ポリネシア人のルーツは、東南アジア説が濃厚。
彼らが黒潮や対馬海流に乗って、日本列島にも渡っていたとしてもおかしくない。
縄文人と共通する祖先の可能性がある。
海を渡ったポリネシア人たちが、タヒチの島で生活していく中で、神様へ祈るときや、娯楽として踊っていたダンスや歌、音楽がタヒチアンダンスの起源。
タヒチアンダンスやポリネシア文化は、その後、ハワイでさらに独自の文化へと変化し、フラへとなっっていく。
DNAがそうさせるとするのなら、日本の盆踊りにも共通する部分がある。
“手で表現する”「アパリマ」がそれだ。
動のポリネシアンと静の縄文人。
ポリネシアンの踊りの激しい動きは、体重に対する筋量と骨量の比率が、あらゆる人種を大きく上回ることにより支えられているのだろう。
だからこそ、カヌーを漕いで貿易風に逆らって、西ポリネシアからタヒチやテ・ヘヌア・エナナへ移動できたに違いない。
タヒチアンダンスも日本の盆踊りも祭りの儀礼。
本来なら、陽がどっぷりと落ちて神様が来臨する「夜」を徹して行われる祭事だ。
精霊のためのもてなしや供養のための芸能。
だが、キリスト教が普及し、宣教師達が官能的なダンスを禁止して、数十年、タヒチアンダンスを踊ることは制限されていた。
いつか「ダンスショー」じゃなくて、聖職者だけが踊れる本物の祭事を見てみたいけど無理なのかな。。
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