以前、頭をひねって、文頭・文末をしりとり形式にした小文を書いた。昨日の「おもちゃ論」で配ったもの
おもちゃ・ちゃめっけ・めっけた!
ある5歳の子ども、小学校3年生の姉のまねをして早口言葉─「となりのかきはよくきゃくくうかきだ」。想像すると恐い話だが、当の本人、してやったりという澄まし顔。これを評して、「支離滅裂」だが、それを聞いたこのちび助は、「しりめくれてる?」。そんなかわいいお尻なら取ってやるとばかりに、どたばたと「しりとり」。表題の「おもちゃ・ちゃめっけ・めっけた」も変形のしりとり。そんな試みは、やんちゃ・むちゃむちゃ・おもちゃ。
「おもちゃ」を創りはじめて、10年になる。もともと、障害をもつ子どもたちとともに、歌って、踊って、おもちゃも創るという大学の教官をめざしてのこと。でも、まっとうな道からはずれ、大学の先生方や学生さんたちから遊んでいると思われているらしい。そういった世間の風評にめげずに、育児や保育の文化の向上に資するものと屁理屈をこねて、はげまなくっちゃ。
「ちゃめっけ」が、子どもの世界から薄れているという実感をもっている。保母さんたちに聞くと、人との関係を結ぶ発達の根っこが細くなっているとよくいわれる。実際、少子化社会ということで、ゆとりをもって人との関係を育む仲間を得るのも難しいし、大人の子育ての意識も変化しているようだ。しかし、子どもと大人の関係も、こまっしゃくれた子どもに媚びるような関係であってほしくない。子どものやんちゃな姿に、すかさずニヤリと次のようにいえるような大人になりたい─「めっ!」。
「めっけた」という発見の喜びは、子どもの胸をワクワクさせる─そんな気持ちにさせるおもちゃを創ってみたい。そもそも、そのような発想は、大人の側に豊かな遊び心がないと生まれてこない。おもちゃの話題を中心にその発想を愉快に語る「おもちゃゆかい」という会を発足させたいと思っている。ちなみに、そんなこんなを詰め込んだ『おもちゃ・コミュニケーション・子どもの発達』(かもがわ出版)をご一読下されば幸いである。
おもちゃ・ちゃめっけ・めっけた!
ある5歳の子ども、小学校3年生の姉のまねをして早口言葉─「となりのかきはよくきゃくくうかきだ」。想像すると恐い話だが、当の本人、してやったりという澄まし顔。これを評して、「支離滅裂」だが、それを聞いたこのちび助は、「しりめくれてる?」。そんなかわいいお尻なら取ってやるとばかりに、どたばたと「しりとり」。表題の「おもちゃ・ちゃめっけ・めっけた」も変形のしりとり。そんな試みは、やんちゃ・むちゃむちゃ・おもちゃ。
「おもちゃ」を創りはじめて、10年になる。もともと、障害をもつ子どもたちとともに、歌って、踊って、おもちゃも創るという大学の教官をめざしてのこと。でも、まっとうな道からはずれ、大学の先生方や学生さんたちから遊んでいると思われているらしい。そういった世間の風評にめげずに、育児や保育の文化の向上に資するものと屁理屈をこねて、はげまなくっちゃ。
「ちゃめっけ」が、子どもの世界から薄れているという実感をもっている。保母さんたちに聞くと、人との関係を結ぶ発達の根っこが細くなっているとよくいわれる。実際、少子化社会ということで、ゆとりをもって人との関係を育む仲間を得るのも難しいし、大人の子育ての意識も変化しているようだ。しかし、子どもと大人の関係も、こまっしゃくれた子どもに媚びるような関係であってほしくない。子どものやんちゃな姿に、すかさずニヤリと次のようにいえるような大人になりたい─「めっ!」。
「めっけた」という発見の喜びは、子どもの胸をワクワクさせる─そんな気持ちにさせるおもちゃを創ってみたい。そもそも、そのような発想は、大人の側に豊かな遊び心がないと生まれてこない。おもちゃの話題を中心にその発想を愉快に語る「おもちゃゆかい」という会を発足させたいと思っている。ちなみに、そんなこんなを詰め込んだ『おもちゃ・コミュニケーション・子どもの発達』(かもがわ出版)をご一読下されば幸いである。