21世紀中年

昭和オヤジのときめき、ひらめき、感激、嘆きを思いのままに書き連ねます

名古屋をストレスで潰すなかれ

2011-02-07 09:24:26 | 政治にモノ申す
 名古屋市長選、愛知県知事選で河村・大村コンビが圧勝した。マスコミを通じて発せられる評論家のコメントに注目したが、気になったのは結果を小泉改革と同様のデマゴギ―と冷笑する声だ。

 戦後日本は改革の明りが灯ると、必ずストレスが生じる。結果、改革は成就することなく元の状態に戻るか、あるいは跳ね返りでそれ以下の状態に陥る。そのストレスの最たるものが専門家、評論家の声ではなかろうか。

 河村流を独裁政治と酷評する声は多かった。にもかかわらず市民は期待した。しかし、そこに発生した熱をデマゴギ―と専門家、評論家は警戒を強める。朝日にコメントした山口二郎北大教授などは、鹿児島の阿久根市と同様と見ている。

 確かに小泉の構造改革は成就しなかった。なぜなのか。それは格差社会、弱肉強食といった競争社会の副産物にマスコミ、野党のみならず与党の政治家が敏感に反応し、電車から降りてしまったからだ。当然、世論はそうした流れに反発する力も期待も持ち合わせていなかった。

 小泉が唱えた構造改革が成就したとき日本がどう変わっていたかは分からない。想像はいくらでもできるが、結果は誰にも判らない。この国はいつもそうだ。結果を見届けようとはしない。言い換えれば変わる勇気がないのだ。だから、熱が上がると必ず、評論家や専門家が冷静を装い警鐘を鳴らす。そして、改革に必ず伴う痛みが生じた時、一気に不安が膨れ上がり、改革は頓挫し、ストレスで元に戻るかそれ以下に落ち込む。

 その意味では政権交代も同じ道を歩んでいる。もっとも、ストレスではなく内部崩壊による挫折といったほうがいいかもしれない。

 これから名古屋市議会の解散選挙が行われるが、河村に期待した市民には改革の結果を見届けることを期待したい。もちろん、このままつき進めば明らかに不幸になるという兆候が見えた時はストップをかけるのは当然だが、多少の痛みで動揺し挫折することだけはして欲しくない。特に河村市長には途中で投げ出す真似だけはしてほしくない。

 正直、河村流を100%理解し支持しているわけではないが、改革の意気込みは十分伝わってくる。

 名古屋が日本を変えた時、河村総理が誕生する。この先そんな場面を期待したい。



 

コメント
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