●第6部 断層からの異議 新潟日報 特集
地盤問題を主な争点に1979年から続く東京電力柏崎刈羽原発1号機設置許可取り消し訴訟。昨年7月の中越沖地震は、国の安全審査を妥当として、取り消しを求める住民側を退けた1、2審の判断の前提を根底から揺さぶった。安全審査が認めた最大地震の揺れの想定を覆し、法廷でほとんど論議されなかった「海底」に震源があったという事実を突き付けたのだ。住民側の上告後に起きた地震。最高裁は海底深くの「断層からの異議」をどう受け止めるのか。提訴から30年目の裁判を検証する。
第1回 法廷の限界 (2008年04月26日掲載)
抜け落ちた「海底」論議 国側の新データ出ず
争点化回避も“戦術”
写真上方に見える信濃川西側の地下には長岡平野西縁断層帯が連なる。柏崎刈羽原発1号機訴訟の控訴審までの法廷では、陸域断層をめぐる論戦が続いたが、海底断層は争点に上らなかった=16日、本社ヘリから
「裁判官は法廷に出された証拠の範囲内でしか判断できないから」。柏崎刈羽原発1号機訴訟で新潟地裁の一審判決を書いた当時の裁判長、太田幸夫(65)は一般論と断りながら語り、もどかしさをにじませた。
中越沖地震は海底にある断層が引き起こしたものだった。しかし1、2審を通じてそれが争点に浮上することはなかった。控訴審が開始から10年目を迎えていた2003年、被告の国側は同原発周辺海域の活断層に関する新たな情報を得ていたにもかかわらずである。
新たな情報とは経済産業省が同年6月に東電から受けた過去の海底調査データの再評価結果の報告だ。複数の断層について、従来の評価を覆し、活断層の疑いが強いと確認した内容だった。その中には、中越沖地震の震源断層とつながる可能性がある「F-B断層」=3面の図参照=も含まれていた。しかし、原発の耐震性に影響はないとして公表されず、法廷に出されることもなかった。
裁判は、住民側が次々と投げ掛ける疑問に国側が反論する構図で展開した。その中で、場合によっては不都合なデータ開示は控えるという戦術も成り立つのが民事裁判だ。
経産省で現在、1号機訴訟を担当する原子力安全・保安院訟務室長の畑野浩朗(44)も「当時の訴訟担当者が(再評価結果を)知っていたかどうかは分からない」とした上で、こう説明した。
「訴訟では戦術がある。ある資料を持っていても相手から問題提起がなければ、すべての情報を出す必要はないという判断もあり得る」
しかし、そうした戦術は放射能漏れの重大事故の危険をはらむ原発の安全性を問う裁判にも適用されるものなのだろうか。
現在の民事訴訟制度は「弁論主義」を取り、事実や証拠を示す責任を当事者に委ねる。訴訟では通常、訴えを起こした原告側が主張の内容を立証しなければならない。しかし、原発をめぐる裁判では、最高裁が四国電力伊方原発訴訟などで、被告となった国や電力会社も立証責任を負うという判例を示しているのである。
住民側代理人を務める弁護士の川上耕(60)は「国が再評価結果を明かさなかったのは不当だ。公表されていれば、海の問題も法廷で議論することができた」と批判する。
控訴審までの法廷論争の盲点を突いた上に、訴訟制度の限界をもあらわにした中越沖地震。判決を出した元裁判長にも重い問い掛けとなっている。
◎「お墨付き与えたのか」 判決下した裁判長自問
柏崎刈羽原発1号機訴訟。その1979年7月の提訴から控訴審までの法廷で、海底を震源とする地震の論議はなきに等しかった。2007年7月16日に発生した中越沖地震は、かつての裁判長にも思いもよらぬ事態だったに違いない。しかし、「裁判官は弁明せず」の不文律を盾にその口は重い。
中越沖地震の約2年前の05年11月22日。2審東京高裁は「(国による)安全審査の判断の過程に看過しがたい過誤、欠落は認められない」として1審判決を支持した。当時の裁判長で内閣府情報公開・個人情報保護審査会委員を務める大喜多啓光(66)は「判決で言い尽くしている。話すことはない」と取材を拒んだ。
一方、一審で裁判長だった太田幸夫は振り返りながら自問する。「判決は(国の安全審査などの)行政判断にお墨付きを与えたことになるのだろうか。私の中で整理がつかない」
今春から駿河台大学(埼玉県)で法学部教授を務める太田。やはり取材には難色を示し、「あくまで一般論」とした上での述懐だ。
太田は1審で計3冊、1150ページにも及ぶ判決文を書いた。15年にわたる膨大な裁判記録を基に、耐震設計で考慮すべき活断層はどこか、長さの評価に誤りはないか。数多くの争点について見解を論じた。しかし、争点には海底断層は入っていなかった。
提訴当時は海底断層の研究が進んでいなかったという事情もある。
中越沖地震に話題が及ぶと太田は言いづらそうに、こう漏らした。「裁判官は神様ではない。判決の後に起きることは分からない」
これまでの訴訟を元裁判長が詳しくは振り返ろうとはしない中で、原告の住民側は、情報量に勝る国に対抗する厳しさをあらためてかみしめている。
「私たちが主張の基にしていたのは陸域の断層ばかりだった。一般市民に海の底まで調べるすべはなかった」。代理人で地盤・地質問題を担当する弁護士の川上耕は、海域の問題が弱点だったことを打ち明ける。
提訴後、国の安全審査で海域調査が十分でないことを追及するため、専門家に相談を持ち掛けた。しかし、具体的に法廷で主張できる材料をそろえることは、ついに実現できなかった。
(文中敬称略)
◎柏崎刈羽原発1号機訴訟
国が1977年9月に東京電力柏崎刈羽原発1号機の設置許可を出したことを受け、同原発に反対する住民らが異議申し立てを申請。国による保留が続いたが、79年3月の米国スリーマイル島原発事故の発生を機に、住民らが同年7月、当時の通商産業相を相手取り提訴した。それまで東電と住民との間で続いていた同原発の地盤論争も、主要な争点となった。新潟地裁の一審は94年3月までの15年間、東京高裁の控訴審は2005年11月までの11年間争われ、いずれも住民側が敗訴した。同年12月に住民側が最高裁に上告している。
◎司法判断と現実に落差 中越沖 地震動想定の2倍強
東京電力柏崎刈羽原発1号機設置許可取り消し訴訟で、1審新潟地裁と2審東京高裁の両判決が認めた国の安全審査の評価と、中越沖地震がもたらした事実とで生じた食い違い。原発が設計時に想定した地震動については特に落差が大きい。
中越沖地震では、1号機の基礎版上で観測された揺れの強さを示す加速度は680ガルだった。一方、1994年の1審判決は「柏崎刈羽原発で将来発生し得る地震による最大加速度が220ガルのところ、耐震設計で300ガルとした。十分余裕がある」として国の審査を妥当と判断した。
2審東京高裁では、2004年に起きた中越地震の際、川口町や小千谷市などで観測された千ガル以上の加速度について法廷で議論になった。住民側は「中越地震と類似の地震が原発の近くで発生すれば(同原発の想定地震動の)300ガルの2-4倍になる」と主張した。
これに対し、東京高裁は05年の判決で「地震の揺れは地盤の種類、性質によって異なる。柏崎刈羽原発における推定最大加速度は220ガルだ」との判断を示した。
地震動のほか、東京高裁が判決で示した「長岡平野西縁断層帯」の評価をめぐる判断も揺らいでいる。
04年、政府の地震調査研究推進本部(推本)が、全長80キロ超の同断層帯が一体として動き、マグニチュード8規模の大地震を起こす可能性を指摘した。しかし、東電は1975年の1号機設置許可申請時から同断層帯が一体として動くことを考慮せず、国の安全審査もそれを妥当と認めていた。
東京高裁は判決で「(推本の評価より)審査の活断層評価がより詳細なデータといえる」と判断。同断層帯の一体としての活動を考慮していない国の審査を合理的だとした。
東電は中越沖地震を受け、柏崎刈羽原発の耐震設計で同断層帯が一体として活動する可能性も考慮することに方針を転換した。 |