自由貿易と保護主義の間
今回のイタリアのバーリでのG7でも、常套句の「あらゆる保護主義に対抗」という文言は入りませんでした。
覇権国・基軸通貨国アメリカのトランプ大統領が「保護主義」を主張しているからということで、議論の末そうなったというより、何か「忖度」したような雰囲気もありそうです。
ここで、些か考えてみたいと思うのは、トランプ大統領の保護主義と、これまで主要な国際経済会議ではまさに常套句になっていた「反保護主義」と、本当に違うものだろうかという問題です。
マスコミは通常、「自由貿易」対「保護主義」という形で取り上げます。確かにその方が感覚的には解り易いということもあるでしょう。
しかし、それぞれの主張の中身に入ってみれば、実は、どうも本質的な違いではなく、「程度」や「進め方」の問題だということになるようです。
アメリカ自体、日本とは「日米自由貿易協定」を目指し、自動車や農産物の自由化問題を持ち出してくるだろうと言われています。日本では当然、関係省庁が身構えています。
こうした状況を、「自国には保護主義を、他国には自由貿易を」と言ってしまえば実も蓋もない話ですが、本当の所は、
・理想としての自由貿易を旗幟に掲げる主張
・まともに自由化したら勝ち負けがハッキリしすぎるから交渉しつつ漸進的に
という自由化の仕方、速度の違いでしょう。
勿論理想を掲げることは大事ですが、TPP のような多国間でも、FTAのような2国間でも、各国政府が一生懸命やっていることは、「自国の特定の産業の保護をどこまで認めてもらうか」ということがメインのようです。
これは当然で、その努力の成否に政権の維持や、国の産業構造の盛衰がかかっているからです。
自由競争(自由貿易)は競争の刺激によって、競争力の弱い産業の生産性を引き上げ、経済発展を進めるための重要の手段です。
国内競争だけでは往々にして甘くなるので、国際競争の中で、みんなが生産性向上に努力し、世界経済のより良い成長発展を目指そうというのに反対の国はないでしょう。
しかしスポーツ選手などと同じで、無理して鍛えることは禁物で、故障の原因にもなります。自分の体に合わせて、徐々に力をつけることが重要なのです。
「自由貿易」対「保護貿易」というのも、実はこの「スピードの差」という問題に尽きるのではないでしょうか。
今回のイタリアのバーリでのG7でも、常套句の「あらゆる保護主義に対抗」という文言は入りませんでした。
覇権国・基軸通貨国アメリカのトランプ大統領が「保護主義」を主張しているからということで、議論の末そうなったというより、何か「忖度」したような雰囲気もありそうです。
ここで、些か考えてみたいと思うのは、トランプ大統領の保護主義と、これまで主要な国際経済会議ではまさに常套句になっていた「反保護主義」と、本当に違うものだろうかという問題です。
マスコミは通常、「自由貿易」対「保護主義」という形で取り上げます。確かにその方が感覚的には解り易いということもあるでしょう。
しかし、それぞれの主張の中身に入ってみれば、実は、どうも本質的な違いではなく、「程度」や「進め方」の問題だということになるようです。
アメリカ自体、日本とは「日米自由貿易協定」を目指し、自動車や農産物の自由化問題を持ち出してくるだろうと言われています。日本では当然、関係省庁が身構えています。
こうした状況を、「自国には保護主義を、他国には自由貿易を」と言ってしまえば実も蓋もない話ですが、本当の所は、
・理想としての自由貿易を旗幟に掲げる主張
・まともに自由化したら勝ち負けがハッキリしすぎるから交渉しつつ漸進的に
という自由化の仕方、速度の違いでしょう。
勿論理想を掲げることは大事ですが、TPP のような多国間でも、FTAのような2国間でも、各国政府が一生懸命やっていることは、「自国の特定の産業の保護をどこまで認めてもらうか」ということがメインのようです。
これは当然で、その努力の成否に政権の維持や、国の産業構造の盛衰がかかっているからです。
自由競争(自由貿易)は競争の刺激によって、競争力の弱い産業の生産性を引き上げ、経済発展を進めるための重要の手段です。
国内競争だけでは往々にして甘くなるので、国際競争の中で、みんなが生産性向上に努力し、世界経済のより良い成長発展を目指そうというのに反対の国はないでしょう。
しかしスポーツ選手などと同じで、無理して鍛えることは禁物で、故障の原因にもなります。自分の体に合わせて、徐々に力をつけることが重要なのです。
「自由貿易」対「保護貿易」というのも、実はこの「スピードの差」という問題に尽きるのではないでしょうか。