tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

海を見ていた午後

2007-11-19 20:01:41 | old good things

父の形見のローライフレックス。本棚の一部に鎮座して、いつも眺めて楽しんでいた。側の皮がボロボロと剥がれていて見るも無残な姿。

久しぶりに連れ出して、秋の陽光の中を旅してみる。
レンズが上下に並んでいる長方形の独特のスタイル。
それをお辞儀しながら上から覗いてシャッターを切る。

今のデジカメにはない重くメカニカルな手ごたえがあり、懐かしい音とともにシャッターが切れる。
6X6センチのフィルムに、午後の光の世界が切り取られていくのだが、フィルム送りに問題があったようで二重露光してしまった。
アナログのカメラは、しょっちゅう使っていないと調子が悪くなってしまう。しかし癖のある女性と一緒で、そこが古いアナログカメラの魅力なのかもしれない。
しばらくはローライフレックスとの珍道中が続きそうな気がする。

「海を見ていた」といえば五木寛之の横浜を舞台とした「海を見ていたジョニー」が思い出される。

トランペットのジャズ奏者を目指す主人公にジャズを教えてくれた黒人ジョニーは、ベトナムから無事に帰ってきたのだが
「汚れた卑劣な人間が、どうして人を感動させるジャズがやれるだろうか」
といい残して山下公園から海に投身自殺する。

横浜はライブでジャズを聞かせる店が意外と多い事に今頃気がつく。
よく探すと関内、中華街、野毛などの極々狭い範囲に点在している。
これからいくつか探してみようと思う。

YouTube - 海を見ていた午後 ~ ユーミン

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風を求めて(3)

2007-11-18 16:27:34 | 日記

天気予報では晴れのち曇り、風速9m。
いざ、山に向かうと途中からどんどん太陽が顔を出してきた。絶好のパラグライダー日和。
いつものことで、午前中はやや強めの風にもて遊ばれていたが、午後には強い風も止み、風待ちの状態に。

今日のフライトはマイ機材を使っての飛行だ。朝一番にインストラクターが機材をチェック。しばし、機材と僕の顔を見比べて、深いため息をつく。・・・・・・どうやら、実力以上の機材、つまり、上級者向けの機材との判断だ。
パラグライダーは、最初のうちは翼面積が大きく、操作のレスポンスが比較的遅く安定した初心者用を使うのが鉄則だ。こうした初心者用のパラグライダーで練習を重ねて操作を覚えたら、飛行速度の速い初中級用機材、上級者向け機材へとステップアップするのが普通だ。
ただし、その度に高価な機材を買い換える必要があり、その出費は半端なものじゃない。

無理して飛んで失敗して2~3ヶ月会社を休むことを覚悟しろと脅かされて、それでも、中級用のマイ機材を使うことを許された。僕の機材はフランス製のエアーウェイブ・スポルト。念のためインタネットで調べてみたが、ネットでは1-2クラス、つまり初中級用ということになっている。

午前中、強い風に翻弄されていると、いつもはやかましいベテラン連中がヒソヒソこっちを見て何か言っている。どうやら、僕が2クラスの機材でフライトを挑戦しているのを見て無謀だとささやきあっているらしい。彼らも、気が気ではないのかもしれない。しかし、そんな心配をよそに、僕は大空へ飛び出した。北風をキャノピーに一杯はらんで、グライダーはびゅんびゅん飛んでいく。たしかに、スクールで使っている初心者用とは比べ物にならないくらい反応がいい。車に例えるのなら、ファミリーカーとスポーツカーくらいの差がある。
僕の体重が軽いことも幸いして、午後、ほとんど微風となった風の中でも、安定してぶっ飛びやソワリングができた。いままで、スクール用の機材で苦労していたのが、一気に解消された。
上級者用のヘルメット、パラグライダー用シューズ、無線も買った。パイロットのライセンスが待ち遠しい。

いつか風になる日 Itsuka kaze ni naru hi

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黄金の花

2007-11-16 19:58:02 | プチ放浪 都会編

♪黄金の花が咲くという うわさで夢を描いたの♪
枕もとの携帯が「黄金の花」を奏でて、矢野の眠りを破ったのは真夜中だった。
矢野は布団から手を伸ばしてサイドテーブルの上の灯りをつけ携帯電話をとった。

デスプレイにはEメールありの表示。上半身を起こして時計に目をやる。午前1時を少し回ったところだ。
矢野はスウェットの襟をかきあわせるとメールを開いた。
「頼みなんだけど。ピアノを教えて欲しいんだ。マライア・キャリーの”All I Want for Christmas is You”を今度のクリスマスに弾きたいんだけど・・・・・・」
差出人は会社の上司だった。矢野はなんかの機会に上司と音楽の話をしたことを思い出していた。
若い頃にギターをやっていたという彼は、ジャズピアノに興味を覚えたようだった。

ギターって楽器は比較的に手軽で、3週間ぐらい練習を積めば、なんとか演奏が形になるかもしれない。でも、ピアノは何年も何年も先生に就いてレッスンしないと人に聞かせられるようにはならない。今度のクリスマスには絶対に間に合わない。「残念ながら無理です」という返事をするしかなさそうだ。
ただ、知り合いのピアノ教師の連絡先を教えるぐらいはしてあげることにして矢野は携帯を閉じた。

一度は放り投げた携帯電話。もう一度それを手にとると、矢野はそれを開いた。サイドテーブルのスタンドが静かに光を落としている。まだ消せずにいる受信ボックスの中のいくつものメールに目をやる。そしてその向こう側で、もう眠りに就いたであろうナツコのことを想った。来るはずのないメールがディスプレイに浮かぶ日が、いつか訪れることを願いながら。

 Mariah Carey_Without You

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ルワンダの涙

2007-11-15 20:19:28 | cinema

ルワンダの90%弱の人口比のフツ族と残り10%強のツチ族は元々は同じ言語を使い、農耕を主とするか遊牧かという違いしかなかった。ただし、国土の殆どが農作業にはあまり向かない痩せた土地であったため、遊牧が主な生業であったツチ族の方が比較的豊かであり、国政も彼らが支配をしていた。ルワンダにおける内戦は、このフツ族とツチ族の支配者をめぐる内乱である。
1897年、ドイツによる植民地支配が始まったのだが、その2年前のルワブギリの死によって混乱していた王朝は、保護を求めてドイツの植民者と手を組んだ。その結果、ツチ族がフツ族への支配を続ける「二重植民地制」という複雑な政治構造が出来上がった。第1次世界大戦でのドイツ敗北後にベルギーが委任統治したころには、フツ族とツチ族は民族的アイデンティティが明確になっており、ベルギー人たちはこの対立を植民地政策の要石にしてローマ・カソリック教会と手をとり、ルワンダ社会を「人種境界」によって再編成し始める。

1933年からベルギーの統治者らは「人種」IDカードを発行するための人口調査を実施。すべてのルワンダ人をフツ族85%、ツチ族14%、トゥワ族1%に分類する。また、植民地における唯一の教育システムであるカソリック学校でツチ族を優遇する人種差別教育を行う。こうして、人種の優劣が叩き込まれて対立の悪夢がはじまる。
1952年に、フツ族が反乱に立ち上がって王政が廃止され、62年に共和国としてルワンダはベルギーから独立。その後、73年にフツ族で当時の国防相であったハビャリマナが軍事クーデターを起こして政権を握り、75年には全ての政党を解散し、独立体制を確立して大統領に就任。
このころからフランスが介入をはじめ、75年にルワンダと軍事協力協定を結んだフランスは、多額の軍事援助、ルワンダ政府軍や民兵組織の育成などでハビャリマナ大統領を支える。90年10月に、ウガンダに逃げ込んだツチ族の子弟や独裁政権に反対するフツ族の人々がルワンダ愛国戦線(RPF)を結成し、ウガンダを拠点として攻撃を開始し、ハビャリマナは93年8月にアルーシャ和平協定を結ばざるを得なくなる。この協定が引き伸ばされている間に大統領の暗殺があり、これを引き金に大虐殺(ジェノサイド)が始まる。この大虐殺で、約100日間で国民の10人に1人、少なくとも80万~100万人のツチ族が虐殺されたとされる。

ジェノサイド(英:genocide)は、一つの人種・民族・国家・宗教などの構成員に対する抹消行為をさす。ガス室集団虐殺を告発するため、第二次世界大戦中の1944年に、連合国側アメリカで刊行されたユダヤ人ラファエル・レムキンの著『占領下のヨーロッパにおける枢軸国の統治』で使用された造語だ。
国連で採択された(1948年)ジェノサイド条約(集団抹殺犯罪の防止及び処罰に関する条約)では、第3条により、次の行為は集団殺害罪として処罰されると定められている。しかし、ルワンダの場合は、介入を避けようとした調印国の抵抗により国連でその認定が遅れ、虐殺終了後にジェノサイドであると認定される結果となった。
この辺の経緯がこの映画で出てくる。時は1994年4月、舞台はルワンダの首都キガリにあるカトリック系の公立技術学校。英国から布教にやってきたクリストファー神父によって運営されるこの学校は、国連平和維持軍の駐留地でもある。キガリのあらゆるところで虐殺を目の当たりにする神父は国連軍に沈静化を懇願する。しかし、彼らはそれが内政干渉に当たると介入を拒否するばかりか、やがて撤退命令を受け、ルワンダを見捨てる決断を下す。

この映画の原題は“Shooting Dogs”。公立技術学校に駐留する国連平和維持軍の兵士たちは内政干渉にあたるから自衛以外の発砲は認められていないのだが、道端に転がったツチ族の死体に犬が群がり肉片をあさるのを見かねて銃を発砲をしようとする。そして、犬に向けた発砲が大規模な内乱勃発のきっかけとならないように神父に現地語で説明するように依頼するのだが、虐殺を抑制しようとせずに犬に向けて発砲しようとする国連兵士に「犬が君達に発砲してきたのかね?」と神父は怒りをぶつける。
人道的な意図で派遣される国連軍隊であるけれども、多くの映画で難民を救う上で何の役にも立っていないように描かれていることが多々ある。軍隊にとって命令は絶対だということは理解できるものの、その無力さには空しさを覚える。何のための国連なのかと。そして、国連軍が撤退すれば虐殺が始まるのが明らかなのにもかかわらず、撤退命令を出す国連軍の上層部にも疑問が残る。抵抗らしい抵抗を見せずに鉈で惨殺されていったツチ族の人々。彼らを救う策は本当になかったのだろうか。大量殺人兵器が当たり前の現代において、平和を維持するには武力しかないのだろうか。勇気とは・・・・・・。あえて現地に残った神父。彼の勇気がもっと大勢の人に伝われば。
ルワンダの内戦の根本的な原因はかつての西側の植民地支配にある。その根底には、西欧人の人種差別意識が起因している。人類は、この苦い経験からたくさんのことを学び取り、二度と悲劇を繰り返さないように心に強く刻み込むべきだ。なぜ、虐殺の場面から逃げ出したのと聞く少女の言葉とともに。そうすれば犠牲となった多くの人たちと神父の死を無駄にしないですむ。

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ジャック・T・モイヤーが愛した三宅島(3)

2007-11-14 20:11:39 | プチ放浪 海沿い編

先日紹介した三宅島のナチュラリストsuggerさんからコメントをいただきました。イルカに出会えたこと以上に感激しています。彼女のコメントを読んで、三宅島での感動がまたこみ上げてきました。

11/11(日) 御蔵島 天候 雨 水温 24℃ うねり 波2~3m

たかが海豚じゃねーかよ。色彩的にウミブタよりもウミウシの方がずっとマシ、なんてイルカ・スイムをする前は思っていた。なんでウミブタにヒーリング能力があるんだ?イルカ・スイムをしたと書いてあるホームページやブログは、どれもこれもイルカに会えた感動で舞い上がってしまっているような印象だ。だから冗談じゃねーよと読む気も起こらなかった。まあ、高いツアー代金を払ってるからしょうがねーか。ヘタすりゃあ、安い海外のリゾートダイビングができそうなツアー料金だから自己満足でもしなければやってられないだろうと。イルカがなんぼのもんじゃいと。

朝の8時に指定された坪田漁港につくと、そこにはDOLPHIN CLUBやら、べたなぎやら数台のワゴンが停まっていて、ドライスーツを着た人たちはみんなで海を茫然と見ていた。海は昨日よりも海はうねりがさらにひどく、時折、3mの高さの防波堤を超えて波が押し寄せてくる。沖に出れば全員船酔い必至とのことだ。船は御蔵島の波の穏やかな場所を選んで停めるから、そこにイルカがいなければドルフィン・スイムは空振りということに。そうした条件付の出港ながら、その日、集った9人全員がその小さな漁船に乗りこんだ。
桟橋を過ぎて消波ブロックを出た瞬間から、船は遊園地のアトラクションのように上下左右に揺動。しかし、事前に酔い止めをもらってしっかり飲んでいたぼくは、大荒れの海のクルージングをそれなりに楽しむことができた。波をかき分け50分、御蔵島の島影に到着。途中で雨が上がり、一瞬ではあるが晴れ間も見えてくる。天気は急速に回復に向かっているのだ。だが、海は悪くなる一方で、今晩の八丈島行きの船は欠航らしい。御蔵島の周り、波はやや収まり1~2m。それでも、船べりをしっかりつかんでいないと振り落とされそうだ。船上で片耳にピアスが光る笑顔の素敵な女性インストラクターによるインストラクションがあって、海へのエントリーとエキジットのやり方の説明がある。
島の周囲をゆっくり流していて、漁船の舳先に走る黒い影に船長が入水せよの合図。イルカたちを驚かさないようにボートの船尾から順番にぽちゃりと水中へ降りていくと、そこに彼らがいた。かなり、好奇心の強い奴らで、こっちがジャックナイフなどで水中に繰り出すと、じゃれてそばに寄ってくる。野生動物がえさをねだるわけでもなく、もちろん、捕食が目的でもなく、こっちを恐れずに遊びに近づいて来てくれる。その行為は、彼らの友好の意思の表れといか言いようがない。たぶんこの感動は、ジャック・マイヨールが言うように人間とイルカはかつて共生していた時代があり、その古来の記憶が呼び起こされるからなのかもしれない。イルカたちは僕らのしぐさに反応して、いろんなしぐさで応答してくれるのだ。しかも、手を伸ばせば届きそうなほど近くで。
5mmのツーピースのウェットスーツに対して、3.5kgしかウェートをつけていなかっため、なかなか、深くまで潜ってはいかれない。ジャックナイフに失敗して、水深1mぐらいのところで必死にもがいているぼくをペアのイルカが覗き込んでいく。達者な泳ぎですぐ真横を通り過ぎるイルカたちとたまに目が合うのだが、頭の両側に余りにも離れてついている彼らの目では一体どんな風に見えるのだろう。視力は人間ほど良くはなく、しかも近視のようだが、音響的な眼で見ているのかも知れない。
この伊豆諸島のイルカ・スイムにはリピーターが続出というのもうなずける話だ。親しくなったイルカたちに、どうしてもまた逢いたくなってしまう。野生動物と心の交流ができた貴重な経験だった。とにかく、ウミブタはかわいい。恋をしてしまいそうだった。

イルカにはエコロケーションという驚くべき音波探知能力があり、対象がどのようなコンディションかということまで理解できるらしい。そういう特殊能力は置いておいても、イルカと一緒に泳ぐことで自閉症やうつ病などを治療するイルカ療法(イルカ・セラピー、イルカ・ヒーリング)は世界中で注目されているようだ。アクア・セラピーという擬似無重力の水の中で過ごす癒しの効果も伴う。こうした精神障害を持った人に対する治療効果ばかりか、最近ではガンや交通事故の後遺症など、肉体的な病気に関しても効果があるのではと期待されている。ってか、こんな能書き以上に、実際にイルカと泳いだ感動は深かった。
考えてみれば、僕の子供の頃の動物アイドルはフリッパー。そう、イルカだった。ディズニーの脱線あしか騒動なんて映画もあったけれど、1966年からテレビで放映された「わんぱくフリッパー」に出てきた賢いイルカを今でも覚えている。フリッパーの「ケケッケ・・・・・・」と鳴くのは非常に印象的だった。小さい頃にあこがれたイルカたちにまた出会えたとそんなことを思った。我々人間は大昔からイルカと深い関わりを持ってきたのだ。




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