発泡山軽便鉄道 雑記帳

鉄道模型(主に猫屋線)をいじりながら、風景・鉄道写真などを中心に気ままにアップしている、とりとめないブログです。

終了

2018年04月26日 | スライドショー
丹波で契約しているADSLのプロパイダー契約が今月(4月)末で終了、5月から新たに光を導入し、別プロパイダーと契約!、、、するつもりだった。

新プロパイダーとはすでに契約済みなので問題ないが、問題なのは光回線。

当初の予定では、4月4日に回線工事使用開始のはずだったのに、3月末になって、NTT光から、工事が立て込んでいて、とても4月中には出来そうにない、5月にずれ込むかも、というまるで詐欺のような電話があり、今日現在音沙汰なし。

ADSL解約は1か月単位でないとできないため、4月末か5月末の解約しかできない。大阪の事情が激変したため、4月末解約はそのままにして、光工事を待つことにした。

というわけで、丹波のパソコンから打つブログもしばらくはお休み。せっかく軌道に乗り鰍ッたスライドショーも、本日分でしばらく中断。

5月中旬ごろに光が開通していればいいのだが、望みは限りなく小さい。

GW前の入院なんで、今夜大阪へ帰ったら、GW明けまで戻ってこれないかもしれない。

という内容を最後にして、丹波のパソコンからADSLで発信するブログはこれにて一旦終了。

https://youtu.be/rkNNaSv_MSw




今回のスライドは、白黒フィルムです。



奈良線

2018年04月23日 | 動画(写真)撮影
少し前に大阪へ帰る際、京都から近鉄特急乗り継ぎをやった際に、気になった奈良線で次の週帰ってみた。

何が驚いたって、奈良線京都駅の賑やかさ。
キハ35の時代は、ホーム1面1線の単なる終着駅に過ぎなかった奈良線ホームが、隣にあった留置線をつぶして、なんと2面3線の頭端駅に成長していたこと。

さらに外国人観光客の多いこと。

それにひきかえ、走っている103系の貧弱な事。驚いたことにこの線を走っている(というか、生き残った)103系、見事なまでに古いやつばかり。環状線を走っていたあの高級な改造車なんか、全く見ない。
そして新たに配属されたのが、高級改造車や201系を飛び越して、阪和線で走っていた205系1000番台。
しかし帯の色も変えず、阪和仕様のまま。

205系の帯の色はともかく、103系ぐらい高級改造車に置き換えることぐらいできたと思うのに、なぜ?

と思った奈良線だが、いざ乗ってみるとキハ35や105系が走っていたころの面影なんか、ほとんどない。衝撃的だったのは、木津。電化されたころには、だだっ広い構内の側線に、大量のキハ35系が廃車待ちしていたことぐらいしか印象になく、その先は見渡す限りの丘陵地だった気がする。
今回、30年ぶりぐらいに見てみたら、、、恐ろしいほど宅地化が進行していた。

東福寺駅、左が奈良線、右が京阪本線。国鉄時代は、ホーム上に京阪・国鉄の仕切りがなく、そのまま対面同士で乗り換えできていた。今は階段を上がり下がりしなくてはならにない。


この駅の反対側は住宅地。道路を支える鉄の橋脚が不思議な感じを醸し出している。


黄檗(おうばく)駅付近でも、京阪宇治線と並走する区間がある。左京阪、右奈良線。
一見複線のように見える奈良線だが、実は単線。部分複線があるというだけでも、奈良線が進化しているのが分かる。


木津駅の古いホーム屋根。しかし右手の風景は、驚愕の世界。


上の写真の左手のホーム建屋の横から、片町線が左へ分岐。しかし線路横の風景は、一変している。
https://youtu.be/dhuSVXZux9k


再入院!?

2018年04月20日 | なんやかや・・・
水曜日の昼前に、ケアマネージャーから電話。

平日のこんな時間の電話なんか、ろくなもんじゃない、と思っていたら案の定、母親が火曜の夜、家の中でこけて、腕の骨を骨折。近くの整形外科で応急手当てしてもらった、またそこでは十分対処ができないので、府立病院で検査の手配もした、その検査日が明後日の20日(つまり今日)なのだが、同伴できるかとの連絡。

OKの返事をし、昨日午後には家に帰り、「検査するぐらいやったら死にたい。」「長生きしても痛い目に合うぐらいやったら、とっとと死にたい。」等々のボヤキを聞きながら、本日の検査。

朝9時過ぎに介護タクシーに迎えに来てもらい、病院へ入ったものの、すべてが終わったのは午後3時過ぎ、、、。

結果、来週木曜日に手術、水曜日に入院、月曜・火曜と、手術前の説明、検査という段取り。

あれ、来週の予定が、、、。水曜夕方に、膝の治療があるので、向こうに帰らなくてはならない。模型屋さんも行きたいし、4月で店じまいする喫茶店にも行きたい。これはどうしたもんだ?

そうなることまでは予想していなかったが、実家にはまっすぐ帰らず、住吉大社経由で帰ってきた。ま、阪堺電車を撮影して、気分転換を図ることが目的でしたが。



住吉から住吉鳥居前まで、しっかり境内を通ってきました。そのまま南港通りまで抜けて、市バスで5分少々。この南港通りの市バス路線は、意外に使い道があるかもしれん。

で、来週どうしよう?

吉野線とボンネットバス

2018年04月18日 | スライドショー
スライドショーも3回目。CD化する前のネガ整理がこんなに大変だったとは、、、。

今回は近鉄吉野線と、よく考えれば最初で最後であったろうバス路線の2本。スライド化するにあたっていろいろ調べてみると、もうこのバス路線はない、バス車庫はないなど鉄道に隠れるようにしながら廃止されていったバス路線も結構あるのね。


それにしても昔はよく歩いてたものだ、、、。

https://youtu.be/NCD8D9c6Mho

もう、寝る…(-_-)zzz

58入線!

2018年04月15日 | 9mm車両
遅くなったけど、和田山の模型屋さんで、キハ58系とその一族たちシリーズを一挙に買ってきた。


これがその内容。下のケースが4両セット。なんと4両なのに7両用ケースに収まっている。その上の単品シリーズ、左の3両(65・58・28;T車)が4両セットと合体して『急行編成』を組むもの。対して左の6両のうち上3両のタラコ35はたぶん最後のタラコ増備車。その下の3両の58は、入線した時点で「普通列車専用」が決まった分。普通列車用としては4両編成位を基準に組成を考えているが、カプラーの問題が、、、。


4両セットの中身。驚くのは行先表示の多さ。単品が、四国・九州に偏っていたのが、セットではそれ以外の東北~近畿がたくさん。単品1両とセットの4両で、東北~九州まで表示類はそろう。もちろん「きのくに」もある。

で、いち早く出来上がった『急行編成』

やはりキハ65は先頭にしたかったし、動力のキハ58は、編成中央に来るように考えさらに運転台の向きを車番の奇数・偶数でそろえてみると、こうなった。奇数向き先頭車が少ないため(58の動力車;セットの物と、28の単品の2両)、65(偶数)を片側の先頭にすると、反対側は28(奇数)にしかならない。ただこうすると、前面幌やジャンパ栓の取り付けがどちらか一方で済む。

急行編成は、カプラーを変える必要がないので、あとはステッカーと幌とジャンパ栓の取り付けという、老眼には悪い作業しか残っていない、、、。
カプラー交換を伴う普通編成は、まだまだこれから。

そしてこれらキハ軍団とは別に、こんなのも買いました。

鉄コレ京阪3000系は、本当に展示用コレクションとするために買ったもので、動力化はしない。パンタだけを変えたら車輪も変えず、展示用としてレイアウトのどこかに展示するつもり。まだ8000系が登場する以前、夜9時過ぎの特急が3連で走っていたのを、1回だけ見たことがある。その時の驚きを展示コレクションとして、、、。

ウエザリングマスターはもちろんキハを汚すため。

ちょっと変形した白のマスキングテープは、「ホームの白線用に使えるで、あ、今は黄色か、ま、変形してるから、あげるわ」と模型屋のおじさんからのプレゼント。

カプラーセットがまだなので、普通列車用キハ(KATO・TOMI)のカプラー統一作業はこれから。特にTNのKATO化は結構手ごわいかも。