21世紀中年

昭和オヤジのときめき、ひらめき、感激、嘆きを思いのままに書き連ねます

東京解体!で日本は変わる

2011-02-03 09:15:13 | 政治にモノ申す
 田舎から都知事選を傍観していて、感じることがある。マスコミは日本の縮図として注目しているようだが、違和感を覚える。はっきりいって東京は東京であって、日本ではないという印象がある。石原都知事の言動や政治のスタンスを見るとことさら感じる。独立国家のドンのごとく国政をこきおろし、地方を小馬鹿にし、言いたい放題やりたい放題である。都知事は王様といわんばかりだ。

 確かに地方交付税に頼らない分、国にへつらう必要はない。それだけでも、他の知事たちとは立場が違う。銀行を作り、失敗しても、くそくらえでやりたい放題、そんな都知事のイスは権力者志向の政治家にとっては魅力的な場所といえる。

 都民の意識はどうなのか。私は学生時代、少しの間、都民であった。でも、都民という意識は持っていなかった。気になるのは都政より、日本の政治、田舎の政治のほうだった。田舎から出てきた都民の多くは、都政に対し関心がない。だから、区議の存在も、都議の存在も知らない人が多い。かろうじて国会議員だけは知っている。それは全国共通の国政選挙だからだ。

 つまり、都政に無関心な都民を相手にやりたい放題なのが東京都の王様なのだ。

 そんな、王様のイスをめぐって、都知事選が動き始めている。共産党のメディア担当小池参議も名乗りを上げた。民主党は蓮ホウが出るのだろうか。ともかく、タレント的候補による派手な選挙戦が展開され、マスコミは国政と縁遠い都知事選を国政を占うと報道合戦を繰り広げる。

 もし、地方分権が確立し、地方も東京のように自立する立場になれば、どうなるか。たとえば公共事業である。これまでは、地方の公共事業を東京に本社を置く大手ゼネコンが落札し、東京に税金を落とし、都政を潤してきた。もし、地方が現地に法人格を置く会社にしか入札資格を与えないなどの施策を講じたらどうなるか。これまで、国の公共事業によって莫大な税金が自動的に東京都に落ちてきたシステムが壊れるとどうなるか。

 少なくとも今ほど東京都は裕福ではなくなるだろう。せめて、20年まえにそれをやっていたら、かなりの痛手だったかもしれないが、今は公共事業が激減してたいしたことはないのかもしれない。それでも、田舎はずいぶんと違う。

 政治を変えるということはこういうことではないのか。

 昔、東大解体という言葉が盛んに言われたことがあったが、まさに東京解体こそ今求められるべきだ。その手始めが地方分権だ。

 都知事選ショーが続く限り、日本は変わららないのだ。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする