ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

クリスマスキャロル

2019年12月24日 11時37分55秒 | 
クリスマスイブだから、ディケンズの『クリスマスキャロル』のことを特別に書いておきたい。
イブの晩、けちで強欲で冷酷なスクルージのもとに、共同経営者だったマーレイの亡霊が現れて予言する。
その夜、スクルージのもとに、3人の精霊が表れ、彼の過去・現在・未来を見せる。
孤独な死の未来、それ以上に、現在は、スクルージの雇っているポップの家、食卓を囲んでクリスマスを祝う一家。足の悪いティム。スクルージは「あの子は生きのびられるのだろうか」と問う。精霊が「子どもは死ぬ」というと、「死んだらいい、そうすれば、余分な人口が減る」と、スクルージが口にしたセリフが続く。さらに貧しい子どもたちの幻に、「この者たちが避難する所、頼りになるところはないでしょうか?」と問うと、「監獄があるんじゃないか?」「貧窮院があるんじゃなかったかね?」と、ふたたび彼自身が口にしたことばがかえってくる。
1843年に発表されたこの小説、産業革命のもと、貧富の差の大きな19世紀イギリスの姿を示すが、しかし、それは今日の社会にも通底するものがある。

とはいえ、「クリスマスキャロル」というと、稲垣潤一の歌しか思い起こさないのが、現代の日本の状況かもしれない。
「クリスマスキャロルが流れる頃には 君と僕の答えも、きっとでているだろう」

斎藤美奈子『名作うしろ読み』中央公論新社、2013年

2019年12月24日 11時37分55秒 | 
斎藤美奈子の『名作うしろ読み』を読んでいる。
小説のはじまりは、よく語られるのだが、「たとえば、トンネルを抜けるとそこは・・・」とか、しかし、その最後は語られない。
その最後の言葉を記して、その小説を簡単に論じるのがこの本のみそ。とはいえ、1つの小説で、見開き2頁なので、そう長くはない。もともと、新聞連載のものをあつめたもの。
この斎藤という人、小説などの解説の解説をしてみたり、最後に注目してみたり、以外と面白い発想をする。
とはいえ、今回の本で考えたのは、文章の最後の部分ということ。
よく、論文の最後の締めをどうするか悩む。結論があるわけじゃない場合もあり、終わり方がわからない・・・。これでいいやという踏ん切りができないときは、だらだらと書いてしまって、結局何が言いたかったのかわからなくなっちゃうという経験を積んできた。
そういう意味での、最後のことばをみてみると、その論文や文章を書いた人の人柄や、躊躇、葛藤などもほんのりと判るのかもしれない。