
「池の水が大きく揺れて周りに飛び出している」と電話で恐怖を語ったのは北海道に住んでいた叔母。その地震は1973(昭和48)年6月で震源地は根室半島沖だった。地震の規模は7~8.5マグニチュードとある。現在のように地震発生と同時にその様子を映像で知ることが出来る時代ではなかった。黒電話が唯一の情報源、無事を確認出来てほっとした。
9年前の東日本大震災は今日3月11日。死者1万5899人、いまだ行方不明2529人、避難生活者を余儀なくされているには4万7737人となっている。災害公営住宅の建設など住まいの復興事業がほぼ完了した一方、震災前と比べて人口が減少し、暮らし向きや地域のつながりについて「復興したという実感は乏しい」、というのはNHKニュース。
地震による津波で東京電力福島第一原発が壊滅し地震の被害を大きくし復興の足かせとなった。原発事故は自然災害にともなう被害として免責する声がある。発災時、結果は別にして現場では死守すべく活動したと思う。装置産業の運転経験からそう信じる。津波対策が不十分だったという内部技術者の声を握りつぶすと同じ災害はまた発生する。
根室に原発はなかった。放射能を心配す必要がなく復旧の足かせは無かった。叔母は、地震の揺れが止まってからも池の水が揺れ続けたと話した。東日本大震災当日の中継録画された映像や直近のレポートを見ると、NHKニュースの「復興したという実感は乏しく」を感じ「復興五輪と喜べるの」と感じた。とはいえ、東北3県の早い復興を心から願っている。阪神大震災から16年後に東日本大震災、それから9年過ぎた、数年後に次が発生しないことを祈る。