2018年8月に放送された「“駅の子”の闘い-語り始めた戦争孤児」は、福岡教育大学での講義の導入に紹介し、本庄豊さんの『戦争孤児』に書かれていた福井清子さんと福岡教育大学の合唱団の話をした。今年度(2019年9月)も、福岡教育大学の集中講義でその話をして、NHKスペシャルを学生さんたちにみてもらった。はじめ、なんの話?と不思議そうだったが、じわっとわかっていってくれたようだった。
その後、八瀬学園について調べて、ようやく、その概要を書くことができた。まだ、不十分だし、戦争孤児と障害児施設について、近江学園に即して、考えてみることも課題となっている。そう思っているところに、出版されたのがこの本である。『障害児の生活教育研究』に、「鈴木健二の戦後体験と近江学園の20年」の研究ノートの冒頭にこの本を紹介しておいた。
この本に関して、不思議なことは、「駅の子」の写真を紹介する本庄豊さんについての紹介はあるが、この本と重なる『戦争孤児―「駅の子」たちの思い』(新日本出版、2016年)の紹介がないこと。
目次は次の通り
プロローグ-たった70年前、ここに孤児たちがいた
第一部 戦争が終わって闘いが始まった-焼け野原に放置された「駅の子」
神戸空襲で「駅の子」になった
上野駅で見た地獄
孤児の保護施設・板橋養育院の悲劇
学童疎開の犠牲者
引き揚げ孤児の悲劇
路上生活で視力も失う
「戦争孤児」んお保護を後回しにした国
奮闘した民間の保護施設-1000人の子どもを保護した愛児の家
「靖国の遺児」と呼ばれた子どもたち
第二部 嫌われていった「駅の子」ー復興から取り残され、やがて忘れられ
対策を指示したGHQ
始まった強制収容「刈り込み」
オリに閉じ込められた戦争孤児
復興から取り残されていく「駅の子」
路上で野良犬のように扱われる
社会に逆らって生きると決めた
転落していった子どもたち
日本を去った戦争孤児
「駅の子」たちのいま
エピローグ-取材を終えて