tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

2つの昭和、何が同じで何が違うか

2021年08月14日 22時53分52秒 | 文化社会
明日は終戦記念日です。
1945年の8月15日、あの日、日本中が晴れて暑かった日、正午にラジオから終戦の詔勅(玉音放送)が流れて、国民は日本が戦争に負けたことを知りました。この日のことはかつてこのブログに書きました。

あの日を境にして、昭和は2つの時代に分かれています。同じ昭和ですが、中身は全く違います。
端的に言えば、あの日までは戦争遂行の昭和、そしてあの日からは平和を志向し、国民生活を豊かに・快適にする昭和です。

しかし、昭和の時代を生きたのは同じ日本人です。同じ日本人が、全く違った国造りに励んだのです。その結果、昭和は2つの時代にくっきりと分かれています。

昭和というのは昭和天皇の時代という事です。太平洋戦争の敗戦によって、神であり全軍を率いる大元帥であった昭和天皇は、日本国民の統合の象徴になりました。

もともと神や大元帥というのは陸軍を中心に軍部が作ったフィクションの役割を押し付けられたようなものですから、昭和天皇は、新憲法のもとでの「国民統合の象徴」の方がお好きで、その在り方を真剣に創られたように思っています。

この思いは国民もやはり同じだったと思っています。当時、国民学校6年生の私たちですら「青少年学徒隊員」の一員であり、敵を撃滅するために、御国に命を捧げることが生き甲斐という役割を徹底的に教えこまれていました。

しかし、1945年8月15日を境に、国に命を捧げることは不要と理解するにしたがって、自分の思うように生きられる、という全く新しい可能性に気づき、「生きる」という人間の本能が、忽ちにして脳幹から大脳皮質に伝わり、大脳が、新しい生き方の模索という思考体系を切りかえていったのでしょう。人生への考え方が全く変りました。この変換への違和感はあまりなかったように思っています。

しかし、実際に戦争を体験した人の場合は、自分の現実の行為の記憶が鮮明であればあるほど変換は大変だったと推察するところです。  
  
勿論個人により事情は異なるでしょう。しかし、大きく見れば、日本人は、戦争というフィクションを現実に組み込むようなリーダーに従う時代から、自分の生き方は自分で考えて選び取るという時代へ大きな変換を成し遂げたのです。

そしてこれは、基本的には人間の生命体としての本能が大きな役割を持っていたのだろうと私は考えています。
同時に、大脳の発達した人間にとって、誤った教育がいかに恐ろしいかを示すものではないかと考えています。(最近は、これには洗脳という言葉がよく使われます)

以上が私の感じている1945年8月15日を境として、昭和という時代がどう変わったかという部分だとご理解いただきたいと思います。

そして変わらなかった部分というのは何かという問題です。

これは縄文時代から培われた、多くのDNAが極東に吹き溜って、混血を重ね、あたかも純血種のようになった日本人、そしておそらく細長い日本列島の中で自然の優しさと恐ろしさを知悉し、真面目に、勤勉に生きる事がベストと考えて生きてきた日本人の特徴であるエネルギーレベルの高さではなかったかと考えています。

この点については明日、8月15日に譲りたいと思います。