9.不思議な地点
遠い昔、シチリアはギリシアの植民地として栄えた。その後、紀元前3世紀にカルタゴと覇権を争って勝利を収めたローマ帝国に統治された。476年に西ローマ帝国が崩壊した後、ヴァンダル王国、オドアケル王国、東ゴート王国、ビザンティン帝国と次々に支配者を替え、9世紀にはイスラム(サラセン)帝国の制圧下に置かれた。それがこの島に東方の優れた学問や芸術をもたらすことになる。かの有名なアルキメデスは、シチリアのシラクサの輩出である。
さらに11世紀になるとノルマン人が支配するようになり、12世紀末には神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世が妻の縁(彼の妻はシチリア王女だった)で、島の領有権を主張して強引に版図に組み入れて、シチリアは黄金時代を迎える。なんともめまぐるしい。ゲーテにとってシチリアは、ヨーロッパではなく、アジアやアフリカを意味しており、「世界史のかくも多くの活動半径がそこに向けられているこの不思議な地点」と言っている。
施政者の交代はその後も続く。この島がたどったこの特異な歴史の道のりは、各時代のそれぞれ異なる民族が遺した文化遺産をみれば理解できる。例えば、古代ギリシアの野外劇場、ビザンチンモザイクで飾られた黄金色の礼拝堂、アラベスク風の装飾の赤いドーム、あるいはイスラムとノルマンの折衷様式(アラブ・ノルマン様式)のパレルモの大聖堂などの考古学的に重要な遺跡や美術的価値の高い教会建造物が、日本でいえば四国ほどの大きさのこの島に一堂に会している。
また、シチリアが「地中海の十字路」と呼ばれるのは、前述したように古代より幾多の民族が植民支配を重ね、その結果としてさまざまな文化の香りが漂うからであるけれども、その歴史を反映してシチリア独特の食事文化も発展している。「食べる時は扉を閉めろ。話す時は後ろを見よ」という、シチリアの諺がある。フランスやスペインの支配下にあった時、島民に重税を課し、反乱を避けるために密偵を放された時代の島民の知恵で、値段の安い茄子、鰯、パスタなどを使った料理がたくさん生まれたのだ。
遠い昔、シチリアはギリシアの植民地として栄えた。その後、紀元前3世紀にカルタゴと覇権を争って勝利を収めたローマ帝国に統治された。476年に西ローマ帝国が崩壊した後、ヴァンダル王国、オドアケル王国、東ゴート王国、ビザンティン帝国と次々に支配者を替え、9世紀にはイスラム(サラセン)帝国の制圧下に置かれた。それがこの島に東方の優れた学問や芸術をもたらすことになる。かの有名なアルキメデスは、シチリアのシラクサの輩出である。
さらに11世紀になるとノルマン人が支配するようになり、12世紀末には神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世が妻の縁(彼の妻はシチリア王女だった)で、島の領有権を主張して強引に版図に組み入れて、シチリアは黄金時代を迎える。なんともめまぐるしい。ゲーテにとってシチリアは、ヨーロッパではなく、アジアやアフリカを意味しており、「世界史のかくも多くの活動半径がそこに向けられているこの不思議な地点」と言っている。
施政者の交代はその後も続く。この島がたどったこの特異な歴史の道のりは、各時代のそれぞれ異なる民族が遺した文化遺産をみれば理解できる。例えば、古代ギリシアの野外劇場、ビザンチンモザイクで飾られた黄金色の礼拝堂、アラベスク風の装飾の赤いドーム、あるいはイスラムとノルマンの折衷様式(アラブ・ノルマン様式)のパレルモの大聖堂などの考古学的に重要な遺跡や美術的価値の高い教会建造物が、日本でいえば四国ほどの大きさのこの島に一堂に会している。
また、シチリアが「地中海の十字路」と呼ばれるのは、前述したように古代より幾多の民族が植民支配を重ね、その結果としてさまざまな文化の香りが漂うからであるけれども、その歴史を反映してシチリア独特の食事文化も発展している。「食べる時は扉を閉めろ。話す時は後ろを見よ」という、シチリアの諺がある。フランスやスペインの支配下にあった時、島民に重税を課し、反乱を避けるために密偵を放された時代の島民の知恵で、値段の安い茄子、鰯、パスタなどを使った料理がたくさん生まれたのだ。