写真の撮り方には正解がない。たとえば、夏のギラギラと照りつける太陽の真下で元気に咲くヒマワリの花など、楽しかった夏の記憶をよみがえさせる良いテーマかもしれない。
一方、太陽が昇る直前や、日没後の数十分の薄明の時間帯は、マジックアワーといわれ、太陽がないため影の無いフラットな光線で、色相がソフトで暖かく、金色に輝いて見える写真が撮れる。
この写真を撮った日は曇り空。
撮影プランとしては、鏡に水を張り、その上に散った椿の花を乗せ、青空と雲を水鏡に映して、できるだけ優しい感じ(ハイキー調)で撮る予定だった。
ところが、曇りの朝の光線は柔らかく、フラットだった。下手な小細工は不要だった。
ということで、写真屋(ストリートフォトグラファー)のおいらは、朝焼けから夜中の星空まで、真昼のトップライトの時間帯は海の中といった感じで写真を撮りまくる。
いつもそんな週末なのだが、星の見えない曇りの夜は、島の人たちや旅行者と話し合う貴重な時間だ。
・・・とか、いつものブログのように、下手なオチをつけるつもりはありません。
ちょうど、この写真を撮ったころ、平原綾香さんがパーソナリティのラジオ番組に尾崎亜美さんがゲストで出演してて、ちょっぴりエッチで限りなく優しい話をしていました。それを聞いた綾香さんが、最初は爆笑、そして、ほろほろと泣いたのです。笑って泣かすというのは、写真でもかなりの高等なテーマ。
なにぶんアーティストたちの感性の高さに感心させられました。
どんな話だったのか聞きたい方は、写真展でお会いした時に話しましょう。素敵なストーリーです。
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椿の大木。岡田字苗の平の仙寿椿。
胸の高さで幹周りが1m74cmの椿です。。
樹齢は不詳。大島には、泉図に樹齢400年以上といわれる寿老椿(幹周り2m44cm)がありますが、それに次ぐ2番目の古木だと思います。
いずれ幾度となく、台風はもちろんのこと、大島大火や、100年ないし200年毎に噴火する三原山を見てきた椿です。
やはり、その存在感に圧倒されます。
樹齢が100歳を超す椿にしては、世に知られるのはごく最近のことと思います。
たぶん、現地に入った造林事業者や炭焼き業者がたまたま見逃していたので、斬り倒されずに生き延らびれたのかもしれません。
大島の椿の古木たちが世に知られるのは、東京都シナジースキームとして認定された椿ルネッサンス事業ででのこと。2008年のことであったといいいます。
写真は想像力を引き出します。古木の梢に咲く赤い花。そんな赤を想像してみてください。
そして私たちが生まれる前から大島を見てきた椿の古木たちのメッセージを聞いてあげてください。
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この歳になっても中学生のころの夏休みの一コマを思い出します。配達の父親の車に乗せてもらって海へ。防風林の切れ目から美しい海が目に飛び込んできます。太陽の光を浴びて光って見える海原は今もまぶたに焼き付いています。普段、海から遠い盆地暮らしの私にとって、海辺の暮らしはあこがれでした。
そしてそんな私にとって、海に続く砂利道が思春期の原風景なのかも知れません。
自分の土台を作った大切な思い出ばかりか、思春期特有の忘れてしまいたい苦々しい記憶へすら、光る海や、砂浜の風景がいざなってくれます。
そういう田舎の盆地で暮らしてた自らの中学時代を振り返ってみたとき、大島で育った子供たちが一番の心のふるさとと感じるのはなんでしょうか?
子供たちにカメラを一台ずつ持たせて、自分の大切な一枚だけ写真を撮らせてみたら、何を画像として切り取ってくるのでしょうか?そこにありふれた風景が納められていたとしても、その子にとってはかけがえのないアングルであることにはかわりありません。そこには、その子にしかわからない世界でたった一つの物語がひそんでいるに違いないと思います。
そんなドラマを写真に切り取ってみました。
題して「夏風の匂い」。たまたま読んだ文庫本からの言葉のパクリです。
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ご存じ、大島のスーパーアイドル「あんこ猫」。
(写真の中にあんこ猫が浮かび上がって見えたら作者冥利に尽きます)
あんこ猫の作者「エサシトモコ」さまのご了解を得ての作品展示です。
基になっている写真は、あんこ猫と大島の人々のツーショット写真。
一番器量よしの色白あんこ猫のため、モザイクに使える写真には制限があり、白っぽい多くの写真が必要なために、使ってるのは写真の一部分だけだったりします(顔とか写ってなくてごめんなさい)。
ちなみに撮りためた全部の写真を使って作ったモザイクもありますが、もう何がなんだか・・・。
一枚一枚のツーショット写真を完璧にして、全体であんこ猫を見せるというのは、やってみると難しいです。さらに多くの写真を使えば、描写が細かくなってあんこ猫が浮かびやすくなるのですが、そうすると島の人々の素敵な笑顔が見えにくくなってしまうし、悩みどころでした。
・・・たぶんこの作品は、大島だからこそできたと思ってます。
まったく知らない島の人たちに、「すみません。写真撮らせてください」とお願いして快く引き受けていただけたのは、大島だからこそ。声をかけた99%の人達に写真を撮らせていただきました。ありがとうございました。
実は、一人だけ断られました。内心、無理だろうなと思いながら声をかけました。最初は「いいよ」と言っていただけたのですが、「あんこ猫と一緒に・・・」と切り出したら「ダメ」と。
その方、いつも港で笑顔で人々を迎えてくれる、あの制服を着たお方です。
今では大島のスーパーキャラとなったあんこ猫の立ち位置も当時はあまり確定してなくて、公務員が勤務中になんだかよくわからないフィギアと一緒に写真に写ったとなると不謹慎と思われたのかもしれません。
そういう意味で、あんこ猫と飛行機のツーショットも自主的にボツにしてます。
さて、この作品、どこまでやるかが一つの課題です。とりあえずは100人の笑顔を目指していたのですが、肝心の生みの親「エサシ」さんや、育ての親の「フジイ」さんとかの写真も撮ってないし、島の安全のため日々、尽くしていただいている消防署の方々とかも撮ってないです。
気力が戻れば、「あんこ猫に敬礼する消防署の方々」の写真を手始めに、さらに写真を撮り続けるかもしれません。その時は、どうぞ、東京都のお偉い役人の方々のご理解とご協力をいただきたいと思ってます。伊豆大島の公務員の方々は、気さくで優しくそしてまじめな庶民の強い味方です。
どうかお許しを。次の東京都知事さまへ。
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写真の基本は、自分が感動した景色なり、モノなり、人なり、いかに抽出して、それを共感してもらうかだ。よく、写真の教科書には、「写真は引き算」とある。
つまり、視野の中で、いらないものはどんどん引き算していく。背景などいらないものが写らないように撮影の角度を変えたり、望遠側や広角側に動かして思い通りのフレーミング(構図)を作る。
その究極の写真。黒バック。
撮り方は簡単で、黒い紙を花の背景にして写真を撮ればいい。
黒い紙の光の反射が起こらないようにすると、すっきりで、かつ、豪華な日本画のようなイメージの写真となる。(なので、なんのひねりもなくタイトルは(ゼイのきわみ))
なお、さらに日本画風にイメージを強めるため、金と黒の組み合わせも試行錯誤中。
インクジェットでは金色をだせないため、銀塩写真(アナログ)での出力など、種々の方法を試しています。
今回の展示は、その中の黒バックのもの。すっきりとした贅(脆?)の極みをご堪能ください。
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