皆さんご承知のように、ロシアも形は民主主義です。しかし現在は明らかに専制政治、プーチンの独裁です。
どうしてこういう事になるのでしょうか。
理由はいくつかあるように思います。まず第一に、長い間同じ人が政権についていると、その国の社会体制が、その一人の人の思い通りに作り変えられる可能性があるということでしょう。
第2には、国民の方が、何が良いか自分で考え、判断し行動するより、「良さそうな人」についていった方が安易で、楽な生き方が出来るだろうと考える事でしょう。
今のロシアは、実体的にプーチンが20年も政権を担当し、政党組織も、官僚組織も軍隊組織も、情報システムも、プーチンの思い通りになるよう作り変えられているようです。
今日のように、世界に同じ情報が同時に伝わる世界では・・・、と我われは考えますが、ロシアの国営放送は、ナチスドイツのようなヨーロッパ軍が攻め込んできているから、ロシアとしてはウクライナを助けなければならないといったことを多くの国民に信じさせているようです。
この情報化時代にと思いますが、在日のロシア人がロシア在住の母親に電話して、母親が頑なにそう信じて説得できないといったのが現実のようです。
真実を知っている人はデモをやっていますが、官僚組織、警察、軍隊は、プーチンの命令に絶対服従のシステムが出来上がっているのでしょう。逮捕、拘束の数は増えるばかりのようです。
今の国連を含む国際システムの下では、ロシアの始めた戦争は、ロシアがやめるしかないという事の様ですから、ウクライナの犠牲は増え続けることになるのです。
こうした悲劇が、何とか地球上から無くなるようにと多くの人が願っているのですが、それは容易ではありません。
考えてみれば、こんな大きな悲劇ではないにしても、そうした問題に「繋がるような事件や悲劇」は、アメリカでも日本でも起きているのではないでしょうか。
「繋がるような事件や悲劇」というのは、民主主義の中で、独裁的な動きから発生する異常な現象です。「アメリカや日本でも?」と訝る方もいらっしゃるでしょう。
未だ記憶に新しいと思いますが、トランプが大統領であった時期、トランプの「国会へ行こう」という一声で、トランプを支持するアメリカ市民が国会の窓ガラスを割って国会に乱入するといったことが起きています。
こんなことがなぜ起きるのか疑問がのこる中で、今年の中間選挙で、トランプの動きが心配されていることも事実でしょう。
日本ではと言いますと、安倍政権の時期、森友学園の問題で、自民党は勿論、日本の官僚組織も、徹底的に安倍擁護組織になり真実を覆い隠して、その反省もなく今に至っています。この問題では一人の命が失われています。
アメリカもそうですが、日本の場合には、情報はロシアと違って、国民に行き渡っています。しかし、与党の中にも、官僚の中にも、安倍批判の声は全く沈黙しています。恐ろしいことです。
こう見て来ますと、民主主義というのは、意外に脆い所のあるものではないでしょか。
もともと、民主主義というのは、政治家であろうと官僚であろうと一般市民であろうと、皆が(少なくとも半分以上)、人間としての正しい理解と判断が出来ないと、誤った方向に進む可能性があるということがその原因でしょう。
民主主義を使いこなすためには、まだまだ現代人は未熟なのでしょうか。
どうしてこういう事になるのでしょうか。
理由はいくつかあるように思います。まず第一に、長い間同じ人が政権についていると、その国の社会体制が、その一人の人の思い通りに作り変えられる可能性があるということでしょう。
第2には、国民の方が、何が良いか自分で考え、判断し行動するより、「良さそうな人」についていった方が安易で、楽な生き方が出来るだろうと考える事でしょう。
今のロシアは、実体的にプーチンが20年も政権を担当し、政党組織も、官僚組織も軍隊組織も、情報システムも、プーチンの思い通りになるよう作り変えられているようです。
今日のように、世界に同じ情報が同時に伝わる世界では・・・、と我われは考えますが、ロシアの国営放送は、ナチスドイツのようなヨーロッパ軍が攻め込んできているから、ロシアとしてはウクライナを助けなければならないといったことを多くの国民に信じさせているようです。
この情報化時代にと思いますが、在日のロシア人がロシア在住の母親に電話して、母親が頑なにそう信じて説得できないといったのが現実のようです。
真実を知っている人はデモをやっていますが、官僚組織、警察、軍隊は、プーチンの命令に絶対服従のシステムが出来上がっているのでしょう。逮捕、拘束の数は増えるばかりのようです。
今の国連を含む国際システムの下では、ロシアの始めた戦争は、ロシアがやめるしかないという事の様ですから、ウクライナの犠牲は増え続けることになるのです。
こうした悲劇が、何とか地球上から無くなるようにと多くの人が願っているのですが、それは容易ではありません。
考えてみれば、こんな大きな悲劇ではないにしても、そうした問題に「繋がるような事件や悲劇」は、アメリカでも日本でも起きているのではないでしょうか。
「繋がるような事件や悲劇」というのは、民主主義の中で、独裁的な動きから発生する異常な現象です。「アメリカや日本でも?」と訝る方もいらっしゃるでしょう。
未だ記憶に新しいと思いますが、トランプが大統領であった時期、トランプの「国会へ行こう」という一声で、トランプを支持するアメリカ市民が国会の窓ガラスを割って国会に乱入するといったことが起きています。
こんなことがなぜ起きるのか疑問がのこる中で、今年の中間選挙で、トランプの動きが心配されていることも事実でしょう。
日本ではと言いますと、安倍政権の時期、森友学園の問題で、自民党は勿論、日本の官僚組織も、徹底的に安倍擁護組織になり真実を覆い隠して、その反省もなく今に至っています。この問題では一人の命が失われています。
アメリカもそうですが、日本の場合には、情報はロシアと違って、国民に行き渡っています。しかし、与党の中にも、官僚の中にも、安倍批判の声は全く沈黙しています。恐ろしいことです。
こう見て来ますと、民主主義というのは、意外に脆い所のあるものではないでしょか。
もともと、民主主義というのは、政治家であろうと官僚であろうと一般市民であろうと、皆が(少なくとも半分以上)、人間としての正しい理解と判断が出来ないと、誤った方向に進む可能性があるということがその原因でしょう。
民主主義を使いこなすためには、まだまだ現代人は未熟なのでしょうか。