tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

ロイクラトン@チェンマイ

2010-12-09 22:38:53 | プチ放浪 都会編

 
 
 
 

ロイクラトンはクラトン(灯篭)を水に流すことにより、川の女神コンカーに収穫の感謝を捧げる祭りだ。この祭りの発祥は、バンコクとチェンマイの中間にある古都スコータイという。スコータイにタイ族の初の統一国家が築かれたのは13世紀中ごろで、15世紀中ごろにアユタヤ王朝に併合されるまで、スコータイ王朝は約200年間続いた。タイ族のもともとは、中国の雲南省から南下してきた中国土着の民が祖先だ。
スコータイの王は、代々、仏教の布教に熱心で、セイロン(スリランカ)から高僧を迎え入れ寺院を建立し、南伝の上座部仏教の興隆に尽くした。サンスクリット語で「幸福の夜明け」を意味する「スコータイ」の名は、そこから来ていると言われる。また、「サンカローク焼」(宋胡録)と呼ばれる陶器はここでつくられ、日本にも「すんころく焼」として江戸時代に入ってきた。
ロイクラトンは日本の鐘楼流しとも類似点が多く、ともに中国の灯篭流しの影響が色濃く出ているような印象を受ける。というのも、街中のあちこちでで鳴らされる爆竹は「魔除け」の意味であり、精霊船の通る道を清めるためものという。

スコータイの末裔の人々は、前述のように華南地方の中国人の血を引いている。彼らは、目は大きく、鼻が低く、華北地方の中国人と比べて、彫りが深い。肌は個人にもよるが、南部のアユタヤー王国周辺のタイ人より白いのが普通だ。だが、現代のスコータイの末裔たちは、中国人の血を引いていると言う意識は弱く、大陸の中国人旅行者に対しても目立った友好を示すわけではない。・・・というか、タイ人にとって、中国人も韓国人も日本人も、顔を見ただけではどこの国の人なのか区別がつかないようだ。

さて、ロイクラトンの夜。チェンマイ市内を流れる、ビン川に架けられたナワラート橋から旧市街のターペー門までの目抜き通りは歩行者天国となり、色とりどりの民族衣装を着飾った人々の盛大な山車のパレードが通過する。橋の上はどこから沸いてきたかと思うほどの観光客で埋め尽くされている。ロイクラトンはタイの人々にとって、ソンクラーン祭りにつぐ大イベント・大切なお祭りというだけあって、チェンマイの街の中の人気スポットはどこも人だらけ。暗くなるにつれその人の数も増えていき、街の中心部やピン川沿いは、人ごみでもう歩けない状態。一方、旧市街を取り囲む道路は、信じられない数のバイクや車で渋滞している。車の流れが止っている分、いつもは大変な道路の横断が、この日ばかりは簡単だった。

・・・爆竹と花火の音が、一晩中、続いていたロイクラトンの3日目の朝。まだ夜が明け切らないうちに、ホテルの廊下で大勢の人々のざわめきが聞こえた。また大陸の中国人たちが騒いでいるのだろうと思っていた。起き出して1階のレストランで朝食をと思って降りていくと、朝6時をまわったばかりと言うのに、ホテルのロビーにはあふれんばかりの人がたむろしていた。その数、なんと50人以上。
ホテルのレストランでは、すでにその団体の大部分の人々が朝食を取ったあとのようで、朝食バイキング用料理の皿はほとんどが空だった。取り皿やフォークさえひとつもなかった。かろうじて、食パンの切れ端が残っているだけ。南国フルーツたっぷりの食事を諦めて、飲もうとしたコーヒーカップさえない・・・。
行儀の悪いことに、団体の一人の男性客は、立ったままでわずかに残っている大皿のサラダをつまみぐいしている。
また、食事を終えた中年の女性は、各テーブルの上に置いてあるか紙ナプキンをごっそりとバックに入れていた。
・・・フランスを貧乏旅していて、2等の夜行列車で同じようなシーンを見かけたことがあった。始発駅を発車するのと同時に、列車内のトイレのトイレットペーパーを我先に取ってくるのだ。外国での無料サービスは、人に先んじることが大切だ・・・。
昨夜のチェンマイ市内の信じられないような人の数は、このホテルのあふれんばかりの客と、玄関に横付けされた2台の大型バスを見て納得がいった。ロビーの団体客は中国人ではなく、祭りを見にやってきたタイの地方の人々だった。この時期、多くのホテルがタイや外国人の旅行者で満室になるのだろう。
それでも、今年のロイクラトーンは例年と比べると人の出が少なかったらしい。深刻な世界不況の影響なのか、それとも洪水の被害にあった地方からの観光客が来なかったせいなのだろうか。


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