西島京子『夢見る帝国図書館』を読んでいる。こんな本を書いてみたい。おびには次のように書いている。
樋口一葉に恋をし、宮沢賢治の友情を見守り、関東大震災を耐え、「かわいそうなぞう」の嘆きを聞いたー/日本で最初の国立図書館の物語を綴りながらわたしは、涙もろい大学教授や飄々とした元藝大生らと共に思い出をたどり 喜和子さんの人生と幻の絵本 「としょかんのこじ」の謎を追う。
西島京子『夢見る帝国図書館』を読んでいる。こんな本を書いてみたい。おびには次のように書いている。
樋口一葉に恋をし、宮沢賢治の友情を見守り、関東大震災を耐え、「かわいそうなぞう」の嘆きを聞いたー/日本で最初の国立図書館の物語を綴りながらわたしは、涙もろい大学教授や飄々とした元藝大生らと共に思い出をたどり 喜和子さんの人生と幻の絵本 「としょかんのこじ」の謎を追う。
植木等伝をよんだついでに、その頃のことを関係者の書いた本でも読んでみたいと思って、青島のこの本を古本で購入した。驚いたことに、この本、僕が、はじめて就職した年に出た本だったこと。青島は、番組の作家、俳優でもある(「いじわるばあさん」はこの人が主役)。作詞もやるし、小説も書く(直木賞作家)、映画の監督もやったとのこと。実に多彩なのだが、それで、参議院議員をやって、その後、東京都の知事になって、なんにもやらなくって話題になった人。その青島が、シャボン玉ホリデーの頃のことを回想した本。
いろんな面白いエピソードがかかれているが、植木等のことや、谷啓のことなど、クレージーキャッツのことや、台本や曲の作詞などの裏話が面白い。どたばたで、はちゃめちゃで、そして、なんとかつじつまをあわせて、しかも、それあ面白いとくれば、この時代の人生に学ぶこともできるだろう。景山民夫が解説を書いている。
ひとつだけ、エピソードを・・・植木等が歌った「ハイそれまでヨ」の歌のこと。
もともと、1ばん、2ばんがあって、そして3ばんがあった・・・。それを説明したうえで、「植木屋は持ち唄のメドレーの中でこの唄を唄うことあるが。もっぱら三番の文句だけを使う、しかも頭の二行を一番の歌詞と勝手に入れ替えているが、これは正解だと思う。」といっている。つまり・・・
1番の出だしは、「あなただけが生きがいなの/お願い お願い 捨てないで」ではじまり、「テナコトいわれて その気になって」と続く。その3番は、ちがう頭の歌詞があり、それが「女房にしたのが大まちがい」とつづいて、「掃除せんたくまるでダメ・・・ハイ それまでよ フザケヤガッテ フザケヤガッテ フザケヤガッテ コノヤロー」となるのである。
赤木和重『アメリカの教室に入ってみた』を読んだ。ニューヨーク州のシラキュースの学校事情を、公教育の崩壊と再生、インクルーシブ教育という観点から実態を垣間見せてくれる。面白い本。逆に、日本の教育が、とらわれている側面が明らかになると言うこともある。清水先生と越野先生と一緒に、シラキュースの小学校をまわったことがあった。もう10年も前になるか?貧困地帯の学校は紹介されず、中流から比較的裕福でインクルーシブ教育を推進しているところにいった。それでも、やはり、地域間の格差のにおいはしていたが。いいとこの学校は、フラッグシップとかいって、インクルーシブ教育を進めていたし、そのための資源も豊富だったような印象だった。もっと貧困な地域の小学校の実態を赤木さんの体験は伝えてくれる。
インクルーシブ教育を考えたいと思っている人は読むのがよい! とはいえ、出されてからもう2年もたっており、ぼくもようやく手にとって読んだところ(人間発達研究所などの通信への連載を本にしたもので、その一部はよんだので、まとめて読むことが遅くなった)。
内容紹介は次の通り
こんなにも進んでいて、こんなにも遅れている教育の国、アメリカ―発達心理学者が教室に入り込んで体験した、貧困地区の公教育の実態、さらには小さな私立学校で行われる「超インクルーシブ教育」とは。アメリカ教育の光と影を通して、日本の教育の新しいかたちを考える。
目次は次の通り
第一部 貧困地区の公立学校ー公教育の崩壊
シラキュースという街/貧困地区の公立学校/貧困地区の子どもの体/貧困地区で暮らす子どもの言葉と思考/遊びが消える幼児教育/チャータースクールの光と影/日本との違い/アメリカ公教育の底力
第二部 インクルーシブ教育の異なるかたち
公立小学校におけるインクルーシブ教育の実態/Mind your own business/卒業式/優れたインクルーシブ保育に学ぶ/優れたインクルーシブ保育に学ぶ(その2)/インクルーシブ教育の異なるかたち
第三部 インクルーシブ教育の新しいかたち
小さな小学校とインクルーシブ教育/New Schoolの概要/流動的異年齢教育/流動的異年齢教育を可能にするもの/流動的異年齢教育の意義/インクルーシブ教育の新しいかたち
結び アメリカを通して日本の教室を考える
「ヤンキー君と白杖ガール」第二巻がとどいたので、さっそくよんだ。第一巻の出会いのほうもおもしろかったが、第二巻はそれぞれの「事情」が語られていく。ヤンキー君とともにやってきたハチ子が視覚障害のユキコさんに八つ当たり、それでユキコさんも「ヤンキー君」のことを「ちゅき」といってしまうこと。「ヤンキー君」のこれまで、貧しい中を育ってきたこと、そして、顔に傷をつけられることとそれをしてしまったシシオの事情など。
奈良県教育研究所の教育フォーラムに参加した際、著者の講演を遅れてみた(レイノルズさんは生駒に住んでるんやて)。プレゼンについて、考えさせられることが多かったし、インパクトも大きかった。はじめから聞いておけばよかったと後悔もした。
それで、そこで紹介されていた本を買ってみたら(ガー・レイノルズ『世界最高のプレゼン教室』日経BP社)、これまた面白かった。これは、講演のDVDが集録されていて、本の内容と同じような流れ。考えてみると、90分くらいの講演を整理して、読みやすくして、写真やスライドのビジュアル面も構成の中に入れれば、読みやすい、わかりやすい本になるのだと思う。中心的な考え方は「ストーリーテリング」!!ーこれは重要!!。
ぼくらは、そのような読者にやさしく、プレゼンターになったつもりで、本も書かないといけないと思った。
目次は以下
イントロダクション/なぜストーリーが必要か(ストーリーの「パワー」と知る/ストーリープレゼンとは何か(ストーリーの「構造」を知る/ストーリープレゼンの作り方(ストーリープレゼンをつくる手順を学ぶ)/ビジュアル(スライドをビジュアルで表現する)/話し方(効果的な話し方を知る)/質疑応答(全部で140ページ弱)
岩波明『天才と発達障害』を読んだ。
マインドワンダリングの話があって、それが面白かった(現在行っている課題や活動から注意がそれて、無関係な事項についての思考が生起する現象)。目次は次の通り。
はじめに 天才と狂気/第一章 独創と多動のADHD/第二章 「空気が読めない」ASDの天才たち/第三章 創造の謎と「トリックスター」/第四章 うちに愛された才能/第五章 統合失調症の創造と破壊/第六章 誰が才能を殺すのか/参考文献
講義との関係では、『トットちゃん』(p.47-,p.222)。
ビィトゲンシュタインがオーストラリア人で失読症だったとのこと、アスペルガーとの関係はないのかと思ったりして・・・?
古橋信孝『ミステリーで読む戦後史』をようやく読了した。もともとは、水上勉の『海の牙』が水俣病を取り上げていることから、戦後史の中のミステリー、ミステリーの中の戦後社会問題について、概括的に記述したものとして読み始めた。しかし、この著者も、推理小説のあらすじを描くのがやっかいで放り投げそうになったということを著者も、あとがきで書いているように、この本、小説の概要を示しながら医術がなされているのだから、面白味がない。すじがわからないのであり、わかったら、逆にミステリー自身を読まなくなってしまうのだから、アポリアと言えばアポリア。目次は次の通り
序章 ミステリーとは何か/第一章 戦後社会を書く-1950年代まで/第二章 戦後社会が個人に強いたもの-1960年代/第三章 高度成長した社会の矛盾-1970年代/第四章 新たな世代の価値観と家族の再生-1980年代/第五章 時代に取り残された個人-1990年代/第六章 グローバルな社会、そして問われる歴史-2000年代/第七章 世界はどこに向かうのか-2010年代/終章 ミステリーが語る戦後社会/「戦後社会史&ミステリー史」年表
終章がまとめ、1968年が転換期として『氷菓』がとりあげられて、戦後ミステリーの語る歴史が概括される(pp.171-177)。なお、脊椎カリエスの仁木悦子、松本清張の『或る「小倉日記」伝』(p.72)、水上勉『海の牙』(公害告発:pp.75-77)、小杉健治『絆』(繋ぎとめる家族の絆:p.148)などが、障害関係のもの。
戸井十月『植木等伝 「わかっちゃいるけど、やめられない!」』が興味深い!これは、2007年に小学館より刊行されたものの文庫化されたもの。植木等の父親についての植木の著書のことについては、大学院生時代に生協の書評誌にかいたことがあった。今回は、植木等そのもののである。植木の役柄やその笑いについて、スマートさを巡って大阪と東京の違いを考えたり、高度成長の時代と反権力、それに対する現在の権力にいたる笑い(笑業)・権力にこびる笑い(阿倍首相と吉本の関係など)を思ったり、いろいろ考えるところがあった。それにしても、おおらかな役柄を実はまじめな植木等が演ずるというところがおもしろい。
目次
プロローグ:お呼びでない/第一章:めんどうみたョ(昭和元年~昭和20年)/第二章:だまって俺について来い(昭和20年~昭和32年)/第三章:コツコツやる奴ぁ、ご苦労さん(昭和32年~昭和38年)/第四章:そのつちなんちかな~るだろう(昭和38年~平成19年)/外伝 稲垣二郎かく語りき・谷啓かく語りき・小松正夫かく語りき/エピローグ こりゃシャクだった/解説(津野海太郎)/関連年表
ちょっとやみつきになりそう。青島幸男『わかっちゃいるけど・・・シャボン玉の頃』(文春文庫)や大林信彦『植木等と藤山寛美』(新潮社)などもよんでみたい
保坂正康『続昭和の怪物 七つの謎』をようやく読み終わった。これは、昨年、福岡教育大に集中で行っていたときに読んだものの続編。途中で、新書本が行方不明になり、図書館で借りたが、その日に車の中から購入したものが発見されたという逸話も付け加わった(人生の3分の1は捜し物をしている人間だから)。
内容(目次)は次の通り
三島由紀夫は「自裁死」で何を訴えたのか/近衛文麿はなぜGHQに切り捨てられたか/「農本主義者」橘孝三郎はなぜ5・15事件に参加したか/野村吉三郎は「真珠湾騙し討ち」の犯人だったのか/田中角栄は「自覚せざる社会主義者」だったのか/伊藤昌也哉はなぜ「角栄嫌い」だったのか/後藤田正晴は「護憲に何を託したか」/あとがき
最後の、角栄・伊藤(大平)・後藤田のあたりが興味深かった。
椎野直弥『僕は上手にしゃべれない』は、吃音の中学生の物語。中学に入学して一歩踏み出して、放送部に入部する物語。
目次
序章 言葉が出ない/第一章 「上手に声を出せるようになります」/第二章 はじめての友達/第三章 教科書が読めない/第四章 暗転/第五章 もう君としゃべりたくない/第六章 優しい人たち/第六章 僕は上手にしゃべれません/終章 伝えたいこと/あとがき
第六章 弁論大会の「僕は上手にしゃべれません」という吃音の自己表明の場面はコピーして配付してもいいかなと思う。中高生が読むにはよいよみものかも。大学生も。作者も吃音者。自身の経験と願いが込められている。
この間、自分の若干の吃音を感じている。新しい環境に入ったこともあって、緊張するとうまくしゃべることが出来ないし、そのことを意識してしまう。司会者、料理研究家などなど、吃音の有名人もたくさんいるようだが、なかなかやっかいなものである。この1月、同時期、2つの本が出された。3月、4月と少しずつ読みながら、そうだなあ・・・、困ってしまうなあ・・・なぜなのかなあ・・といろいろ考えるところがある。いずれの著者も吃音の当事者。以下は、アマゾンの本の紹介とそれぞれの目次。
近藤 雄生『吃音: 伝えられないもどかしさ』(新潮社、 2019年1月)
国内に100万人―それぞれを孤独に追いやる「どもる」ことの軋轢とは。頭の中に伝えたい言葉ははっきりとあるのに、相手に伝える前に詰まってしまう―それが吃音である。店での注文や電話の着信に怯え、コミュニケーションがうまくいかないことで、離職、家庭の危機、時に自殺にまで追い込まれることさえある。自らも悩んだ著者が、80人以上に丹念に話を聞き、当事者の現実に迫るノンフィクションである。
目次
プロローグ 18年前
第1章 死の際に立ちながら
マリリン・モンローの悩み
100万人が持つ問題
『バリバラ』番組収録
髙橋啓太の35年
訓練開始
第2章 ただ“普通に”話すために
治療と解明への歴史
治すのか 受け入れるのか
羽佐田竜二の方法
叶わなかった殉職
変化の兆し
第3章 伝えられないもどかしさ
追いつめられたエンジニア
歯科医師の意志
電話番を外してほしい
人生を変えた軽微な事故
吃音者同士のつながり
初めてのスピーチ
吃音だけのせいではない
第4章 新人看護師の死
あまりにも辛い別れ
吃音者に対しての職場のあり方
断念した夢の先
ひどくちらかった部屋
みんなに追いつきたい
唯一の動く姿と声
第5章 言葉を取り戻した先に
うまく話したいとは思わない場所
訓練の果て
吃音がよくなったとしても
第6章 私自身に起きた突然の変化
進路としての旅
神様みたいな存在
「一杯珈琲」
吃音とはいったい何か
第七章 “そのまま”のわが子を愛せるように
子どもの吃音
小さな文字で埋めつくされた連絡帳
なんとかしてあげたいという思い
五年後の表情の変化
エピローグ たどりついた現実
あとがき
菊池良和『吃音の世界』(光文社新書、2019年1月)
吃音は、最初の語を繰り返す「連発」(ぼ、ぼ、ぼ、ぼくは)と、最初の言葉を引き伸ばす「伸発」(ぼ―――くは)と、言葉が強制的に発話阻害される「難発」(………ぼくは)の三種類がある。吃音症の人は100人に1人の割合で存在し、日本では約120万人、世界では約7000万人いると言われている。近年、吃音の専門教育を受けた国家資格である言語聴覚士の誕生、障害者の暮らしやすい社会へ向けた市民の意識の変化、そして発達障害者支援法や障害者差別解消法の成立といった時代の変化の中で、吃音者をめぐる状況にも変化が生じている。幼少期から吃音で悩み苦しんできた医師が、吃音の当事者のみならず、私たちがより多様な社会を生きるためのヒントを伝える。
目次
まえがき
第1章 私の吃音体験
1・1 三つの症状
1・2 吃音の不思議
1・3 吃音を隠す努力
1・4 医者になる決心
1・5 吃音恐怖症
1・6 医師になる
第2章 吃音の発症の原因
2・1 吃音はいつ始まるのか
2・2 悪者は母親?
2・3 一八〇度の転換
2・4 急激な言語発達の〝副産物〟
第3章 吃音治療の歴史と現在
3・1 吃音治療の始まり
3・2 「吃音を治す」から「吃音とどう生きるか」へ
3・3 吃音の軽減法
3・4 薬物療法
3・5 吃音は軽減していく
第4章 吃音外来
4・1 年中 ――「吃音」という共通語を使う
4・2 年長 ―― 吃音はママのせい?
4・3 小学校一年生 ―― 吃音はそのうち治る?
4・4 小学校高学年 ―― 誤解されやすい二面性の疾患
4・5 高校一年生の女子 ―― 高まる社交不安障害
4・6 二〇歳 ―― 難しい就職活動
4・7 四〇代 ―― 吃音で退職を迫られる
第5章 吃音と社会のこれから
5・1 吃音者の社交不安障害
5・2 聞く力
5・3 時代の変化と吃音
あとがき
水俣関係の映像を社会学の先生にお借りして、デジタル化している関係で、是枝裕和『雲は答えなかった 高級官僚その生と死』を読んだ。この本は、『しかし・・・福祉切り捨ての時代に』というタイトルで、ドキュメンタリーで放映され(是枝のはじめてのディレクターの作品、1991年3月12日放映)、その後、1992年に単行本『しかし・・・ある福祉高級官僚 死への軌跡』として出版された。この本は、オーストラリアから帰って、買って読み、研究室に存在してきた。その後、2001年に『官僚はなぜ死を選んだのか 現実と理想の間で』と改題され、文庫版として出された。2014年、それを改めて『雲は答えなかった 高級官僚その生と死』として再度出版されることとなったものである。
理念や理想と現実:政治と行政とそして個人の思い・良心の間の齟齬や軋轢。「車輪の下」にあるものの苦しみと同時に、その下には民衆の苦しみがあり、それをどう車輪に伝えていくのかという個人と歴史があるということだろう。割り切れない・割り切らないということが、評価されない社会。あれかこれかを上からも、下からも突きつけられる。
水俣病という公害、病気や障害をおうた人間の苦しみを思いつつ、国家と独占資本が障害を発生・拡大させるメカニズムが動く社会をどう変えていくか、それは一筋縄ではいかない。批判したり、合理化したりというスタンスで自己を安全地帯においていくのが、自分も含めて大多数ではないかとおもう。
この主人公、山内豊徳の生と死はなにをものがたっているのか。是枝のその後の映画作品の出発点ともなっているのではないかとおもう。
小松左京『小松左京自伝―実存を求めて』は、文庫本の青春期・万博ものと並行して読みはじめたが、ようやく読み終わった。
1931年生まれ、生きていれば今年で88歳の米寿。大阪生まれ、神戸育ちで、旧制三高を1年で新制の京都大学文学部に入学。この間、漫画を書いたり、文学雑誌をつくったり。学生運動の影響で就職がうまくいかず、いろいろあった。この本は作品のまとまりごとでの対談集。ただ、高橋和巳の回想のところは興味深い。子ども向けのものを語っているところで、おとぎ話の倫理性につい触れつつ、「面白い話で子どもを引きつけて、その結論で教訓があるっていうのが、ててもいいなとおもうんだね」と語っている。大阪的には、要するに「オチがある」ということと理解した。芸道小説の生まれる体験をかいたところ、歌舞伎の「信太妻」での短歌書きの場面が興味深い。
「安倍保名が罠にかかった狐を助けて、そお着杖が女に化けてお嫁に来て阿倍清明を産むんだね。ところが行者にばれて、いよいよダメだというときに、障子に「恋しくば たづねて来てみよ 和泉なる 信太の森の うらい葛の葉」って短歌を書いてみせるんだよ。そのときへえーっと思ったのは、最初、右手で「こひしくは」って書くんだ。すると赤ん坊がワァーッと泣く。そしたらぱっと左手に持ち替えて、よしよし言いながら「たつねきてみよ」、そして「いつみなる」を下から上に書いて、バサッと筆を落としちゃう。で、ケーンと鳴くと面をかぶって顔だけ狐になって、「したのもりの」と口で書くんだな。またケーンって声がすると、その女形が逆トンボを切って障子の向こうへ消えちゃわけ。すると裏から照明が当たって、狐の影が口で筆をくわえて裏文字で「うらみくすのは」って書く。これはすごい芸術だと思ってね・(後略)」257-258
この本の目次は次の通り
まえがき
第一部 人生を語る
「うかれな」少年/焼け跡から始まった/空想と文学と恋/小松左京の誕生/万博プロデューサー/日本沈没/不滅のSF魂
第二部 自作を語る
地には平和を/短編小説(1960年代前半) 日本アパッチ族/復活の日 果てしなき流れの果てに さよならジュピター/宇宙小説 継ぐのは誰か?/科学論SF 見知らぬ明日/歴史小説 短編小説(1960年代後半~70年代前半) 日本沈没 女シリーズ こちらニッポン・・・/首都消失/PF小説 評論・エッセイ 映像作品 短編小説(1970年代後半~80年代前半)
特別編 高橋和巳を語る
主要作品あらすじ
年譜
年をまたいで、大澤聡編『教養主義のリハビリテーション』をよんだ。編者は、近畿大学文芸学部で教鞭をとるメディア批評、現代思想史を専門とする、1978年生まれの若手。「教養」を主題にした対談は、鷲田清一、竹内洋、吉田俊哉とのもの。
鷲田との対談は、現代編:「現場的教養」の時代、竹内との対談は、歴史編:日本型教養主義の来歴、吉田とは、制度編:大学と新しい教養の3本で、教養の過去・現在・今後(大学という制度)の全体像の輪郭を紡ぎ出そうとする。対談なので、頭に入りにくいとことがあるが、時々おもしろい。
鷲田との対談の中で、『「待つ」ということ』等の中でいっていることを、大澤が引き合いに出して次のようにいう。
「近代産業社会で重視されたのは、「プロジェクト」であり、「プロフィット(利益)」であり、「プログレス(前進)」であり、「プロダクション(生産)」であって、いずれも「前に」「あらかじめ」という意味の接頭辞「プロ(pro-)」がついている。さきほどの年次計画もそうですが、未来のあるべきッ嬌態を前提にして、そこから逆算していまの行動が決定される。総じて近代社会は必死に前のめりの姿勢でがむしゃらにがんばってきた。近代の立身出世モードを下地に出発した教養主義もどこかこれと相即していたとおもう。人格形成という将来の目標があって、そこにたどり着くまでのプロセスが体系立っていた。けれど、もはや以前ほどの経済成長は見込めず、コミュニティのサイズも適正規模に修正しないとやっていけない時代。前傾姿勢で走りつづけるあり方に限界がきている。そのときどきの関係性のネットワークおなかで、「いま・ここ」をどう組み直すかを判断していかないといけない。ゴールが流動化した時代には、教養も別のモデルを用意しないと行けない。さらにそのとき「わくわく」がそこにあるといい。」
これにたいして、鷲田は「そう、たのしい、おもしろいうということは重要ですね」と応える。
竹内は、これまでの社会史、学歴貴族、教養主義などの歴史研究を基に語る。昨年、教養主義を体現した阿部次郎に関する著書を書いているが、それも読んでみたい。しかし、本が増えるものなあという気持ちもある。教養主義の最後のしっぽに位置する我々の本にたいする思いも揺らいでいる。
いろいろ考えるところもあった。本の読み方だとか、再読の意味とか、精読のすすめとか、しかし、ぼくたちの中にある前のめりの姿勢、「新しいもの」への飛びつき、そうやっているうちに中身が空洞化するという自身の反省もあった。しかし、対談集という形式は、わかりやすいようで、頭に残りにくい。話題と話についていく、そのテンポが合わないのかもしれない。
1年以上前のこと、あるところで、この本のことが話題に上がった。その後、同僚の先生が、この本よんでみたといっていたので、買っておいていた。いつもの調子で、風呂の中で読んでいたが遅々として進まず。ちょど、3連休に、風邪と1年間のつかれで伏せっていたので、布団の中で読んでいたら、とまらなくなった。
服飾デザイナーの水樹が、小・中・高等学校過去を回想する。同級生の家族のことと共に、いろいろなその後が描かれている。裏表紙には、次のような紹介が・・・
デザイナーの水樹は、自社が服飾業から撤退することを知らされる。45歳独身、何より愛してきた仕事なのに……。途方に暮れる水樹のもとに中高の同級生・憲吾から、恩師の入院を知らせる電話が。お見舞いへと帰省する最中、懐かしい記憶が甦る。幼馴染の三兄弟、とりわけ、思い合っていた信也のこと。〈あの頃〉が、水樹に新たな力を与えてくれる―
団地に住む水樹の家は貧しい、そして、高等学校時代の担任遠子が、背中を押してくれて服飾の道へ。おなじ団地に住む同級生信也の弟悠人には、てんかんと発達障害があり、いじめられている。それを守る兄弟。信也の兄の事故死。憲吾の母は心をわずらっており、憲吾はある意味、ヤングケアラーとして母をケアするなかで、信也との友情が芽生える。貧困、障害、ケアなどなどが交差し、物語が展開していく。場所は、京都の向日市、あそこかなとその場が浮かぶ。