの手紙、共同幻想論 ソラからコバヒデが降ってくる
三四郎 友情 悩める専念の源流を訪ねて

4.教えて、現代文学
限りなく透明に近いブルー、半島を出よ 限りなくファウルに近いレビュー
点と線、ゼロの焦点 トリック破綻を解説刑事が見破った
三毛猫ホームズシリーズ 私をミステリーの世界に連れてって
ひとひらの雪 解説という名の「もてなし」術
ビルマの竪琴、二十四の瞳、夏の花 彼と彼女と「私」の戦争
火垂るの墓、少年H、永遠の0 軍国少年と零戦が復活する日
あとがき

To be or not to be, that is the questionの訳の話(p.84)
赤川次郎作品は「17歳」がキーワード。18歳になれば大人の世界に足を踏み入れてしまう。その一歩手前の、まだ日々の暮らしに戸惑いを持っている、ナイーブな世代。『セーラー服と機関銃』はその第一歩(p.204)
原爆文学の『夏の花』に関するリービの解説 西洋と違って、近代の日本文学の中では、フィクションとノンフィクションの区別がそれほどはっきりしなかった。・・「「自然現象おなかの私」が文学の大きな流れとなった」p.225-226
野坂昭如の『火垂るの墓』、野坂は、1930年生まれ。大野さんと同じ。野坂らの戦争体験:昭和五年に生まれた昭如は、生まれて1年後にいわゆる満州事変がおこり、小学校に入学した年に盧溝橋事件がはいjまり、中学のときに太平洋戦争が終わっている。もう少し早く生まれていれば、特攻隊員として散華していたかもしれないし、もうすこしあとに生まれれば、学童疎開で田舎へ行き、飢餓を通して戦争を実感したかもしれない。しかし彼の世代は、戦争と戦後の陥没地帯に似て、そのどちらにもついてゆけず、規制の権威や木津所を音を立ててくずれるのを、その目で見、その肌で感じた世代ということになる。p.229

解説をくさす、辛口の言葉が小気味がいいというか。

斎藤美奈子『日本の同時代小説』(岩波新書、2018年)

2019年12月06日 14時17分57秒 | 
西宇治図書館で借りてきた斎藤美奈子『日本の同時代小説』を読んだ。
ネットでは、内容紹介として、次のように書かれていた。
メディア環境の急速な進化、世界情勢の転変、格差社会の深刻化、そして戦争に大震災──。創作の足元にある社会が激変を重ねたこの50年。「大文字の文学の終焉」が言われる中にも、新しい小説は常に書き続けられてきた! 今改めて振り返る時、そこにはどんな軌跡が浮かぶのか? ついに成る、私たちの「同時代の文学史」。
目次は次の通り

はじめに
1960年代 知識人の凋落 (へたれ知識人の純文学)
1970年代 記録文学の時代
1980年代 遊園地化する純文学
1990年代 女性作家の台頭
2000年代 戦争と格差社会
2010年代 ディストピアを超えて
あとがき

同時代小説なので、その時代を生きてきたものとして、そうだよねとお思うところも多い。この作者、もともと編集畑のひhとだったようで、辛口、一刀両断の修飾語(「へたれ」だとか)でずっぱりきられてしまう。しかし、21世紀後になってくるとその論調はかわるように感じるのだが・・・。
いろいとメモを取りたくなるところがあったが、ちょっとおいて自分なりに振り返ってみると、同時代とはいえ、ここに登場する小説はほとんど読んでいないことに気づき、唖然とした。自分は何をやってきたのだろうかと? 小説は好きだから読んではいるのだが、その中でも、障害関係のものに職業柄いくので、現代小説、あるいは話題となったものを読んでいないと言うことなどもあるのだろうが、しかし、そこに豊穣な世界が1つひとつに詰まっているとおもうと、その世界を楽しみたいという思いが募る。ドラマのない論文などをかく、あるいは卒論などにかまけているのは、時間がもったいないともおもったりしてしまう。

障害関係でもいろいろありそう
赤坂真理(五感に訴える作品の書き手)『ヴァイブレーター』(1999)、幻聴や摂食障害に加えて或オール異存という、いささか問題含みの女性ライターのロードノベル、同『ヴォイセズ』(1999)、成田空港に勤める女性航空管理官を主人公にした小説で、彼女の働きぶりも、盲目の青年との恋愛も鮮烈。p.150
「自伝」系
乙竹『五体不満足』(1998)、大平光代『だから・あなたも生きぬいて』、柳美里『命』(2000)、飯島愛『プラトニックセックス』(2000)など「愛と感動ノンフィクション」壮絶人生系の本。これにてういて、赤坂真理「『障害』と『壮絶人生』ばかりがなぜ読まれるのか」(『中央公論』2001年6月号)で批判しているのも面白い。「ここ数年、およそ希望と名のつくものが、一見それが欠落していると見える地点からもたらされている意味を、「普通」の人びとは、感動するだけでなく、よく考えた方がいい」「涙や感動の話はいまや消耗品である」。そして、それが「弱い人」の「普通の人生を抑圧」するものとなっていることも指摘している。(169)
難病もの
住野よる『君の膵臓をたべたい』(2015)、片山恭一『世界の中心で、愛を叫ぶ』(2001):徳冨蘆花『不如帰』(1898)、伊藤左千夫『野菊の花』(1906)、堀辰雄『風立ちぬ』(1936-38)、河野実・大島みち子『愛と死をみつめて』(1963)など、若くして芯d奈女を生き残った男が振り返る「難病もの」の歴史は古く、「涙と感動」を求める速射に愛好されてきた。なぜ、21世紀にもなって、こんな手垢の付いた小説をy間亡ければならないのか。(181)
震災関連
『東日本大震災後文学論』(2017)の編者のひとり飯田一史は、審査意見連ディス飛び亜小説の多さに触れ<「どうにもできなかった」人たちばかりを積極的に描く不可思議さ>を問題にしている。<それは、責任を引き受ける、覚悟を決めて自分たちで対処するという当事者意識の欠如に見える。主体性を削ぎ、無力感を助長するだけに見える。大事な本質を見ない、それに取り組まないで周辺をぐるぐるまわることで済ませる悪癖にも>(「希望-重松清と『シン・ゴジラ』」)。この点、第二次世界大戦の日本社会と同じ思想構造が表れていることに注意。

その他、
「ディストピア」という特徴づけはなるほどとおもう。ディズニー映画盛んなりしも、ディズニーランド的なユートピアに妄想していると其の絶っている地点は「ディストピア」ということに・・。まあ、逆に、現実が「ディストピア」なので「ユートピア」の世界にいくのだろうが。「厳しい時代に厳しい証跡は誰も読みたくない」と筆者も言っているじゃないか。

孤児の関係
『世界の果ての子どもたち』、満州の国民学校で出会った3人の少女。残留孤児となった珠子、戦災孤児となった茉莉、日本に渡った朝鮮人の美子のそれぞれの戦後を描く。

小野民樹『新藤兼人伝 未完の日本映画史』(白水社、2011年8月)

2019年11月23日 14時45分25秒 | 
原爆関係や「裸の島」関係もあり、小野民樹『新藤兼人伝 未完の日本映画史』を読んだ。面白かった。
必要な個所は、コピーをとったので、こまかなところは割愛。新藤のシナリオがすごいきれる!
目次は次の通り

故郷喪失
瀬戸内流浪
京都哀歌
泥棒の武蔵野
愛妻物語
どん底
待帆荘
大船調
近代映画協会
原爆の子
女の悲劇
裸の島へ
映画監督の生涯
老いとはなにか
ラストスパート
あとがき
新藤兼人全映画作品年譜
主な参考文献

「われら人間家族」で監督をした勝目貴久は、「裸の島」の時の助監督。この映画をつくるときには、プロデューサーと新藤の間にはいって苦労したことを回想している。

越野和之『子どもに文化を 教師にあこがれと自由を』全障研出版部、2019年

2019年11月05日 22時11分28秒 | 
『みんなのねがい』誌に連載していたものをまとめた『子どもに文化を 教師にあこがれと自由を』をいただいた。
はじめから、「子どもの味方になる」と直球が。続いて、「子どもの〈声〉を聴き、その悲しみをつかむ」と、ド・ストライクが投げられる。カーブとか、チェンジアップとかはないのかと、ぼうぜんと、見逃してしまうのであった。
讃岐うどんのようなもちもちとした文体。教育実践のうまみをすくい取るような表現でもある。ある意味、そつがないのは、茂木先生にも似ているのかな・・などと思ったりもした。もくじは以下の通り。

序 「子どもの味方になる」ために
1.子どもの〈声〉を聴き、その悲しみをつかむ
2.悲しみを乗り越える糧となる文化を手渡す
3.障害をもって生きる社会の主人公を育てる
4.教師にあこがれと自分の頭で考える自由を
5.なかまと出会う、なかまの中で生きる―教育における集団の意味と集団指導の課題

ぼくも、文化を中心に教育を考えるのだが、僕のイメージする文化はちょっと下品なので、著者のいう「文化」とちょっとちがうかもしれない。「こういう表現はできないなぁ」とつくづく思う!

本庄豊『なつよ、明日を切り拓け 連続テレビ小説「なつぞら」が伝えたかったこと』(群青社、2019年)

2019年11月01日 08時48分42秒 | 
本庄豊『なつよ、明日を切り拓け 連続テレビ小説「なつぞら」が伝えたかったこと』を読むことができた。今年前半のNHK連続テレビ小説「なつそら」を題材に、戦後史として対話していくというもの。
7月18日に起こった「京都アニメーション放火事件」にも触れられている。目次は次の通り。

まえがき
序 京都アニメーション放火事件
1.戦争孤児たちの終わらない「戦後」
2.開拓一世・柴田泰樹と十勝の人びと
3.未完の画家・神田日勝
4.新宿中村屋とムーランルージュ新宿座
5.「白蛇伝」「太陽の王子 ホルスの冒険」
6.戦後に花咲く新劇運動
7.よつば乳業の創立
8.東映動画争議と「アルプスの少女・ハイジ」
終 労働と芸術、反戦と共同、そしてジェンダー
特別寄稿 依田便三と晩成社-柴田泰樹前史(平井美津子)
あとがき
「なつぞら」関連略年表

著者は、『戦争孤児』(新日本出版)の著者でもあり、その観点から「なつぞら」の主人公で孤児だった「なつ」の成長とそれを支えた人たちを温かくみつめ、同時に、それを可能にした大森寿美夫の脚本を歴史と重ねて読み解いていく。それには、著者の体験も書き加えられている。東京の大学で青春時代をおくった著者であるので、アニメ映画やテレビの思い出と同時に、東京を舞台にした新劇運動、東映動画のこと、新宿の様子などのイメージも書き込まれている。僕は、関西にきてしまったので、大野松雄さんの聞き取りをしていても、東京の様子はイメージがしにくいことも多いので、叙述のリアリティということも考えさせられた。時はたっていても、その場にいかないといけないよなと出不精な自分に反省。
末尾にある「なつぞら」関連年表は一目で成長や時代背景がわかり、ありがたかった。

「あとがき」に「心残として、「日本アニメの創成期を支えた音楽家たちに言及することが少なかったことである。これは音楽家が「なつぞら」に登場していないことや、ぼくの力不足あんどが理由で或。別の方の研究に待ちたい」とある。さしずめ、この本で「口パクテレビアニメ(人間が静止したまま口だけ動く虫プロの「鉄腕アトム」のようなアニメのこと)」として名前が挙げられている「鉄腕アトム」の音響をやった大野松雄さんの聞き取りをまとめるないとと思う(最近、あってはいるが、意識的な聞き取りはできていない)。

「口パク」アニメの大変さのことについては、よくきかされていたが、同じような仕事の状況を東映動画も抱えていたのだろう。とはいえ、そこでつくられ、本庄市を魅了した「白蛇伝」(1958年)の最初の企画の歳の音づけは大野さんが関与したとのこと(いったん企画が没になったので、その音は使われなかったのが結末だが)。
この「白蛇伝」、声優に森繁久彌と宮城まり子を起用。

「宮城まり子は一九五五年、戦争孤児の暮らしを歌う『ガード下の靴みがき』(作詞・宮川哲夫、作曲・利根一郎)を大ヒットさせる。当時、靴磨きは戦争孤児たちの仕事だった。歌詞の一部を唱歌しよう。

 おいら貧しい 靴みがき
 ああ 夜になっても 帰れない
 墨に汚れた ポケット覗きゃ
 今日も小さな お札だけ

 宮城まり子を女優・歌手に押し上げたのは、作家・菊田一夫である。菊田は戦争孤児を主人公にしたラジオドラマ「鐘のなる丘」の脚本を書いた。「なつぞら」では、ムーラン・ルージュの歌手だった煙カスミが、メランコリーのステージで「ガード下の靴みがき」を歌った。なつも孤児だったとき、靴みがきをしていた」(73頁)

「百獣の王サム」が「狼少年ケン」、「魔法使いアニー」が「魔法使いサリー」、「キックジャガー」が「タイガーマスク」(タイガーマスクも孤児)、「大草原の少女ソラ」が「アルプスの少女ハイジ」などなど、それにまつわるコメントが興味深い。

装丁のことで、ちょっと一言。どうも、行間がひろくって、読みづらい。目が悪くなっているせいかもしれないが、技術的なこと。




小幡欣治『評伝 菊田一夫』(岩波書店、2008年)

2019年10月30日 11時08分27秒 | 

小幡欣治『評伝 菊田一夫』を読み終わった。
少年菊田はどん底生活、台湾に連れて行かれたり、売り飛ばされたり、その貧困な生活をくぐって、奉公人の生活で、宝塚をみにいくような女性に初恋とあこがれ。
そおから、芝居の脚本、作家として這い上がっていく。はじめは、「アチャラかもの」から。戦中は、「戦意高揚もの」まで。
敗戦後、「戦犯文士」の自意識から、ラジオドラマ、演劇などを手がける。気になるところを、摘記しておく。すぐ忘れてしまうので。

戦後のラジオの時代 p.160-161
「食うために、菊田一夫はラジオを書き始めたが、それでもこの時期『東京哀詩』と『堕胎医』という舞台劇を発表して、賃貸した演劇界に戦争惨禍の現代劇として一石を投じた功績は忘れられてはならないだろう。前者は、戦後間もないガード下が舞台で、戦災孤児、夜の女、やくざ者など、底辺に生きる人間たちの姿が生々しく描かれている。戦後風景の糸コマを切り取ったドラマとして菊田は冷めた目で書いている。わずかに最後の景で、浮浪児たちが夢の中で死んだ父母に出会ったり、楽しい食事をしたりする場面に、菊田一夫のリリシズムが胸を熱くさせる。」「後者は・・・戦地から帰ってきた若い医師が、夫から性病を移され妊婦に診察を頼まれる。後略」
p.163
「多忙をきわめていた菊田一夫に、NHKから呼び出しがかかったのは、昭和22年の春だった。/出かけていくと、4回にあるCIE(民間情報教育局)ラジオ課のオフィスに連れて行かれて、放送班長のH・ハギンズ少佐から戦災浮浪児救済のドラマを書けと言われた」。これを契機にかかれたのが『鐘の鳴る丘』。放送は、昭和22年7月22日にはじまった。
「菊田一夫はこの貴各区を聞いたとき、放送時間は別にして、自分以外に浮浪児救済のドラマを×作家はいないと、みじめだった幼年期を重ね合わせてた。さらにまた、「戦意高揚劇」をいっぱい書いて、浮浪児たちの親や兄たちを線条へ送り出し、戦死させてしまった古都への反省もあった。『鐘の鳴る丘』を書くことは、戦犯作家菊田一夫の贖罪でもあった。」(165-166)

東宝時代と芸術座 ここでの宮城まり子を扱った作品も興味深い。
『まり子自叙伝』(菊田一夫)。自叙伝とあるように、当時「ガード下の靴磨き」やごく芥子はいらんかね」などを詩って人気のあった宮城まり子の半生記を舞台化したものである。どさ回りの売れない芸人まり子が、苦労の末に世に出る成功譚で、・・・これが当たって、三ヶ月のロングランとなり、彼女は女優として認められた。」

その他、八千草薫の出ていた芝居についても記述がある。


九鬼周造の「いき」と「野暮」(粕谷一希『粕谷一希随想集Ⅱ 歴史散策』藤原書店、2014年)

2019年10月08日 21時59分43秒 | 
以前、京都学派に関する武田篤司『物語「京都学派」』(中公文庫)を読んだことの中で、木村素衛について次のように記した。

糸賀一雄没50周年。その源流をたどると木村素衛、そしていわゆる「京都学派」にいく。そんな関係で、「京都学派」について、よんでいる。(中略)東大の井上哲次郎との関係で、自ら考えることを追求した西田・田辺たちの京都帝国大学の哲学科。その広がりの中で、いろいろな人たちの開かれた学びができあがっていく姿をとらえている。東大のケーベルの弟子、波多野精一の哲学史・宗教哲学では、糸賀が最後の卒業生となった人その晩年が「波多野精一「バラの情熱、白百合の清楚」」。糸賀が代用教員時代に慕った木村素衛は、「木村素衛の「玉砕」」として西田の亡くなった後の死を書いている。「数理哲学はいきな学問」(木村)「教育学はやぼな学問」(高坂)「いや、俗な学問さ」(木村)と・・・。俗のなかにずっぽりとつかりながら、教育学の構築を行おうとしたのだが。

この木村と高坂のやりとり、「いき」と「やぼ」について、九鬼周造の『「いき」の構造』(1930年、岩波書店)からとってきているやりとりであることに気づかされた。
九鬼は、「いき」とはなにかを、垢抜けて(洗練)、張りのある(緊張)、色っぽさ(媚態)と定義し、幾何学的に概念関係を図示している。すなわち、「いき」と「野暮」に対角線に描き、もう一つの対角線に「甘味」と「渋味」を描き、その四角形を、「上品」と「下品」、「派手」と「地味」の四角形を対応させる、四角柱をつくって説明している。

これを紹介しているのが、中央公論社の編集者で評論家となった粕谷一希「九鬼周造」『粕谷一希随想集Ⅱ 歴史散策』(藤原書店、2014年)である。『「いき」の構造』自体を上梓したことの九鬼にとっての意味を想っていることも興味深い。九鬼は「江戸っ子」ではあったが、西田幾多郎によって京都帝國大學文学部哲学科に招聘されることになる。

こうした九鬼の「いき」と「野暮」の対比的な概念を前提としての木村と高坂のやりとりなのだが、しかし、木村は教育学を「俗」と表現し、「いき」「野暮」と次元の違いを指摘した。考えてみると、「いき」「野暮」は理論の成熟度を示すのかもしれないが、教育学は「俗」としてみると、それは実践性の次元を指しているのかもしれない。しかし「俗」の反対語は「僧」「雅」とかだが・・・。

阿部智里『発現』NHK出版、2019年

2019年10月08日 09時29分16秒 | 
阿部智里『発現』を、図書館で手にとった。そこに取材先にあげられた満蒙開拓平和記念館の名前があり、借りてみた。
統合失調症に関連するのか、トラウマの遺伝(?)ということか、戦争を引きずって、3代に「発現」する少女と彼岸花。それが何を物語っているのか?
ミステリーなのか、ホラーなのか?推理小説なのか、歴史小説なのか?
もとものは、戦争、満蒙開拓義勇軍や満州の聞き取りをベースにできた小説なのだろう。
NHK出版が出すという所も、その意味ではうなずける。

西村京太郎『一九四四年の大震災-東海道本線、生死の境』小学館文庫、2019年

2019年10月02日 21時53分30秒 | 
西村京太郎『一九四四年の大震災-東海道本線、生死の境』を読んだ。もともとは、2015年に単行本として出版されたものの、文庫化。十津川警部シリーズと銘打たれているが、十津川警部は最後にちょっと出てくるだけ。
1944年にあった東海沖地震、そして、それが戦中で隠蔽され、それを予知した人たちが逆に弾圧されたということ。これが、西村京太郎は書きたかったのだろう。それには、西村の戦中の体験(十五歳の戦争 陸軍幼年学校「最後の生徒」集英社新書)との関係もある。この地震のことは、NHKで取り上げられたことがあるし、また、『戦争に隠された「震度7」: 1944東南海地震・1945三河地震』という本もある。
名古屋の中島飛行機の工場の話もでてくるが、そこには京都師範学校の学生たちが学徒動員で働いており、この地震と空襲で帰ってきたということもあるようだ。青木嗣夫先生の戦中時代の回想を再度、確認しておきたい。