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◆ソフトボールほどに育ったメロンの実/ミニトマトやキュウリ、いんげんは食べ始めている。
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◆昨日の午後に抗がん剤を点滴。そのあとは「左肩から腕に突然襲ってくる激痛」は全く無い。素人考えでは、がん細胞がビックリして縮小し、神経を圧迫しなくなったから/入院4日目
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◆今日は「抗がん剤カバジタキセル」の投与/なんの不快感も、吐き気も、疲労感もありません/入院3日目。
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◆日本緩和医療学会/がんの患者さんの多くは医療用麻薬の使用を恐れている /麻薬中毒のイメージから敬遠され、痛みを我慢して過す方も少なくない
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◆恐れていた被災現実に/国策の影 説明会拒む/国、電力の密接ぶり/浜岡原発計画に反対の要請書
●原発・高レベル放射性廃棄物地層処分問題
/
2008-12-24
昨日のブログは、「浜岡原発・廃炉と新設/新潟柏崎原発訴訟は最高裁/『耐震』という激震 」として、原発のことについて触れた。
そこでリンクした新潟日報のとてもいい記事。
7回シリーズでインターネットに載っている。
中電の姿勢の問題をあぶりだすためにも、2回目から4回目を読んでみる。
昨日、12月23日のブログ
⇒
◆浜岡原発・廃炉と新設/新潟柏崎原発訴訟は最高裁/「耐震」という激震
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●浜岡原発計画に反対の要請書
NHKニュース 2008年12月22日 19時48分
中部電力が浜岡原子力発電所の1号機と2号機を廃炉にし、6号機を新設する計画を地元の自治体に伝えたことを受けて、原発に反対する団体は、計画を受け入れないよう求める要請書を静岡県に提出しました。
要請書を提出したのは、浜岡原発の運転差し止めを求める裁判の原告などでつくる団体で、22日午後、静岡県庁を訪れ、石川知事あての要望書を担当者に手渡しました。この中で、団体側は「東海地震の震源域の真上で、原発が現在も稼働し続けていること自体がきわめて異常な事態であり、増設計画はいかなる理由をもってしても受け入れることができない」と訴え、増設計画を受け入れないよう求めました。
このあと記者会見した裁判の原告団の白鳥良香団長は「原発の新設は許し難く憤りを覚えている。1号機と2号機の廃炉について中部電力は経済的な理由をあげているが、これまでは耐震補強をして使い続けると言っていた。原発が東海地震の揺れに耐えられないことを認めたと考えられる」と述べました。
●第2回 原告の胸中 恐れていた被災現実に
新潟日報 2008年04月27日掲載
2度の地震で被災し、やむなく取り壊した自宅跡地に立つ佐藤武雄さん。柏崎刈羽原発1号機訴訟の一、二審で原告となった。裁判は反対運動を継続させるための手段でもあった=8日、刈羽村刈羽
「裁判で訴えてきたことが現実になった。でも、2度も地震に襲われ、ひどいじゃないかとも思う」。肌寒さの残る4月上旬の刈羽村。東京電力柏崎刈羽原発1号機の設置許可取り消し訴訟の1、2審で原告に加わった佐藤武雄(78)は、更地と化した自宅跡に立ち、胸中を語った。
原告の住民側は裁判を通じて国や東電の地震想定の甘さを指摘してきた。中越沖地震の揺れが同原発設計時の最大地震の想定をはるかに上回った事実を挙げ、「主張の正しさが証明された」と口をそろえる。しかし、地震は同時に大きな苦しみをもたらした。
佐藤は3月、木造2階建ての自宅を建て替えのため取り壊したばかりだ。2004年の中越、07年の中越沖の両地震でともに半壊の被害を受けた。「中越のときは直したが、中越沖でずたずたになってしまった。もう住めない」
独身だった20代のとき、自ら切り出した木材で建てた家だった。「努力した汗の結晶が無残に壊されて…」。佐藤はそうつぶやきながら、足元の土くれをつえでつついた。
原告のほとんどは柏崎刈羽地域の住民であり、中越沖地震の被災者だ。1審新潟地裁の原告は判決時で282人に上る。多くが当時の労働組合メンバーでもあった。費用に加え、心理的な負担も重なる原告を組織が支えていたのは事実だろう。
だが、原告代理人の弁護士和田光弘(53)は「一見、組合員が多いので政治的な訴訟と見られがちだが、それぞれ思いがあった」と語る。
当時は柏崎市職労の執行委員として1審の原告になった同市危機管理監の山田信行(59)は「あのころは原発は人間社会と共存できない、造っちゃいかんという思いがあった。(組合員という)立場上、流されたわけではない」と力を込めた。
地元の郵便局に勤めていた佐藤も全逓の組合員だった。しかし、原発の反対運動に加わったきっかけは別にある。「地元の女性たちが集めた原発反対の署名を(集落の)区長が独断で握りつぶした。ひどいと思って手伝うようになった」
放射能漏れという危険が付きまとう原発の存在自体と、設置を進める電力会社や国の姿勢への不信から生まれた反対運動。訴訟はその延長線上にあった。
反対派が法廷闘争に踏み出したときには、原発建設の巨大プロジェクトは既に動き出していた。
◎「戦線狭まっていった」 進む工事に提訴を決断
1980年5月16日は前日の雨を引きずるような曇り空だった。反対派の中でも地質に詳しかった武本和幸(58)は、柏崎刈羽原発1号機原子炉が据え付けられる岩盤の上に立っていた。
設置許可取り消し訴訟を新潟地裁に提訴してから10カ月後。裁判所による現場検証に、原告の1人として立ち会っていた。
砂丘地を削った巨大な穴の地下40メートルの底で、武本は岩盤に浮き出ている実物の断層を凝視した。「もう埋まっちゃうから、よく見るんだと懸命だった」。裁判官が脇で原告、被告から説明を受けていたが、話が耳に入らないほど集中していた。
国の岩盤検査が終わっていたため、東電は基礎を造るコンクリートの流し込み作業を急いでいた。現場検証は、その工程のわずかなすき間を縫って行われたのである。実際、その日の午後に流し込み作業が始まった。
武本ら原告は検証で、別の断層が見えるという斜面にも裁判官を案内した。しかし、既に土で覆われ、木が植えられていた。
原告の意向とは関係なく、着々と進む原発建設工事。それは、裁判の証拠が次々と消えていく光景のように映った。法廷闘争へと踏み切ったのは、積み上げられる既成事実にあらがうためでもあった。
「絶対に原発を造らせない実力阻止闘争をやっていたが、戦線はどんどん狭められた。それで裁判をやってもいいのではないか、となった」。柏崎市議で現在も原告に加わる矢部忠夫(65)は記憶をたどる。
国の設置許可が出た77年以降、建設予定地では反対派の設けた「団結小屋」が撤去され、敷地境界に有刺鉄線が張り巡らされた。手の届かない場所で工事が本格化した。「できる運動は集会ぐらいになった」と矢部。体を張った運動には限界を感じていた。
だが、裁判に消極的な声も少なくなかった。「どうせ勝てないのだから意味がない」。法廷で闘う相手として国はあまりに強大だった。それでも提訴を決断したのは「裁判を公開討論の場にしたい」との思いだった。
武本は今、こう言い切る。「勝てるとは初めから思っていなかった。原発建設は間違いだ、と公開の場で明らかにしていく考えだった」
2審まで原告に加わった佐藤武雄は「裁判は反対運動の一部でしかない」と話す。原告にとって原発訴訟は、建設工事が加速する中で、運動の火をともし続ける一つの手段だった。 (文中敬称略)
◎柏崎刈羽原発訴訟の原告
東京電力柏崎刈羽原発1号機の設置許可取り消し訴訟を提訴したのは、原発に反対する住民や労働組合で構成する「柏崎・巻原発設置反対県民共闘会議」だった。一審新潟地裁の原告に名前を連ねたのは1次、2次の提訴を合わせて1933人に上った。その後、費用面を考慮して原告数を減らし判決時は282人となった。ほとんどが柏崎刈羽地域の住民だが、長岡市、十日町市、糸魚川市などの住民もいた。中には夫婦や親子での参加もあった。原告数は二審東京高裁では35人(判決時33人)、最高裁の上告審では10人に絞られた。
●第3回 “国策”の影 原告求めた説明会拒む
新潟日報 2008年04月29日掲載
きらびやかなネオンの灯がまぶしい東京・銀座の夜。国民生活を支える電力の安定供給を背負う国にとって、原発裁判では負けられない思いが強かった=21日、東京都中央区銀座4
2003年3月。東京電力柏崎刈羽原発1号機の設置許可取り消し訴訟に取り組んでいた住民側弁護団は予期せぬ事態に直面した。控訴審東京高裁の担当裁判官3人全員が同時に交代したのである。
当時、同訴訟を所管していた高裁第三民事部が、増加傾向にあった知的財産権問題を専門的に扱う部署になったため、担当替えとなったのだ。高裁に突然呼び出されたという弁護士伊東良徳(48)は「裁判所も謝っていたが、ひどい話だ」と振り返る。
提訴から24年。控訴審も開始から九年を数え、大詰めを迎えていた。住民側は新たな裁判官に、過去の膨大な審理内容を理解してもらうための対応に追われた。2カ月後、高裁に提案したのが「説明会」の開催だった。
裁判官と当事者は審理の進め方について法廷外の非公式の場で協議を行う。説明会とはその場を利用して原告、被告に加え、法廷で証言した専門家らが主張や意見を整理して裁判官に口頭で説明、質問を受ける手法だ。
国側は強く反対した。当時の代理人だった法務省行政訟務課長の斎藤繁道(49)は言う。「(非公式の場で)裁判官の心証が形成されてしまう。証拠書類を通して理解してもらうべきだ」
裁判官が法廷内での審理を通じて得た印象や認識は判断の材料にもなる。国側は、それが法廷外の場からもたらされてはならないという筋論を主張したのだ。
しかし、それ以前に別の裁判で説明会が採用されたことがある。旧動力炉・核燃料開発事業団の高速増殖炉「もんじゅ」(福井県)をめぐり、住民が設置許可無効確認を求めた行政訴訟の控訴審だ。このときは裁判所が発案し、国側も反対はしなかった。
同訴訟で03年1月、名古屋高裁金沢支部が出した判決はトップニュースとなった。原子力裁判の30年の歴史で初めて国が敗訴したのだ。
柏崎刈羽訴訟で国側が説明会を拒んだのは、その3カ月後。伊東は「もんじゅで負けたからだろう」と話す。
原子力裁判の判決に携わった元裁判官は「審理は物理学から地質学まで多岐にわたった。書面を読むだけでは到底理解できない」と明かす。しかし、東京高裁は柏崎刈羽訴訟では採用しなかった。
「全員交代した裁判官が書類を読むだけで理解できるのか疑問だ。国が反対したからだとしか思えない」。伊東は国への配慮を見て取る。
国は昨年、青森県の原子力施設関連訴訟でも説明会を拒否した。不安材料を排除するこうした姿勢は、原子力推進という国策と無縁ではないように見える。
◎「裁判絶対負けられぬ」石油ショックで危機感
国にとって原発訴訟での負けは、エネルギー政策への重大な障害を意味する。
「私自身、オイルショックを経験し、原子力の必要性をものすごく痛感している」。こう言うのは、旧通商産業省資源エネルギー庁の原子力発電安全審査課長を務めた逢坂国一(72)だ。課長当時の一九七九年、柏崎刈羽原発訴訟に被告国側の立場でかかわった。
同庁ナンバー3の官房審議官にも就いた逢坂は第1次石油危機の73年、同省総合エネルギー対策課の班長として節電対策の最前線にいた。中東戦争を機に日本の原油輸入量が急減、電力供給に大きな影響が出ていた。
国は同年11月、電力会社に10%の節電を指導。翌74年1月には節電率を15%に引き上げ、後に「20%カットまで要請した」という。逢坂は国民生活への影響を懸念し、電力会社に説明を求める。その回答に身震いを覚えた。
「送電が止まる病院が出る恐れがあり、死者が出るかもしれない状況。生産も減少を強いられ、産業の生き死ににかかわる事態だった」
危機は、発電の八割を石油に依存する政策上の弱点を突いた。入省後、米国に留学して原子力工学を学んでいた逢坂は「原発がもっとあれば…」と歯がみしたという。
電力の安定供給を図るため、国が原発建設を促進する一方、立地地域の住民らが安全性を問題にした訴訟を相次いで起こした。柏崎刈羽訴訟が提訴された七九年当時、国は既に四国電力伊方原発など4件の設置許可取り消し訴訟を抱えていた。
エネ庁は同年、旧科学技術庁から原発の安全審査の移管を受けたことに伴い、訴訟も引き継いだ。原子力発電安全審査課内に裁判対応を行う「訟務室」を設置。法務省の訟務検事とともに住民側に対抗する作戦を練った。
80年から2年半の間、訟務室長だった曽我部捷洋(65)は、伊方原発訴訟で綿密な想定問答集を作成したことを記憶している。国側の証人となる専門家を交え、予行演習を念入りに行った。法廷での証人尋問で、住民側の反対尋問によって不用意な言質を取られないためだ。
「裁判に負けたらエネルギー政策への影響は極めて大きい。ほかの訴訟と共倒れになる恐れもある。一つとして負けられない」。曽我部は当時の胸の内を語った。
石油危機によって原子力の重要性をかみしめた国。原発裁判とは勝つことを至上命令としたものだった。 (文中敬称略)
◎電力消費量と発電構成
日本の電力消費量(電灯電力使用電力量)は戦後からほぼ右肩上がりを続けている。第一次石油危機があった1973年度は3630億キロワット時だったのが、2005年度には8940億キロワット時と2・5倍に膨れ上がった。この過程で原子力発電が急伸する一方、石油を使った発電は減少。石油危機の反省から政府がエネルギーの多様化を進めてきたことが背景にある。一般電気事業者の発電構成は1973年度で石油が71%に対し、原子力はわずか3%だった。ところが05年度には石油は9%にダウンし、原子力は31%に伸びた。
●第4回 二つの文書、 国、電力の密接ぶり暗示
新潟日報 2008年04月30日掲載
国の原子力安全委員会が保有していた四国電力作成の文書に記された「訴訟の関係に留意を」の発言内容。原発の安全審査にかかわる場で、国側が訴訟を強く意識していたことをうかがわせる
東京電力柏崎刈羽原発の設置許可取り消し訴訟で住民側が請求していた資料が、東電の保管庫で見つかったのは今年1月のことだった。国側が法廷で「存在しない」と証言していた文書。同原発の安全審査を担当した専門部会の議事録の写しである。
国が自ら作成していたにもかかわらず、存在を否定した議事録の写しを訴訟の被告でもない東電が持っていた事実。安全審査を行う国と審査を受ける電力会社との密接な関係が裁判という場の中にもあることを暗示しているようにも見える。
本来、国による原発の安全審査は、電力会社の申請を公正な立場で厳しくチェックしなければならない。訴訟とは切り離して論議すべきとされる。
中越沖地震を受けて安全審査の手引を見直し中の国の委員会主査、愛知工業大客員教授の入倉孝次郎(67)も強調する。「訴訟を意識するあまり裁判の争点だけを重点的に取り繕い、偏った審査に陥りかねない」
しかし、安全審査にかかわる場で、国が訴訟を強く意識していたことをうかがわせる資料があった。1975年、四国電力伊方原発(愛媛県)2号機の審査を行うため、国に設置された専門部会分科会などの発言録だ。
発言録は140枚に上り、同年10月6日から76年12月3日までに開かれた分科会のもの。当時、審査業務を担っていた旧科学技術庁が分科会を前に四国電と打ち合わせた内容も含まれていた。その中には、こんな発言がある。
「とにかく2号の安全審査にあたっては(1号の)訴訟の関係に留意してほしい」
4の続き
訴訟とは柏崎刈羽と同様に、住民が伊方1号機を対象に国内で初めて設置許可取り消しを求めていたものだ。
同年5月8の打ち合わせには、同庁安全審査管理官だった堀内純夫(71)が兼務していた訴訟対策室長として出席していた。
審査対象は2号機だったが、堀内が「(訴訟の対象となった)1号炉で使った資料のリストを作ってほしい」と求める場面がある。「訴訟に留意を」との言葉もその場で堀内が発したものだ。室長として裁判の日程を説明した後、さらに念押ししたような発言だった。裁判になった1号機を気に掛ける発言をした理由について堀内は今、「2号機で訴えられても勝てるよう万全の審査を求めたのだろう」と振り返る。
訴訟を気にする国の意向を書き留めた発言録の用紙には「四国電力株式会社」と印字されていた。
◎「癒着は思った通りだ」敗訴の住民側に憤りも
東電柏崎刈羽と四国電伊方の両原発1号機設置許可取り消し訴訟。それに絡んで明らかになった2つの文書は、電力会社が自らは被告ではないにもかかわらず、裁判に強い関心を示してきたことを物語る。
柏崎刈羽の安全審査を担当した国の専門部会に関する議事録の写しは、東京・芝浦の東電文書保管庫に眠っていた。それも、安全審査関係の資料をまとめる原子力部門ではなく、訴訟などを扱う法務関係資料の棚にあった。
原発裁判では、被告の国側も安全性の立証責任を負うとの判例を最高裁が示している。柏崎刈羽訴訟で住民側が提出を求めていた専門部会の議事録は、その立証責任を果たす上での国側の材料になり得る。それなのに、国側は議事録の存在を否定してきたのである。
過去の安全審査にかかわる文書類を保管している国の原子力安全委員会も昨年11月末、新潟日報社の情報公開請求に対し「保有していない」と回答していた。ところが、その後、東電に問い合わせた結果、写しが出てきたのだ。
国が作成したものがなぜ、東電にあったのか。原安委は「当時は東電も説明者として審査に出席していたので不自然ではない」と言う。
東電も「理由は分からないが、訴訟対策の一環で持っていた可能性はある」としたが、被告はあくまでも国なのに、なぜ訴訟対策なのか。立地地域部長の山西敏一(52)は「部外者の当社が口を挟むとおかしなことになる」と言葉を濁した。
一方、伊方原発2号機の審査に関する発言録は四国電が作成していた。こちらは電力会社のものを国の方が保管していたのだ。
発言録とともに1976年2月28日付、審査関連会合の報告書も保管されていた。右上に「取り扱い注意」の押印があり、「作成 東京支社 谷川」との署名がある。
「私の字だ」と認める谷川進(58)は今、原子力部長を務める。しかし、国が発言録を開示したことに困惑した表情で「備忘録か社内の引き継ぎ用に作った。発言者の意図を確認したものでもない」と漏らした。
原安委はこのほか、九州電力がまとめた川内原発(鹿児島県)の発言録も持っていた。電力会社のものはどれも国の議事録に比べ、中身が具体的だ。「担当者が参考にもらったのだろう」と言う原安委事務局だが、今年になって手元にあった電力作成資料はすべて返還した。国のものではないというのが理由だ。
伊方原発訴訟は92年、最高裁で住民側の敗訴が確定した。その後に発言録を初めて読むことになった弁護団長の藤田一良(78)は言う。
「国と電力会社の癒着は思った通り。審査が適正だった訳がない」(文中敬称略)
◎伊方原発1号機訴訟
国内で初めて国を相手に争われた原子炉設置許可取り消し訴訟。1973年、四国電力伊方原発の地元住民が原告となり、松山地裁に提訴。原子炉物理学や地質学の研究者らも原告団を支援し、科学技術論争を繰り広げた。一審、二審ともに住民の訴えを退け、92年10月に最高裁で住民敗訴が確定した。最高裁判決では、審査が適切に行われたことなどを立証する責任は国側も負うとされたほか、審査の過程に明らかな誤りなどがあった場合は違法であり、許可を取り消すことができるとの判断が示され、後の原発訴訟に影響を与える判例となった。
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