漫画家・松本耳子の『毒親育ち』で、「毒親」の言葉と存在に初めて出会った
今年の夏の記録的な猛暑にダウン寸前となり、その一方では雨が降らないことに怒りすら感じた。お花やお野菜のために、雨よ降ってと願ったりしたものだ。そう無神論者であり、神様に祈った。そして今は、雨よそろそろ降るのを止めて、太陽よ顔を出してと祈っている。明日も雨、週末の金・土・日も雨の予報だ。
さて今日は最近読んだ漫画家・松本耳子の『毒親育ち』(扶桑社刊)の感想を書かせていただく。恥ずかしながら、私はこれまで「毒親」という言葉も存在も知らなかった。この本で、初めて出会った。
ネットで調べると、「毒になる親」とは、「虐待により子供の心に傷を負わせる親のことです。虐待には「『肉体的な虐待』、『精神的な虐待』、『性的な虐待』、『義務の放棄』などがあり、よく見逃されがちなのが、『精神的な虐待』です。心の虐待は子供の人格を破壊し、健康的で正常な心の成長を阻んでしまいます」とある。
また、「子どもの毒になる親の特徴」について、①子どもは親に恩があると思う、②子どもを所有物として扱う、③親子の会話が無い、④子どもの感情を抑えつける、⑤子どもの批判ばかりする、⑥子どものプライバシーを認めない、⑦子どもが考えたことを否定する。(獨協医大永井伸一名誉教授)」といった指摘もある。
私はこの本を読み進む中で、高機能広汎性発達障害(アスペルガー症候群・高機能自閉症)の方など生きにくい世の中であり、かつその周辺の方々も困難を余儀なくされていると、激しくブルーとなった。そして「毒親」に苦しんでいる方々も少なくないであろう。著者も書いているが、「一度きりの人生であり、誰もが輝いて生きることが出来る」、そんな世の中であって欲しいと願う。
そして同時に、雨が激しく降り続きかつ台風が接近している中で、被害の少ないことも心から願った。誰に、って。もちろん神様に。繰り返すが、私は無神論者だ。また今日も、今月1日に行った「瀬戸内国際芸術祭」のことを書けなかった。近い内に是非とも、アップをと考えている。