地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

ごあいさつ

いつも訪問してくれてありがとう。 「毎日が日曜日」の日々ですが、好奇心いっぱいに、ミーハー心を忘れず生きていく様や日々の思いを綴っていきたいと考えています。  是非とも、今後とも訪問をお願いします。また訪問していただいたら、足跡・コメントを残してくれたらなお嬉しいです(4桁の数字を半角小文字で入力忘れないでくださね)。 今後ともよろしくお願いします。

文春文庫

2013年09月05日 | 松たか子

 

松たか子が「文春文庫 秋の100冊」の広告キャラクターとして出演が決定!

 今テレビで松たか子の笑顔に会えるのは、「ヤマザキ」の食パン「ロイヤルブレッド」のCFだ。このCFが流れると、目はテレビに釘付けとなる。

 そんな松たか子が、今度は「文春文庫 秋の100冊」の広告キャラクターとして出演が決定したとのことだ。ポスター、ポップ、そして本の帯にも松たか子のステキな写真が使われる。早く書店に行かなければ。

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愛する伴侶

2013年09月05日 | 読書

 

『加賀乙彦と津村節子の対話 愛する伴侶を失って』を読んで過ごした午後

 このところ雨が降り続いて、週末も雨の予報だったが、やっと天気予報から雨マークが消えた。そして今日は久しぶりに太陽が顔を出してくれた。やっぱり晴れは嬉しい。秋物野菜のために、畑作業を再開しなければと夕方から2時間程頑張った。引き続いて、明日だ。草抜きも待っている。

 ところで一昨日・5日の午後、午前の畑作業に疲れスタバで本を読んで過ごした。今年の夏は記録的な猛暑であり、本を片手にカフェで過ごすことが多かった。その時は、どうしてもスイーツをお願いしてしまう。

 そんな「読書ルーム」で最近読んだ『加賀乙彦と津村節子の対話 愛する伴侶(ひと)を失って』(集英社刊)の感想をメモしておく。津村節子さんが夫・吉村昭さんの死を書いた名作『紅梅』(文藝春秋刊)を読んで以降、津村節子さんの最近の著作を結構読んでいる。

 

 そして対談相手の加賀乙彦さんは、翌日夫妻で旅行するという夜、突然パートナー(=奥さん)をお風呂でクモ膜下出血で亡くされている。そのお二人が「愛する伴侶(ひと)」を失った悲しみなどを語り合われている。私に「その時」がきた時には、どのような気持ちになるだろうかと、お二人の思いに心通わせながら読んだ。

 ところで、この対話の中で、津村節子さんが次のように語っている。「仕事を持っている女房というのは、もう最悪ですよ。だって本当だったら全身全霊で介護すべきでしょう。それが私は仕事を放り出せない。(中略)吉村の最後を介護できなかった悔いがずっと残っているんです」。

 そして、加賀乙彦さんの「もしその時に戻ったら…」との問いに、「仕事を辞めます。そうしてずっと吉村についています。そうしたかったです。取り返しがつかない悔いですよ」と応えている。

 加賀乙彦さんと突然のクモ膜下出血で永遠の別れをしたパートナーとは10歳近い年の差があり、自分が先にしむものと思っており、パートナーの突然の死に困惑したと語られている。

 私の場合でも、パートナーは心臓の三本の冠動脈の一本が詰まってしまっており、当然彼女が先に逝くものと思っている。しかし、先に逝かれてその悲しみとパートナーがいない暮らしに耐えられるだろうかと思ったりもする。しかしその一方では、私が先に逝き、彼女に残された悲しみを味合わせるのも切ないと思ったりもする。どちらが先なのかは、神のみぞ知ることなのだが。

 ところで、洗礼を受けクリスチャンの加賀乙彦さんは「140年も付き合いのある東京の菩提寺に埋葬を頼みに行くと、『何だ、耶蘇(やそ)になったんですか』と断られた」と語られている。津村節子さんも「吉村家の寺でも、建て替えの費用が払えない兄の家に対し、住職は『なら戒名を降格する』と言った」と話されている。今日の「日本の葬式仏教の姿」が、如実に語られている。

 ともあれどんな形で死を迎えるか、そしてどちらが先に永遠の旅立ちをするのかはわからない。それ故、ともあれは今を一生懸命、そして悔いなく生きることが大切だと考える。

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