tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

ミュンヘン

2006-12-17 14:34:28 | cinema

流浪の民、ユダヤ人の建国の夢。そして、失われた祖国を希求するパレスチナの人々。片方のおける正義は、他方の不利益になる。そして、終わりのない報復の連鎖。どちらかが消滅するまで、血の記憶として続くのであろうか。
「黒い九月」事件直後に、イスラエル軍は難民キャンプを空爆して無差別殺戮している。にもかかわらず、暗殺作戦による更なる「報復」は、テロリストどもに直接報復することで、イスラエルのメディアや世論を納得させることに他ならない。そこに、主人公が作戦の意義に疑問を持ち、自分たちのやっていることがテロと変わりがないのではないかと悩む原因がある。一人のテロリストを始末しても、別のテロリストが代わりをするだけなのだ。まして、さらに凶悪なテロ行為を増長するにすぎない。スピルバーグは、自らがユダヤ人の血統でありながら、暴力はいつしか自分たちに返ってくること、テロ撲滅の行為が実は「テロリスト」と変わりがないことこの映画で訴えている。
殺されるパレスチナの指導者のほうにも一人として悪党は出てこない。みんなインテリで、家族を愛する普通の人ばかりだ。
標的の11人のうち「黒い九月」と直接関係があるのは数人にすぎない。復讐は復讐を呼び、果てしない殺し合いは女性や子供も容赦なく巻き込んでいく。主人公ーも仲間を次々に失って追い詰められていく。テロへの報復はさらに恐怖を拡大しただけだったのだ。

暗殺者もまた暗殺の標的となるばかりか、その家族までも失う世界。ラストシーンで在りし日の世界貿易センタービルがニューヨークの街並みに映しこまれている。ミュンヘンで11人を殺した実行犯のうち三人は生きて逮捕されハイジャックの人質と引き換えに釈放された。一人はパレスチナ人同士の内輪もめで死亡、一人は心臓マヒで死亡。一人は今も元気に生きている。

つまり本当に報復すべき相手にモサドは何もしてない。すべては、空しい愚行。

コメント
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