ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

倉知淳『作家の人たち』幻冬舎、2019年

2019年09月22日 18時27分30秒 | 
出版不況の中の「文筆家」「小説家」「作家」「編集者」などの生態についての短編集。

押し売り作家
夢の印税生活
持ち込み歓迎
悪魔のささやき
らのべ!
文学賞選考会
遺作

その中の一節

20年ほど前から出版社を覆う構造不況はもはや限界に達していた。
本が売れない。
それは、娯楽の多様化、若者層の人口減少、ネットの爆発的普及、といった原因が複合的に絡み合った結果の出版不況であり、誰にも手の打ちようがなかった。本の出版部数は減り続け、本職の作家は困窮するしかなかった。出版社も手をこまねくばかりで、廃業する作家は後を立たなかった。
そんな中でも売れている本があった。テレビタレントが書いた本である。
・・・・

日本の文化はどうなっていくのか?

平井美津子『原爆孤児 「しあわせのうた」が聞こえる』新日本出版社、2015年

2019年09月20日 23時08分39秒 | 
縁あって、平井美津子『原爆孤児 「しあわせのうた」が聞こえる』をよんだ。思いの詰まったよい本だった。
「「笑わぬ子」らと作家・山口勇子の思い」と帯に記されている。「おこりじぞう」「荒れ地野バラ」を書いた山口勇子の優しくしかも凜とした姿をおっている。

 これまで聞き取りをしてきた、亀井文夫をドキュメンタリー映画の学びの源泉としてきた大野松雄さんの話やドキュメントフィルム社の「ヒロシマのこえ」のデジタル化などと重ね合わせることで、この本の内容をふくらませることができるのではないかと思っている。第4回、第5回の原水禁世界大会への「広島子どもを守る会」の参加は・・・この時に、原水協の公式記録をつくったのが、亀井と大野だった。それ以前の亀井の「生きていてよかった」なども、そして「千羽鶴」のこと、また、「純愛物語」のことなども・・・。今年、テレビ放映された映画『ひろしま』のフィルム、教育運動の中でつかわれぼろぼろになったものを大学で保管している。

内容紹介 
両親の突然の理不尽な死、何が起きたかもわからぬまま傷を負った心。そんな原爆孤児たちを支援した「精神養子運動」と、それを担った作家の山口勇子らの思いを丹念な取材で記録。「父さん、母さんはなぜ死ななくてはならなかったの?」との問いかけに光を当てた、被爆70周年にこそ読みたい感動のノンフィクション。
内容(「BOOK」データベースより)


第1章 原爆孤児精神養子運動
第2章 孤児の調査
第3章 笑わぬ子たち
第4章 あゆみグループ
第5章 再び原爆孤児をつくるまい
第6章 母さんと呼べた
第7章 暗い子
第8章 父の志をついで
第9章 姫路組
第10章 しあわせのうた
第11章 世界中に本物の平和を
終章 今の教育現場に引きつけて思うこと

資料の入れ方を工夫するともっといいものになるのだが、章ごとののアンバランス、あとの章が短くなっているのは、多忙な中でとにかく書いておきたい、忘れてはならないという著者の姿が見えるようだ。短く書かれた章のないようも、大きな物語が隠されているのだろう。

芦辺拓『奇譚を売る店』光文社文庫、2015年

2019年09月13日 21時50分17秒 | 
古書関係の本をついつい読んでしまっている。
「また買ってしまった」ではじまる、芦辺拓『奇譚を売る店』である。
怪奇小説で、面白味はなく、読後にちょっとがっかりなのだが、以下のようなその表題だけはやはり興味をそそる。この表題となったものが、古書店で購入することになった本や資料ということだ。
『帝都脳病院入院案内』
『這い寄る影』
『こちらX探偵団/怪人勇気博士の巻』
『青髯城殺人事件 映画化関係綴』
『時の劇場・前後編』
『奇譚を売る店』

帝都脳病院などは、戦前の精神病院を舞台にしたもの。あとがきに書かれているように、この「帝都脳病院」は、北杜夫『楡家の人びと』の舞台の病院をモデルにしたもの(斎藤茂太『精神科医三代』も参考に)。
「青髯城殺人事件映画化関係綴」などは、ついいまやっている仕事にひきつけてしまう。こんな資料が古本屋にあれば、手に取ってしまうだろう。いずれも、ホラー怪奇小説であり、文体もごてごてして回りくどい。どろどろの液体を飲んだような感覚。

梶山季之『せどり男爵数奇譚』ちくま文庫

2019年09月04日 20時51分16秒 | 
梶山季之『せどり男爵数奇譚』(ちくま文庫、2000年)を、福岡にて読み終わった。もともとは、1974年に雑誌に連載され、単行本化されたもの。梶山は、1930年生まれ、広島高等師範学校を卒業後、国語教師、喫茶店経営などをしたのち、トップ屋となり、記事や小説を書いていたが、1975年に取材先の香港で客死。スピード感と官能味のある文章にはついつい読ませられてしまう。
今回は、『ビブリア古書堂の事件手帖』に載っていたので、購入して読んだ。ビブリ古書堂シリーズは、透明な読後感があったが、それとは対照的な脂ののった感覚が残った。
章のタイトルは、麻雀の役満の名前にひっかけて命名されているので、ここに紹介してもなんのことかわからないので記すことはしない。「せどり」は古書業界の用語、掘り出し物を探し出し、その本を他の古本屋や収集家に高く販売することを生業とするものをいう。梶山はどのようにして、この古書業界のなかで蠢く有象無象の情報を得ていたのか、事実は小説より奇なりというが、この梶山の数奇なるものがたりよりも、もっと艶めかしいやりとりがあるのであろうと思う。

三上延『ビブリア古書堂の事件手帖7 栞子さんと果てない舞台』メディアワークス文庫、2017年

2019年08月27日 21時49分05秒 | 

三上延『ビブリア古書堂の事件手帖7 栞子さんと果てない舞台』を、山形出張の途上の新幹線の中で、読み終わった。シェークスピアの古書をめぐる因縁の最終回。

プロローグ/第一章 「歓び以外の思いは」/第二章 「わたしはわたしではない」/第三章 「覚悟がすべて」/エピローグ

章のタイトルは、シェークスピアの作品の中に出てくる、「ことば」からとられている。その中に、自分の性的指向の自覚についてのエピソードも入っている(181頁前後)。

最終巻なのだが、スピンオフなどもあるようだ。そこまで読むか思案中。梶山季之『せどり男爵奇譚』や芦辺拓『奇譚を売る店』をよんでみようか・・・


川上延『ビブリア古書堂の事件手帖6 〜栞子さんと巡るさだめ〜』メディアワークス文庫、2014年

2019年08月23日 08時22分07秒 | 

T先生の古本処分で手に取ったこのシリーズ(不注意にも他のものにまぎれて紛失してしまったものは買い足したのだが)、とうのT先生の持っていたものの最後の巻。これで終わりとおもって、読んでいた。太宰の本をめぐる因縁の巻。

プロローグ/第一章 『走れメロス』/第二章 『駆け込み訴へ』/第三章 『晩年』/エピローグ

これでおわりとおもって、夜中の1時頃まで読んだが、あとがきで、あと2巻くらいで終わると書いてあって、まだ続くのかと。。。ネットで調べると、8巻まででているようだ。あと2冊。概要は、ウィキにある。


ひきつづき、川上延『ビブリア古書堂の事件手帖5 栞子さんとつながりの時』メディアワークス文庫、2014年

2019年08月19日 23時06分31秒 | 

ひきつづき、川上延『ビブリア古書堂の事件手帖5』をよんだ。再び、短編を3つ組み合わせて、しかし、連動させている。他のものと違うのは、それぞれの章に断章をいれて、別の人の視点で書かれたおのが添えられていること。

プロローグ リチャード・ブローティガン『愛のゆくえ』/第一話 『彷書月刊』/断章Ⅰ 小山清『落穂拾い・聖アンデルセン』/第二話 手塚治虫『ブラック・ジャック』/断章Ⅱ 小沼丹『黒いハンカチ』/第三話 寺山修司『われに五月を』/断章Ⅲ 木津豊太郎『詩集 普通の鶏』/エピローグ リチャード・ブローティガン『愛のゆくえ』

ブラックジャックの章に、ロボトミー手術についてのエピソードの紹介あり(128頁)


三上延『ビブリア古書堂の事件手帖4 栞子さんと二つの顔』メディアワークス文庫、2013年

2019年08月15日 13時34分52秒 | 

三上延『ビブリア古書堂の事件手帖4 栞子さんと二つの顔』 シリーズもの。今回の巻は、三章構成で同じだが、これまでは章ごとに相対的に独立していたのがが、今回は全体を通してミステリーになっている。江戸川乱歩とその作品が遡上にのぼる。栞子さんの母親(篠川智恵子)が登場。この作家 うまいなあ!

プロローグ/『孤島の鬼』/『少年探偵団』/『押絵と旅する男』/エピローグ

喉頭ガンかなにかでのどの手術をして声が出ない車いすの「女主人」(58)、点字のトリック(乱歩の「二銭銅貨」から、254など)


三上延『ビブリア古書堂の事件手帖 栞子さんと消えない絆』メディアワークス文庫、2012年

2019年08月11日 10時26分22秒 | 

引き続き、古書堂の事件手帖その3

プロローグ『王さまのみみはロバのみみ』/ロバート・F・ヤング『タンポポ娘』/『タヌキとワニと犬が出てくる、絵本みたいなもの』(ウスペンスキー『チェブラーシュカとなかまたち』)/宮沢賢治『春と修羅』/エピローグ『王さまのみみはロバのみみ』


三上延『ビブリア古書堂の事件手帖2 栞子さんの謎めく日常』2011年

2019年08月10日 00時25分37秒 | 

三上延『ビブリア古書堂の事件手帖2』を読む。

プロローグ坂口三千代『クラクラ日記』/アントニィ・バージェス『時計じかけのオレンジ』/福田定一『提言随筆 サラリーマン』/足塚不二男『UTOPIA 最後の世界大戦』/エピローグ坂口三千代『クラクラ日記』

なかなかよく出来ている、面白いし、軽く読める、ただ難点は、面白いという感覚だけがのこって、後は忘れてしまうこと。まるで、探偵ナイトスクープのようだ!


三上延『ビブリア古書堂の事件手帳 栞子さんと奇妙な客人たち』メディアワークス文庫、2011年

2019年08月06日 23時33分34秒 | 

ヒロシマに原爆が落とされた日から、74年目。NHKスペシャルで「届け「ヒロシマの声」 遺品と写真が語る物語」をやっていた。亀井文夫監督「Voice of HIROSHIMA」を思い起こした。ヒロシマについては書かなければならないことがある。大野松雄さんのヒロシマでの記憶である。このことは、74年目のこの日に、ここに記しておきたい。

それと重なっているのか判らないが、古書や古書店についての思いが強い。出久根達郎の本、古書店での日記奇譚などなどこれまでも読んできたが、ライトノベル三上延『ビブリア古書堂の事件手帳』をひょんな関係で入手した。ある野生動物学者が古本を処分するというので、奈良の吉野で古本を収集して私設ライブラリーをしようとしている方にもっていってくれという依頼だった。そうも出来ない事情があったが、本を預かったなかに、この本があったのだった。このシリーズ文庫本が5冊くらいそろっていると思われたが、確かめている暇もないので、3冊くらいを取り出していた。幸い、シリーズの最初の本があったので、それを読み始めたのだった。夏目漱石、小山清、論理学入門(青木文庫!)、太宰などの古本をめぐる物語だった。面白かった。確か、これは、以前、テレビドラマでやっていたような。大金持ちの恋人で、プライベーツジェットで海外に行く女優が栞子さんを演じていた。

しかし、その読みかけの本がなくなってしまった(これはよくあること)。いろいろ探してみたが、ない。結局、ブックオフにいって、購入した。ブックオフでうるときは、5円くらいである。購入は100円だった。

というわけで、そのシリーズ第一作を読み終えた。そのなかで、主人公の一人栞子さんは怪我をして入院しているのだが、「わたしの怪我は骨折だけではありません・・・腰椎の神経も傷ついてしまったんです。・・・ひょっとすると一生不自由なままかもしれません」というセリフがある。その怪我はなおるのか、車いす生活になるのか・・・ちょっと古書以外にも興味がそそられる。それで、またつぎの本を読みたいと思った。

このような本に関する語りをしてみたい。


今野浩『工学部ヒラノ教授』新潮社、2011年

2019年08月06日 00時17分28秒 | 

国立大学(正確には、国立大学法人の大学)から、私立大学に移るとカルチャーショックが・・・。まあ、ソンなこともあり、この頃、大学や高等教育の成り立ちや慣行を考えることが多い。当座、「女子」大学の成立が問題意識(「女子」とはなにか?なで、「女子大学」なのか?)。そんなこともあり、ついつい、図書館で手に取ってしまった本が今野浩『工学部ヒラノ教授』である。

工学部、エンジニアなので、感覚がちょっとちがうのだが、異文化なのが面白いとおもうことと、前によんだ森博嗣の思考方法の不思議がちょっとわかったような気がした。以下のもの。

工学部の教え

「決められた時間に遅れないこと(納期を守ること)/一流の専門家になって、仲間たちの信頼を勝ち取るべく努力あすること/専門以外のことには、軽々に口出ししないこと/仲間から頼まれたことは、断らないこと/他人の話しは最後まで聞くこと/学生や仲間をけなさないこと/拙速を旨とすべきこと

東大の工学部長の武藤清の訓示・・・「工学部に良く来てくれた。今日から諸君は僕らの仲間だ。これから訓辞を述べるから、良く聞くように。エンジニアは時間に遅れないこと、以上」

森口繁一学科主任などの組t業訓示・・・「おめでとう。諸君にはなむけの言葉を贈ろう。納期を守ること。これさえ守っていれば、エンジニアはなんとかなるものだ」(「とりあえず出来た分を提出して、率直にわびる」「100%完璧を期すと100時間かかるが、98%なら50時間ですむような場合には、まず98%をめざし、余った時間で残り2%に取り組むことだ」

要するに、時間の問題なのだ(著者の専門は、もともと、応用物理学で、オペレーションリサーチ、金融工学などでの社会工学。意思決定の数理科学ということかな)。。

 


森博嗣『「やりがいのある仕事」という幻想』朝日新書、2013年

2019年08月03日 17時00分29秒 | 

1月1日から8日まで、1日1時間書いて出来上がった新書。若者の仕事の悩みについての合理的なコメント(合理主義的なというべきか)。中だるみもあるが、そうだよなぁと思うことも多い。「仕事が「やりがいのあるもの」なら、いろいろいわずに夢中になってやってるやん。そうじゃないのは、時間を切り売りしているのだから、そう考えれば「やりがいのある」というのは幻想」・・・。

最前線の仕事について語っているところでは、「仕事の最前線というのは、誰も教えるほどノウハウをまだもっていない。ただ、過去の似た例を適用して、自分で工夫や想像をして臨むしかない。この過去の経験だって、なかなか人に伝達できるほど記号化されていない。これを使えることが、すなわち「仕事を覚える」という意味である」→「周囲の人がやっていることをよく観察するしかない」・・・「ついつい、学校のように、すべて教科書があって、先生が教えてくれるものだとい、と勘違いしてしまうのが、この頃の若者の傾向である。この点は意識を入れ替えて法がよい。学校で習ったことは、仕事を観察し、分析し、やり方を知るための基本的な道具だと思う。・・」(164-165)

「結局のところ、「どうだっていいじゃん」と自分に言ってあげられる人が、一人前の立派な社会人になれるのではないか。/「元気を出したら」なんて馬鹿なことは言わない。元気で解決できる問題というのは、そもそも大きな問題ではないからだ。そうではなく、「元気なんか無理に出さなくてもよいから、ちょっと元気のある振りをして、ちょっと笑っている振りをして、嫌々でも良いから仕事をしてみたら? それで金を稼いで、そのあどでその金をすきなことに使えば良い。それが君の人生化も」といったら、身も蓋もないだろうか。・・・そうとしか言いようがないのだからしかたがない。ただ、たいてい、みんなそれで元気になる。僕は不思議だ。理由が、僕には全然わからない。

アマゾンの内容紹介は以下の通り

―働くことって、そんなに大事?― 

私たちはいつから、人生の中で仕事ばかりを重要視し、もがき苦しむようになったのか? 
本書は、現在1日1時間労働の森博嗣がおくる画期的仕事論。
自分の仕事に対して勢いを持てずにいる社会人はもちろん、大学生にもおすすめ。

★著者より★ 
仕事に勢いが持てなくても、
すごい成果が残せなくても、
人が羨む職業に就けなくても、
きみの価値は変わらない
人々は、仕事に人生の比重を置きすぎた。
もっと自由に、もっと楽しく、もっと自分の思うように
生きてみてもいいのではないだろうか。
成功するとはどういうことなのか?
良い人生とは?
すり切れた心に刺さる画期的仕事論! 

■目次
まえがき
第1章―仕事への大いなる勘違い 
第2章―自分に合った仕事はどこにある?
第3章―これからの仕事
第4章―仕事の悩みや不安に答える
第5章―人生と仕事の関係
あとがき


『夢見る帝国図書館』のこと

2019年07月18日 20時53分37秒 | 

以前書いた中島京子の『夢見る帝国図書館』を読み終えた。喜和子さんの敗戦ののちのことがうすらぼんやりとわかりかけてきた。バラック暮らしで、そこで復員兵の2人の男性と暮らし、その一人が『としょかんのこじ』の作者となり、「帝国図書館」の物語を書いているというような・・・記憶は、書き換えられ、美化されたり、また、意図的に削除されたりもしているが、それを裏付けたり、辿ったりするのは、推理小説のようでもあり。合間に、「夢見る帝国図書館」の話題が挟み込まれている。

この鋏み込むというやり方ではなく、このコラムみたいなものをつなげて、第一部として通し、そして、喜和子さんの物語を第二部として通すというやり方もあるのではないかと思ったりした。

とはいえ、敗戦直後の「駅の子」の話が出てきたり、戦後憲法と女性の権利の実現に寄与する話題が登場したり、帝国図書館とそれが見つめてきた人たちの物語が重なって、戦前・戦中・戦後の歴史を考えさせられる小説だった。どう使おうか?

古尾野先生のことは・・・大陸から引き揚げてきて、大阪に着いて駅の周辺ではぐれた経験 「日が暮れてくると、ますます人が増え、厚化粧の女たちやら、物乞いやら、得体のしれない物売りやら、それこそ駅の子と呼ばれた家のない子どもたちやら、そこをねぐらにしたり、客を待ったりしている連中が集まってきて、ひどいにおいが立ちこめて、なにがなにやら判らない」(360頁)古尾野先生は、少し苦しそうに二回ほどしわぶいた。「だって、あの当時いっぱいいたからね。駅の子と呼ばれた戦災孤児がさ。あの子どもたちくらい、ひどいめにあったのはないんだから。大人のはじめた戦争で親も家もなくしてね」(362頁)

それから「夢見る帝国図書館24 ピアニストの娘、帝国図書館にあらわる」はベアテ・シロタの「女性の権利」をGHQ憲法草案に入れる話。「わたしはこの国で五歳から一五歳まで育ったから、すくなくともほかのアメリカ人よりは、この国のことをよく知っている。この国の女の子が十歳にもなるやならずで女郎部屋にいられていることも、女達には財産権もなにもないことも

、子どもが生まれないといういう理由で離婚されてもなにも言えないことも、「女子ども」とまとめて呼ばれて成人男子とあっきらかに差部悦去れていることも、高等教育など受けさせなくていい存在だと思われていることも、おや名決めた結婚に従い、いつも男たちの後ろをうつむきながらあついていることも。わたしは知っている・・・・・・わたしが憲法草案をかくなら、・・・この国の女は男とまったく平等だと書く」(377-382頁)