tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

『ジャパンアズナンバーワン』とE.ボーゲル

2020年12月21日 22時45分59秒 | 経営
『ジャパンアズナンバーワン』とE.ボーゲル
 『ジャパンアズナンバーワン』-Japan as No.1:Lessons for America -の著者E.ボーゲル氏が亡くなりました。90歳だそうですから日本流にいえば「天寿全う」でしょうか。

 あの時期にあの本を書いてくれたことは日本にとって大変有難かったと思います。ちょうど日本がほぼ成熟に達し、低迷する欧米経済をしり目に、独走状態だった1979年ですから、日本にとっては勿論、アメリカにとってもインパクトはあったと思います。日本語訳は70万部も出たそうです。 

 経済・経営に関して、日本の特徴を意識して書かれたものは、J.アベグレンの「日本の経営」、P,ドラッカーの一連の著作などありますが、掉尾を飾ってくれたのが「ジャパンアズナンバーワン」でした。

しかしその後の日本を見ると、1980年代の後半からは、バブル経済となり、90年代からはバブル崩壊と円高デフレ不況に陥り経済成長はほとんどなくなり、残念ながら今に至っています。

 長期不況のせいでしょう、日本的経営はこのところ人気がないようで、最近は日本政府のやっていることも「働き方改革」をはじめ、日本的経営などはすっかり忘れてしまって、欧米流の仕事中心の考え方を推奨しているようです。

 しかし、ボーゲルは日本的経営の長所を確り見ています。もともと社会学者ですから、日本的経営が日本の文化や社会の在り方をベースに成り立っている事を確り見ています。

 特に企業が、人間中心経営の意識のもと、新卒で採用した人材を、いかに大事に育て、終身雇用で面倒を見ることが企業発展の大きな力となっている点をきちんと見ています。

 この点アメリカとは社会文化的背景が違いますから、Lessons for Americaといっても、勿論アメリが真似しろと言っているわけではありませんが、アメリカで開発されたQC(統計的品質管理)が、 日本の現場にどのように導入されたかといった点には十分注目していたようです。(のちにアメリカに逆輸入されシックスΣになっています)

 ボーゲルの慧眼に気づき、日本に対して恐怖心を懐いたアメリカが、「プラザ合意」で日本に円高を仕掛け、日本追い落としに成功したという「憶測」すら私は持っていますが、日本政府も日本の労使も、もう一度、日本の社会文化的背景と日本的経営につて、徹底した共同研究ぐらいやってほしいものだと思っています。

日本の国債が紙屑になる条件(9)暫定的な纏め

2020年12月21日 00時01分43秒 | 経済
日本の国債が紙屑になる条件(9)暫定的な纏め
 いくら国債を増発してもインフレにならず、国債の価値も安定しているというMMTがどこまで真実かという問題を追いかけ、では日本の国債も紙屑にならないのかを種々検討してみました。

 まず基本的なことを2つ挙げるとすれば、
① 基軸通貨国であればその可能性は在り得る。
② 経常収支が安定して黒字であればその可能性はあり得る。
という2つの条件が考えられます。したがって、基軸通貨国でない日本が経常収支赤字国に転落すれば、円と国債価格が暴落する可能性はある、MMTは成立しないと考えられます。したがって、日本では、国債紙屑の心配には、未だ少し間があるでしょうが、ないわけではないという事でしょう。

 その可能性の原因を探せば、
① 国債発行の無駄遣いが多く、日本経済の体質強化に役立っていない。
② 国民は次第に政府を信用しなくなり、日本経済の先行きに希望が持てなくなってくる。
③ 当然起きるべき政権交代が起きない。国民が野党を信頼出来る状態にない。
といった状態が続くと、次第にその可能性が強くなる。

 現象的には、国の将来を担う産業が海外へ移転し、国内には技術開発力も、産業・企業の現場力も失われていく。つまり産業の空洞化が進み、消費面の活況が持続的な経済発展と勘違いされ、インバウンドやIRの活況が残るような形になる。

 先ずこんな日本経済になり、弱った体質のどこかに国際投機資本が風穴を開け日本売り、円、国債大暴落が起きるという形でしょうか。

 結局、極めて常識的な誰もが考える日本没落のシナリオになってしまいました。
 そこまで真っ直ぐに行くだろうとは考えたくありませんし、日本はどこかで別のシナリオを歩くのだろうと思っていますが、この30年間の経済成長なしの経験に鑑みますと、起こり得ない事ではないとも思ったりします。

 現に、最近のように巨大な国債発行をして、カネの使い方を誤り、逆にコロナを酷くするようなことでは財政の乗数効果はマイナスで、明らかに失敗のシナリオです。
 国債発行で得た金は、世界に先駆けてワクチン開発をするような研究の資金、保健所や医療体制の早急な整備に使うべきだったのでしょう。
 旅行や飲み会はコロナが収まれば自然に元に戻るものなのです。政府がカネを掛ける必要は全くありません。

 今の政府のやり方では、国債発行は親が事業に失敗して子孫に借金を残すようなものです。数十兆カネが後世の役に立たずに消えていくのです。

 土光臨調の時から、子孫に借金を残すなと言われています。しかし国債は国民の資産でもあるはずです。これを資産にするためには、財政支出が新しい研究開発や、社会基盤、生活基盤の整備を促進し、将来のGDPを増やしていくような乗数効果を生んで初めて本当の価値ある資産ということになるのでしょう。
MMTの言うように「いつでも日銀券に代えてくれるのだから安全」というのは「金勘定の上」だけで、実体経済とは全く関係がない話なのです。
 
 最後に、この膨大な国債発行残高をどうするかという問題です。
 これは国債残高が発散するから問題なので、収斂する数列であれば問題ないでしょう。
 現状の日本は、税・社会保障負担率は低いが、税・社会保障負担という形で取らずに、借金(国債)という形で国民から借りているというのが現実です。

 いずれ借金で賄う方式から税金で取る方式にと政府も考えているのでしょう。それはそれでもいいのです。
 例えば。10兆円増税しても、國民の払う授業料や医療費負担が10兆円減ればチャラです。10兆円がGDPを成長させて、春闘で賃金が上がればそれでいいのです。
 問題は、政府が無駄遣いするから国債残高が発散するのです。

 政府の無駄遣いをなくすためには、政府と国民が本気で議論し、納得しあう場が必要です。国会は政治家だけですから、どうしても思考に偏りがあり、無理のようです。
 多分必要なのは、税を直接負担する家計と企業そして政府の話し合いの場でしょう。

 かつて「ジャパンアズナンバーワン」などといわれた日本には「産労懇」という、政府、労働組内、経営者団体が頻繁に話し合う組織がありました。

 今の「決める政府」は、勝手に自分たちで決めて、理由は嘘で固めたり、説明を拒否したりするような状態ですから、結局、国債残高の年々増える数列は発散し、「国債紙屑」に近づいて行くしか無いのではないでしょうか。 

 ここで再び引かなければならないのは、聖徳太子の17条の憲法の第17条です。
「夫事不可独断」(それ事は独りにて断ずべからず)と書いてあります。