tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

沈船 石廊(いろう)

2010-10-16 21:01:58 | 日記

 
 
 
 

(Entry 325~328/365) OLYMPUS PEN Lite E-PL1 + M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm f3.5-5.6 L

1944年(昭和19年)3月30日。バリックパパンとパラオ間の輸送任務に従事していた石廊は、コロールの南西、ウルクタープル島の側で敵機動部隊の空襲を受ける。
この空襲で石廊は航行不能となり、更に翌日の爆撃で大破擱座、総員退去し放棄された。翌月4月17日に船体が全没。
石廊は、日本海軍連合艦隊の給油艦だった。全長138.68m、排水量 常備:15,400トン。艦本式缶4基の機関を持ち、45口径3年式14cm単装砲 2基、40口径三年式8cm単装高角砲 2基を装備。なお、石廊の艦名は静岡県・伊豆半島の石廊埼によるもの。

3月30日と31日のパラオ大空爆によって、少なくとも13隻の日本海軍連合艦隊の戦艦や輸送艦が沈んだ。この2日間で日本の在泊艦船は潰滅。
同時にパラオ中心部の地上施設、水上機基地、保有航空戦力の大方も失い、地上主兵力はパラオ本島のジャングルへと撤退し、パラオ周辺の制海・制空権を米国に奪われる。
そして、ペリリュー、アンガウル両島に配備された守備隊は、掩護も補給路も断たれて孤立し、やがて弾も糧秣も尽きて壮絶な玉砕戦を戦い散ってゆくことになる。いわば、この大空爆は戦果を左右した攻撃だった。
パラオ諸島の地上に残る戦争の爪痕は希少なのだが、海底に眠る遺物は大破口を覗かせ、まさに、パラオにおける戦没者の方々の辛苦と無念と痛みを伝えている。

船尾に見えた45口径3年式14cm単装砲。そして、甲板より突き出た約20mの鉄塔2基。
日焼けの色が濃いためデジカメの顔認識が不可というガイドのケイコさんが、甲板でホバーリング中、思わず両手を合わせて英霊の方たちの冥福をお祈りしていた。

パラオ諸島アンガウル島を守備していた日本軍歩兵第59連隊第1大隊1,400名は、米陸軍第81歩兵師団21,000名と激戦し1ヶ月後に玉砕する。
日本軍は1944(昭和19)12月31日全員戦死と発表され、日本の留守家族には死亡通知書(戦時公報)が届けられた。
今から66年前、「陛下(昭和天皇)の為、日本の為に太平洋の防波堤になります」と遺書を書いて多くの若者が散っていった。
悠久の大義のため、現地の人々の命を守り抜き、弾薬、食料が果てても、なおも最期まで後退することのなかった若者たちはどれほど無念だったのだろうか。
日本は、誇りを持って敢然と立ち向かった。
今も珊瑚の島に眠る英霊のご冥福を心よりお祈し、文と写真をささげます。合掌


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