「おいらが恋した女は 港町のあばずれ いつも ドアを開けたままで着替えして 男達の気を引く浮気女」
1月17日名古屋での公演中に浅川マキさんが亡くなった。
彼女を知ったのは、数年前に見た寺山修司の 「書を捨てよ町へ出よう」だった。階段の娼婦役で出演していた。
黒い服装に身を包んだ女性が、1970年代に一斉を風靡したアンダーグラウンドと言う文化の中で、学生たちの支持を集めた歌手であることを知って興味を覚えた。
この時代は、ベトナム戦争や学園紛争で熱を帯びた時代だった。
アンダーグラウンドと言えば、当時、小学生だったぼくは、彼女よりも、むしろ、カルメンマキの「時には母のない子のように」の印象が強かった。
「かもめ かもめ 笑っておくれ」
・・・彼女の歌う「かもめ」。横浜か神戸あたりの港町のイメージがある。
寺山修司の作詞による歌詞は、ぼくらの世代が知らないあの淫靡で寓話的な世界へ誘う。
「おいらは文無しマドロス バラ買うゼニも無い だから ドアの前を行ったり来たりしても 恋した女じゃ手も出ない」
彼女は2000年以降は、ジャズ・クラブ「新宿 PIT INN」を本拠地として定期公演を行っていたらしい。
いまでもPIT INNでは、行き場の無い若者達の微かな希望や夢を載せて、始発電車が動くまでライブが続くのだろうか。
「夜が明けたら一番早い汽車に乗るのよ 夜が明けたら 夜が明けたら 」
『夜が明けたら』 作詩/作曲 浅川マキ
・・・そうですか。1人寂しく逝きましたか
「いつかうわさに聞いたあの街へ あの街へ行くのよ いい人ができるかもしれないし あの街へ行くのよ」
浅川マキさん。サラバ。
合掌
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