「朝ドラ」を楽しみにするようになってしまった-そんな年になったのだとも思うが、それを認めるのもしゃくである。戦前・戦後の歴史を考えるにあたって、その時代を生き抜いてきた女性達の姿がどう描かれているかに興味がそそられるのだといっておきたい。「ゲゲゲの女房」「カーネーション」「梅ちゃん先生」…そして今年度前期にはじまった「花子とアン」である。
この連続テレビ小説は、「赤毛のアン」を翻訳した村岡花子の半生を、アンと重ね合わせて描くものである。とはいっても、「赤毛のアン」は実は読んだこともないのだが…。
小作農家に生まれた「はな」は、行商をする新しもの好きの父親に連れられて、良家の子女の学ぶ全寮制女学校に給費生として入学することとなる。甲府の山麓の農村からでてきた「はな」にとっては、学校生活は「テッ! ほんとけ」と目を丸くして驚くことばかり。初めて学ぶ英語にはまったくついて行けない。しかし、落第すると退学が決まっている「はな」にとっては英作文の宿題は崖っぷち。思いあまって外国人教師の切々たる恋文をうつして宿題として提出してしまう。そして、それが、その教師の前で披露されることになるのである。心の傷をおった教師に心からのお詫びを英語で語る「はな」。そしてそれが通じたところから、道が開かれていく。英語三昧の「花子」として成長していくのである。
女学校の人間模様には、謎と哀愁を漂わせる年上の葉山蓮子さま、対照的な言語矯正係の白鳥かをる子さまなどの寮生活の中での人間模様も興味深い。葉山蓮子さまは、「やっかいばらいでこの寄宿舎にきた」とされているが、その寄宿舎での「はな」との出会いで人間に対する考え方をかえていく兆しがみえる。ちなみに、この寄宿舎の生活では、「謹慎」は「Go to Bed」である。これらの人間模様のナレーションをするのが美輪明宏で、毎回最後にさらりと発する「では、ごきげんよう、さようなら」の一言は次回への期待を何とも高める存在感を持っている。
「赤毛のアン」は、想像力豊かでお喋り好きな女の子の孤児が引き取られて成長していく物語だと最近知った。お恥ずかしい話であるが、その中に、アンが自分の人生を自分で決める場面での有名なフレーズがあることを教えてもらった。
「あたしがクィーン(学院)を出るときには、自分の未来はまっすぐにのびた道のように思えたのよ。いつもさきまで、ずっと見とおせる気がしたの。ところがいま曲り角にきたのよ。曲り角をまがったさきになにがあるのかは、わからない」
そして、続けて、アンはこういうのである-「でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの…」と。
先の見えない曲り角に直面して不安は誰しもあるであろう。でも、そこで想像の翼を伸ばして、「いちばんよいもの」「すてきによいところ」を思い、前向きに一歩を踏み出すようになりたい。そのような勇気と力をみなの中で培っていきたい。
戦争中、村岡花子は、文学者として戦争に協力をしながらも、密かに「赤毛のアン」を翻訳して、苦しい時代を耐えてきた。難しい時代であっても、想像と心の中の希望の光となるものを守っていきたい、そして、自分の運命を人に委ねず、自分たち自身の道を拓いていきたいと思うこの頃である。
この連続テレビ小説は、「赤毛のアン」を翻訳した村岡花子の半生を、アンと重ね合わせて描くものである。とはいっても、「赤毛のアン」は実は読んだこともないのだが…。
小作農家に生まれた「はな」は、行商をする新しもの好きの父親に連れられて、良家の子女の学ぶ全寮制女学校に給費生として入学することとなる。甲府の山麓の農村からでてきた「はな」にとっては、学校生活は「テッ! ほんとけ」と目を丸くして驚くことばかり。初めて学ぶ英語にはまったくついて行けない。しかし、落第すると退学が決まっている「はな」にとっては英作文の宿題は崖っぷち。思いあまって外国人教師の切々たる恋文をうつして宿題として提出してしまう。そして、それが、その教師の前で披露されることになるのである。心の傷をおった教師に心からのお詫びを英語で語る「はな」。そしてそれが通じたところから、道が開かれていく。英語三昧の「花子」として成長していくのである。
女学校の人間模様には、謎と哀愁を漂わせる年上の葉山蓮子さま、対照的な言語矯正係の白鳥かをる子さまなどの寮生活の中での人間模様も興味深い。葉山蓮子さまは、「やっかいばらいでこの寄宿舎にきた」とされているが、その寄宿舎での「はな」との出会いで人間に対する考え方をかえていく兆しがみえる。ちなみに、この寄宿舎の生活では、「謹慎」は「Go to Bed」である。これらの人間模様のナレーションをするのが美輪明宏で、毎回最後にさらりと発する「では、ごきげんよう、さようなら」の一言は次回への期待を何とも高める存在感を持っている。
「赤毛のアン」は、想像力豊かでお喋り好きな女の子の孤児が引き取られて成長していく物語だと最近知った。お恥ずかしい話であるが、その中に、アンが自分の人生を自分で決める場面での有名なフレーズがあることを教えてもらった。
「あたしがクィーン(学院)を出るときには、自分の未来はまっすぐにのびた道のように思えたのよ。いつもさきまで、ずっと見とおせる気がしたの。ところがいま曲り角にきたのよ。曲り角をまがったさきになにがあるのかは、わからない」
そして、続けて、アンはこういうのである-「でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの…」と。
先の見えない曲り角に直面して不安は誰しもあるであろう。でも、そこで想像の翼を伸ばして、「いちばんよいもの」「すてきによいところ」を思い、前向きに一歩を踏み出すようになりたい。そのような勇気と力をみなの中で培っていきたい。
戦争中、村岡花子は、文学者として戦争に協力をしながらも、密かに「赤毛のアン」を翻訳して、苦しい時代を耐えてきた。難しい時代であっても、想像と心の中の希望の光となるものを守っていきたい、そして、自分の運命を人に委ねず、自分たち自身の道を拓いていきたいと思うこの頃である。