AKB48 チームBのファンより

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NBM48『てっぺんとったんで!』で考える、ジグザグ打線の有効性。(ときめき研究家)

2013-03-17 06:00:00 | ときめき研究家
WBC日本代表は、右打者と左打者を交互に並べる「ジグザグ打線」を敷いていた。しかし、日本国内での練習試合やWBC本戦の1次リーグでは、その自慢の打線は貧打に苦しんだ。結局「ジグザグ打線」にこだわらず、調子のいい選手をいい打順で使うようになってから、打線も繋がり、準決勝進出を決めている。
「ジグザグ打線」の利点は、相手投手をリズムに乗せないこととされている。投手にとって、右打者への攻め方と左打者への攻め方は異なるから、それが交互に出て来ることから、同じペースでスイスイ好投することが難しいという訳だ。
しかし、今回、投手出身の解説者の一人は、「左打者に打たれた後、続けて左打者が出て来ると嫌だった。右打者に変わる方が気分が変わっていい。」というようなことを書いていた。
一長一短。要は「ジグザグ打線」が絶対的に有利な作戦ではないということだろう。

NMB48のベストアルバム『てっぺんとったんで!』で、NMB48のシングル曲を順番に聴いていくと、「ジグザグ打線」であることに気づく。
『絶滅黒髪少女』→『オーマイガー!』→『純情U-19』→『ナギイチ』→『ヴァージニティー』→『北川謙二』。アナクロ純情路線の曲と、さわやか青春路線の曲が、見事に交互にリリースされている。

これとよく似た事例が過去にある。それは中森明菜だ。
『スローモーション』→『少女A』→『セカンドラブ』→『1/2の神話』→『トワイライト』→『禁区』。清純少女のバラードと、ツッパリ少女のロックが、交互にリリースされた。
デビュー曲『スローモーション』はスローなバラードで、明菜の歌唱力が存分に発揮され、中ヒットになった。2曲目『少女A』は、一転してツッパリ少女の「じれったいじれったい」という思いを激しくシャウトして、大ヒットした。山口百恵の後継者とも言われた。しかし、ツッパリ路線オンリーではアイドルに清純さを求めるファンには抵抗感もあり(これは三原順子の伸び悩みで実証されていた)、中和する意味合いで3曲目はまた清純路線の『セカンドラブ』をリリース。その次は、またツッパリ路線の『1/2の神話』。
中森明菜の戦略は、彼女の二面性を明確に出して行くことで、幅広いファン層を取り込むことだったのだろう。この戦略は、1曲1曲にそれぞれ魅力がないと成り立たない。むしろアイドル本人のイメージが中途半端になってしまって逆効果だろう。「ジグザグ打線」が単に右打者と左打者を交互に並べればいいのではないのも同じだ。それぞれの打者に力があり、状態がよくないと成り立たない。
その戦略の効果も手伝ったのか、『禁区』の頃には、松田聖子と並ぶトップアイドルになっていた。その後は、こうした「ジグザグ」にはこだわらず、よりバラエティに富み、複雑な楽曲を次々にリリースし、更にパワーアップして行ったのは周知のところだ。

NMB48が、デビュー曲から「ジグザグ」戦略を取った意味も、同様と思われる。AKB、SKEという既存のグループとの差異を出すために『絶滅黒髪少女』のようなアナクロ純情路線を打ち出したのだろう。しかし、それだけではキワモノであり、AKBグループのファンが総じて好む『オーマイガー!』のような曲もあるんだということも見せながら、NMBらしさを定着させて来たのだと思う。
これからもNMB48は「ジグザグ打線」で行くのだろうか。中森明菜の例を引くまでもなく、いつまでも「ジグザグ」を続ける意味はない。もっと多様な曲が出て来ることを予想する。『HA!』などは、その予告編なのだと思う。

ところで『てっぺんとったんで!』は、ベストアルバムとは言いながら、収録曲を替えて3種類発売されている。シングルCDと同じ手法を、アルバムにまで導入して来たのだ。恐るべし。
シングル曲と新曲の『てっぺんとったんで!』『12月31日』、それから人気曲の『HA!』『NMB48』『青春のラップタイム』『僕は待ってる』は全タイプに収録されていてまだ良心的だが、その他数曲、タイプ毎に異なる曲が収録されている。それらの曲はオマケということだろう。やれやれだ。
また、付録が豪華。タイプNとタイプMにはそれぞれ、昨年違う日に行われたコンサートの全曲が収録されたDVDがついている。ライブDVDとして単独で発売してもおかしくない内容で、大判振る舞いだ。
付録につられて複数タイプを購入する人も多いだろう。

『12月31日』について一言。
私の嫌いなタイプの「自己言及ソング」だが、1番の歌詞だけ聴けば、上京して一人暮らしをしている普通のOLが、寂しい大晦日を過ごしている歌と解釈できなくもない。2番の「今年こそ絶対あの場所に立っている」「あの屈辱」という歌詞は、どうしてもNMB48自身のこととしてしか解釈できない。最後まで普通のOLの歌と解釈できる余地を残してほしかった。

コメント (1)
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