AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

峯岸みなみの坊主のヒントは何?(ナッキー)

2013-03-03 23:34:16 | 映画・芝居・ミュージカル・ドラマ
峯岸みなみの坊主のヒントは何?(ナッキー)

2008年8月のアンコール中止事件に既視感を覚えたKCさんは、AKB48以前の作品にヒントを得た秋元康が「やってみたかった」ことを自分がプロデュースするAKB48で実現したと分析した。
「AKB48は観客の要請がないとアンコールを演じないという伝説を得たかったのであろう。それも、実現された伝説。」

同じ論理を援用すると、峯岸みなみの坊主頭にも、AKB48以前の作品にヒントを得たのだろうかと、考えてみました。
男性アイドル、スポーツ選手、政治家が不祥事を起こすと坊主になる例は繰り返されている。しかし、女性アイドルは記憶にない。

作品の中では、一つ思い出しました。
こちらの記事で、「テーマが重たくて、アイドルが輝いて見れなかった」と書いた映画、『リリイ・シュシュのすべて』
映画監督の岩井俊二がインタービューで、次のように発言してます。
「伊藤歩さんが丸坊主で教室に入って来るシーンですね。僕は外でモニターを見ていたんですけど、カットをかけたとたんに歓声が上がったんですよね。初めて丸坊主の伊藤歩さんを見たみんなが号泣しているんですよ。いじめっ子の役をやっている松田一沙さんが「もうこんな映画いやだ~」とか言ってわんわん泣いてしまって大変でした。蒼井優さんももらい泣きしていたんですが、それを見た僕は「カメラ回せ!」とスタッフに言って泣き顔を撮影したんですよ。」

このシーンはよく覚えている。
伊藤歩役の高校生は強姦された翌日、丸坊主になって登校する。それは売春を強要されるのを拒否する意思表示、というのが私の映画に対する記憶です。
この映画の解説を読むと、蒼井優役の主人公は自殺しているが、私にはその記憶はないから、何故坊主頭になったのかの記憶には自信がありません。


もう一つの作品は、『おれたち夏希と甲子園』
NHK少年ドラマシリーズとして放送されたテレビドラマ。1982年8月2日から6日の18:00から18:30放送、全5話。wikiストーリーによると、
野球好きな夏希は女子だが、夢は野球の名門校である星北高校に入り、憧れの荒木投手の球を受けることであった。彼女は両親に内緒で転校し、野球部への入部を申し込む。しかし、女子の入部を認めていなかった監督は、諦めさせるために「入部したいのなら髪を切れ」と条件を出した。その言葉を真に受けた彼女は、翌日実際に坊主頭となり、再度入部を申し込む。彼女の情熱に根負けした監督は入部を認めた。彼女は、実力で捕手として活躍し、徐々にチームワークも強くなり、甲子園を目指していくが… 主演は、愛田夏季。

峯岸みなみの坊主頭のイメージは、youtubeでは悲惨な『リリイ・シュシュのすべて』に近いけど、
笑顔でテレビにでている彼女は、明るい『おれたち夏希と甲子園』に近い。

ナッキー

伊藤歩が坊主になる映像、映画のメイキング
愛田夏季の坊主の画像は見つからず、ユニフォーム姿をリンク 川口市の映像アーカイブで、坊主頭の映像を見ました。AKB48のPVを撮影している監督のインタビュー(トークイベント)を聞きに行った時のついでに。
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アンコール中止事件をシアターで見たという証拠

2013-03-03 22:38:57 | 注目の記事
タイトル
8月13日19:00公演をご覧頂きましたお客様へのご案内

本文
先日のブログエントリーにて総合プロデューサー秋元康より案内致しました、「もう一度ご招待」の予約方法をご案内致します。ご予約は事前メール予約制とさせて頂きます。
対象の公演は研究生公演とさせて頂きます。
なおこのご案内は、公演に当選されました方皆様にご案内させていただいております。   
【予約期間】 希望公演日の2日前の0時~20時   
【メールアドレス】 1m-98@akb48.co.jp   
【件名】 観覧希望日(例:8月16日3回目)   
【本文】 チケットの整理番号とお名前(例:048番/郡司善孝)
※抽選入場対象外で購入されましたお客様は整理番号を入力する欄には「番号なし」と入力下さい  
 8月13日の19:00公演を遠方枠・女性児童枠・カップルファミリー枠でご覧になった方でご希望の方には同じ番号のチケットをお引き換え致します。
ご予約の際、本文に○○枠希望と入力下さい。
記載がない場合は抽選入場枠のチケットをお渡しいたします。
尚、遠方枠をご希望の方は予約期間が希望公演日の5日前の0時~20時となります   
ご予約当日にインフォメーションにて 2008年8月13日19:00公演のチケットを確認致しますのでチケットは大切に保管下さい。   
ご招待の有効期限は2009年1月31日までとさせて頂きます。


アンコール中止公演を観戦していたテッド氏が受信したメールを資料として掲載。KC
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妄想記事を事実のように語るとは狂ってる  というコメントを頂いて(ナッキー)

2013-03-03 20:50:16 | ブログ記事・報道・著作権
妄想記事を事実のように語るとは狂ってる  というコメントを頂いて(ナッキー)

こちらの記事「峯岸みなみ研究生公演出演は、合理的判断でなく情念(嫉妬)が生み出したもの(ナッキー)」に対して、

「妄想記事を事実のように語るとは狂ってる」 というご批判をいただいたが、

このブログは、事実も書いている一方、妄想をいかに事実のように書くかを競っているので、

私の文章力もまんざらではないと、自信をもった次第。

尚、この記事には、読者の中の一部かもしれないが、妄想を事実と誤解する人もいるかもしれないと思い、白字で、
「以上は私の妄想を、もっともらしく、事実のように書いてみたものです。」
と書いております。見えないので、意味はないのではありますが。

ナッキー

このブログで、事実かもしれない妄想を書いた代表作として、2008年8月KCさんの投稿を再録します。

アンコール中止の真相を推理する(1)アンコール中止、見たかった

8月13日私が昼とおやつを見た後、夜公演ではとんでもないことが起こった。アンコール要請がかからなかったという理由で、最後の3曲がキャンセルとなったのである。メモリストによると、アンコールを要請するファンと拒否する主催者のせめぎ合い、最後に涙ながらにメンバー・研究生の挨拶が終わるまでに、20時38分から20時53分までの15分間が費やされた。

最初に私自身の見解を書く。アンコール要請がなければそこでコンサートを打ち切るのは、正しい。そして、当たり前のことである。

私がアイドルのコンサートを見始めたのは、1978年からである。当時からアンコールはあった。しかし、これが、肯定的に評価されていたわけではない。例えば、次のような新聞記事(文化欄のコラム)を読んだ記憶がある。  
「最近のクラシックのコンサートは、本編の演奏の出来にかかわらず、観客はアンコールを要請して、主催者は演奏する。このような予定調和は悪い風潮であり、まるでアイドルのコンサートのようで、不快だ。」

公式HPに秋元康のコメントとして、「アンコールは、お客様のリクエストによって成立する御礼のパフォーマンスであること」と書いてあったのと同じ趣旨である。本来、アンコールがあることは特別なことで、アンコールがないのが普通であったのだ。(過去形)

現在はどうか。アンコールがあることが当たり前である。これはAKB48だけではく、アーティスト系でも、アンコールがないコンサートはない。従って、いかなる理由があっても、アンコールをやらないと、お客に対して失礼となる。アンコールができなかったコンサートのほとんどは、歌手の体調不良であり、8月13日の研究生公演のように要請がないからやらないというのは、芸能ビジネスの中で前代未聞の出来事であろう。

それでは、何故、主催者側は、こんな暴挙をおかしたのであろうか。まず、今回の事件による損失を考えてみると、
1) 金銭的損失 このコンサートを見たお客を招待するので、切符代(2000円か3000円)と人数(250人)をかけると、50万から75万円の損失。
2) 当日見ていたお客さんが、AKB48のコンサートなんて、二度と見たくない、と思ったかもしれない。将来のファン=収入を失う。
3) ネットでの批判が多発。それを読んだ人が、AKB48に対する興味を失う、否定的な評価をすることで、人気が下がる。

秋元康がHPで語っている「演出チームのひとつの目安」を守ることは、これらの損失を覚悟しても、より大事なことであったのだろうか。こんな目安は守らずに、観客が望むアンコールを行う方が、損失を防いで、お客を満足させ、一挙両得であったはず。現場の責任者が安易な選択をしたら、アンコールをやったはずだ。
以上より考えると、アンコール中止は、主催者側が、強い意志をもって実行したとしか考えられない。コンサート会場現場の担当が、マニュアルを忠実に守ってお客に迷惑をかけ、後から上司に咎められたということではない。ここで言う主催者とは、総合プロデューサーの肩書きの(実質的にオーナーと言ってもよい)秋元康であり、彼の指示により実行されたはずである。

主催者側が、アンコール中止を実行するにあたり、一番綿密に検討したのは、中止した場合に、観客を無事に退場させることができるかどうかであったであろう。(以下、企画会議の議論を想像しました。)

激怒したファンが、暴力をふるって場内が混乱し怪我人が出たりすると、今後の公演ができなくなるリスクがある。この事態は絶対に防がなくてはならない。常連ではないファンは動きが読めない。従って、リピーターが一番多い、研究生公演で実行しよう。リピーターは、暴力をふるえば自分が見たいステージが明日から見られなくなることを理解できるだけの理性は持っているだろう。
激怒したファンが暴力をふるう可能性はゼロではない。これは、場内に荷物の持ち込みを禁止することで乗り切ろう。お客から不自由さと200円とられることに文句もでるだろうから、禁止の理由は当局からの要請にしておく。

リピーターの中には、ハプニングを見た、歴史的な瞬間を見たと、喜ぶファンもいるであろう。例えば私がそうである。アンコール中止、見たかった。

実は、私は、もっと大きな疑いを持っている。研究生公演は、アンコール中止という企画を実行するために始めたのではないか、という疑いである。後者が目的で、前者がその手段。
もし、チームA、チームK、チームBのいずれかで、アンコール中止をすると、3つのうちいずれかのチームに、「ファンからアンコールをもらえなかった」ダメなチームという否定的評価(バツ)がついてしまう。研究生公演であれば、発展途上で、至らないこともあるが、アンコール中止という貴重な経験を生かして、成長していくというストーリーが成立する。

そうまでしてアンコール中止を実行したかったのは、何故だろうか。
私は、その理由を推察できているが、本当にこんなこと考えたのだろうかと思ってしまう理由なので、本日のところは書かない。

KC

(KCさんより)アンコール中止の真相を推理する(2)きちんとした事前説明がなかった理由

チームKの「おしべとめしべと夜の蝶々」を初めて聞いた時に、奥村チヨの世界だなあという感想を持った。250人の観客で奥村チヨをリアルタイムで見ていて、連想した人は私以外に何人いるのだろうか、と思いながら見ていた。奥村チヨの曲を知っている人でも、おしべめしべと結び付けて思い出した人はほとんどいないだろう。でも、秋元康は、奥村チヨをリアルタイムで見ているはずだ。詞を書く時にイメージしたかは分からないけど。

アンコールの要請がなければ、コンサートはそこで終わり、が当たり前だと思っている人も、私以外に何人いるのだろうか。これもほとんどいないだろう。でも、秋元康は、当たり前だと思っていたはずだ。「メンバーに、アンコールの本来の意味を学ばせるために、演出チームのひとつの目安としてアンコール中止の基準を用意した」のだから。

秋元康の考え方・基準が、明らかにファンの常識と異なるのであるから、現場での混乱を避けるためには、事前の説明が必要だった。事前説明とは、お客が切符を買う(金を払う)前に周知徹底することである。今回の事件のように、アンコール中止を宣言してから、3分間という理由を説明するのでは、遅すぎる。この点については、お客をただで招待することにしたのだから、主催者側も非を認めている。

事前に告知をするとしたら、HP、カフェの壁、切符の裏に、次のように明確に書いておくくらいのことが必要であった。
「AKB48では、アンコール曲が用意されていますが、お客さんからの要請がなければ歌いません。これは、メンバー・スタッフ一同が、『アンコールは、お客様のリクエストによって成立する御礼のパフォーマンスである』と認識しているからです。従って、入場料は、アンコール前までの曲に対する対価になっておりますので、ご了承下さい。」このように書いておけば、アンコールがない可能性があること、アンコールがなくても切符の払い戻しはしないことが明確になる。何故こうしなかったか、私の推理は文末に。

話題を変えて、私が8月13日のアンコール中止を最初に聞いた時の印象を書く。私の頭をよぎったのは、星陵高校の松井秀喜が甲子園で、明徳義塾高校と対戦した時、明徳が松井を全て敬遠の四球で出塁させ、打たせなかったシーンである。これは、水島新司原作の「ドカベン」で、江川学園の中投手が、明訓高校の山田太郎を全て敬遠して罵声を浴びるというマンガのストーリーと同じことが、現実の高校野球で起こった事件であった。(秋田書店、少年チャンピオン・コミックス 28巻29巻)

研究生公演のアンコール中止を聞いた時に、私は、既視観(デジャブー)を感じた。現実のアイドルのコンサートでこんなことが起きたのは、自分の記憶でも初めてであることは、明確だったので、これは、どこかで同じシーンを、小説か、マンガで読んだのではないか、と思ったのである。アイドルが登場する小説・マンガは、できるだけ読むようにしていているが、残念ながら整理できていないので、自分の部屋にある本から、このシーンを探すことは断念したが、一つだけ、アンコールが題名に入っているマンガを思い出した。

くらもちふさこ 作  アンコールが3回

ネットを検索してみましたところ、アンコール中止のストーリーがあることを見つけました。引用します。

Quote

最後の武道館コンサートが始まってレータがダイヤモンドイズマイベストフレンドを歌ってヨーコがアンコールを拒否して、はい、エンディングですよ、もう終わりますよと言うところで・・・

Unquote

ただし、このお話は、アイドルである主人公が、アンコールを拒否するのであり、お客からのアンコール要請がないから中止するという現実の話とは内容が一致していない。あらすじは、次のサイトが分かりやすかった。
 
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/34734/35430/52948859 

アンコールをもらえない歌手が登場する小説があって、そのシーンを現実のステージで表現してみたいと思った作り手がいて、実際にアイドルグループを作ってしまい、実行しようとした。もしくは、そのストーリー自体を考え付いたのが、作り手自身(秋元康)であり、AKB48のステージのどこかでこれをやりたいと、チャンスをうかがっていた。  
私が想像した、事件の真相は、こんなイメージ。

AKB48の10年間の歴史の中で、アンコール中止は、組み込まれていたストーリーであった。

AKB48はアンコール中止の可能性があるとファンにばれてしまうと、観客が必ずアンコールを要請するので、10年の間に一度もストーリーが実現できない。だから、事前説明をしなかったのである。アンコール中止を、一度、実現するために。

では、作り手のセンチメンタルな想いを実現するために、リスクを冒したのか。芸能ビジネスで、そんなナイーブなことは考えられない。アンコールを中止した方が、長い目で見ると、AKB48にとって、得であるという冷徹な判断があったはずである。   

AKB48は観客の要請がないとアンコールを演じないという伝説を得たかったのであろう。それも、実現された伝説。

ハロプロや、アイドリングとは違う付加価値。いや、キャンディーズ、おニャン子クラブ、東京パフォーマンスドール、SPEEDでもこんなことはなかった、アイドル史上初めての歴史の一瞬。

KC
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峯岸みなみ坊主youtube、読者の感想

2013-03-03 20:21:45 | AKB48
読者からいただいたコメント
「非常にたとえが悪いのですが、もうあそこまでいくと、
 残っている衝撃的なトピックはメンバーの自殺くらいではないか、
 と一瞬思うくらいに驚きました。」

これは私の
「ある坊主頭の痛々しさは、1971年南沙織の17才から始まったアイドルの歴史の中で、岡田有希子の自殺に匹敵する。」

それとピーナッツ氏の
「これ、言い方を 1歩手前で止めとくけど、" (手首に作った傷を見せて) AKBを辞めたくないです!"…この可能性が出てきた、いや、作ってしまった…ってことだよ。
女の子の突発的行動をナメない方がいい。」

と相通じる感想で、多くの人が共通の思いをいだいたのである。KC
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