日本国民のベクトルが同じ方向を向いていない?
日本の経済社会が何か混乱していて、社会の安定も、経済の成長も、こんなはずではないと思いながら、なかなかうまく進展しないようです。
今、多くの日本人はそんな感覚を持っているのではないでしょうか。
経済成長については、このブログでもずっと取り上げてきていますが、こんなに勤勉に働いているのに、どうも結果が出ない、達成できるはずの経済成長率に届かない、といった焦燥感が強いのではないでしょうか。
しかし、つぶさに見れば、日本経済の中にも、世界に向かって新しい展開を見せているところも沢山あります。
例えば、「こんなに料理番組ばかりやっていていいの」などと言われているうちに、日本食が無形文化遺産になり、日本中の料理がおいしくなって、国民も喜び、インバウンドも感嘆し、世界で日本食ブームが起き、ウイスキー、ワインから、和牛や銘柄米、更には日本の多様な食材や調味料まで輸出され、最近はみそ業界なども大変意欲的だそうです。
すでに世界を席巻した日本のアニメですが、痛ましい京都アニメーションの事件では世界各地から弔意や激励のメッセージが届き、その影響力の大きさを改めて知ることになりました。
日本人は、もともとかなりエネルギーレベルが高いのではないかと思っていますが、ジャパ二ーズクールや「かわいい」という文化なども含め、経済不振の中でも、文化的な面ではかなり世界に進出しているように感じています。
こうした面では、そうした産業を支える人々の意識、その力のベクトルがかなり一致し、その手応えがフィードバックされて、更なる動機づけになるという好循環が進化のエネルギーを支えているように思われます。
「力の平行四辺形」が証明しますように、ベクトルが同じ方向を向いているほど力は強くなります。全く同じ方向を向いていれば1+1は2になり、シナジー効果の理論も取り入れれば2以上の力が出ることもあり得るのでしょう。
そこで問題になるのが、最近流行りの「社会の分断」です、分断された社会ではベクトルの方向が一致しません。方向が逆であれ力ば相殺されてしまいますし、目的は同じでもベクトルの向きがずれていれば、ずれが大きいほど合成された力は弱くなります。
政治問題、経済問題、社会問題でもこの原理は同じでしょう。
反対勢力があり内戦をしているような国では進歩はないでしょうし、目的は似ていても、国民の中で方法論がばらばらであれば進む力はそれだけ減殺されます。
アメリカは「アメリカ・ファースト」で国論は分断されているようです。
日本でも、例えば、世界平和を目指す「改憲」でも意見はバラバラです。「一億総活躍」とぃっても活躍の概念は人さまざまです。「働き方改革」でも意見は大きく、欧米流の仕事中心か日本流の人間中心かでベクトルの向く方向は全く違います。
経済社会安定の基盤であるエネルギー政策でも、原発、石炭火力、再生可能エネルギーと全く違う方向を目指すベクトルが併存したままです。
今、日本にとって、何が最も重要かについても、国民の意見は全くバラバラでしょう。
国会での議論でも、モリ、カケ、桜と、国家目標とは無縁なところで噛み合わないベクトルがきしみ合い結果の出るはずもなく、時間切れで終わっています。
日々孜々として働く国民のベクトルの合成が何とかプラスの経済成長に繋がっていますが、方向のバラバラなベクトルでは、まさに国民の力(努力)の無駄遣いになっているのではないでしょうか。
こうなってしまう原因は、聖徳太子の 17条の憲法の第17条が、いまの日本の政治ではほとんど生かされていないことによるように感じています。
日本の経済社会が何か混乱していて、社会の安定も、経済の成長も、こんなはずではないと思いながら、なかなかうまく進展しないようです。
今、多くの日本人はそんな感覚を持っているのではないでしょうか。
経済成長については、このブログでもずっと取り上げてきていますが、こんなに勤勉に働いているのに、どうも結果が出ない、達成できるはずの経済成長率に届かない、といった焦燥感が強いのではないでしょうか。
しかし、つぶさに見れば、日本経済の中にも、世界に向かって新しい展開を見せているところも沢山あります。
例えば、「こんなに料理番組ばかりやっていていいの」などと言われているうちに、日本食が無形文化遺産になり、日本中の料理がおいしくなって、国民も喜び、インバウンドも感嘆し、世界で日本食ブームが起き、ウイスキー、ワインから、和牛や銘柄米、更には日本の多様な食材や調味料まで輸出され、最近はみそ業界なども大変意欲的だそうです。
すでに世界を席巻した日本のアニメですが、痛ましい京都アニメーションの事件では世界各地から弔意や激励のメッセージが届き、その影響力の大きさを改めて知ることになりました。
日本人は、もともとかなりエネルギーレベルが高いのではないかと思っていますが、ジャパ二ーズクールや「かわいい」という文化なども含め、経済不振の中でも、文化的な面ではかなり世界に進出しているように感じています。
こうした面では、そうした産業を支える人々の意識、その力のベクトルがかなり一致し、その手応えがフィードバックされて、更なる動機づけになるという好循環が進化のエネルギーを支えているように思われます。
「力の平行四辺形」が証明しますように、ベクトルが同じ方向を向いているほど力は強くなります。全く同じ方向を向いていれば1+1は2になり、シナジー効果の理論も取り入れれば2以上の力が出ることもあり得るのでしょう。
そこで問題になるのが、最近流行りの「社会の分断」です、分断された社会ではベクトルの方向が一致しません。方向が逆であれ力ば相殺されてしまいますし、目的は同じでもベクトルの向きがずれていれば、ずれが大きいほど合成された力は弱くなります。
政治問題、経済問題、社会問題でもこの原理は同じでしょう。
反対勢力があり内戦をしているような国では進歩はないでしょうし、目的は似ていても、国民の中で方法論がばらばらであれば進む力はそれだけ減殺されます。
アメリカは「アメリカ・ファースト」で国論は分断されているようです。
日本でも、例えば、世界平和を目指す「改憲」でも意見はバラバラです。「一億総活躍」とぃっても活躍の概念は人さまざまです。「働き方改革」でも意見は大きく、欧米流の仕事中心か日本流の人間中心かでベクトルの向く方向は全く違います。
経済社会安定の基盤であるエネルギー政策でも、原発、石炭火力、再生可能エネルギーと全く違う方向を目指すベクトルが併存したままです。
今、日本にとって、何が最も重要かについても、国民の意見は全くバラバラでしょう。
国会での議論でも、モリ、カケ、桜と、国家目標とは無縁なところで噛み合わないベクトルがきしみ合い結果の出るはずもなく、時間切れで終わっています。
日々孜々として働く国民のベクトルの合成が何とかプラスの経済成長に繋がっていますが、方向のバラバラなベクトルでは、まさに国民の力(努力)の無駄遣いになっているのではないでしょうか。
こうなってしまう原因は、聖徳太子の 17条の憲法の第17条が、いまの日本の政治ではほとんど生かされていないことによるように感じています。