ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

ホープの煙

2017年10月22日 09時16分47秒 | 
森まゆみ『暗い時代の人々』(亜紀書房、2017年)を読んだ。この題名、アンナ・ハーレントの著書からとったもの。戦前の日本での「小さな灯火」をともし続けた人たちのことを記したもの。
取り上げられている人たちは、斎藤隆夫、山川菊栄、山本宣治、竹久夢二、久津見総子、斉藤雷太郎と立野庄一、古在由重、西村伊作である。それぞれにつて、記しておきたいことはあるが、特に印象にのこったひとつだけ。

京都の喫茶店フランソアに集った人たち、その人たちが発行した「土曜日」の記事。おおらかで庶民感覚にあふれた斉藤の文章、「七円と九銭の弁当」のこと。昭和の12年頃、近衛文麿が「社会正義」をかかげて登場。その近衛の弁当の値段をあげて近衛内閣の本質を指摘したもの(その箇所はみてほしい)。
「かように考えれば、近衛さんは日本のホープだと評判はよいけれども、ホープはホープでも、専売局から売り出す両切りのホープで、吸えば煙になるホープではあるまいか」(「土曜日」昭和12年6月20日)

いまの時代も、「暗い時代」となりつつある。言論の自由はなくなりつつあるし、民主主義もあやういのだが、それを冠した政党が、機密保護法、安保法制など戦前回帰の自由と民主主義を圧迫する始末。これまた、たばこにたとえれば、両切りの「ピース(平和)」で、だいぶニコチンが強く、強い刺激のきな臭いにおいを発している。、それに対抗するといってでてきた新しい勢力もどうなのか。「ホープ(希望)」とはいえ、両切りホープ、斉藤が書いているように「吸えば煙になるホープ」。「新しい」「しがらみのない」というが、斉藤が「吸えば煙になるホープ」と書いた暗い時代のにおいがする。


大義なき総選挙の日に

2017年10月22日