先日、古い友人に久しぶりで会って話をしているなかで、「イスラエルとパレスチナは酷い事になってしまって、世界中心配しているが、歴史から見れば、この問題には終わりはないんじゃないか」と言われました。
十字軍の歴史から、連綿と続くキリスト教とイスラム教の争いは、一旦終わっても、また何らかの形で再発するのではないかというのです。
それでも今の争いは早く終わってほしいねと言うしかないという事になりました。
そんな会話に触発されて少し考えてみました。
確かに宗教上の対立、抗争、紛争というのは、歴史的にみれば、いくらでもあります。キリスト教の中でさえも、カトリックとプロテスタントの争いには北アイルラアンド紛争の例もあるのです。
しかし、こうした宗教上の争いも次第に少なくなってきているというのが現実でしょう。キリスト教国とイスラム教でも、平和共存、協力し合っている例の方が多いのではないでしょうか。もちろん草の根どうしでは平和共存が通常でしょう。
その意味では人類は歴史から学び、人類社会の進歩・発展を阻害する紛争や戦争は次第に少なくなっていると言っていいでしょう。
それなのに、この所、なぜか対立、抗争、戦争が増えてきています。このブログでも時に触れますが、地域紛争が拡大し、第三次世界大戦になるのではないかという危惧すら感じられるようです。
勿論最大の問題はロシアとイスラエルと言えるのでしょうが、これは必ずしも宗教の問題ではなく自由圏と専制(独裁)国という思想上の問題でもあります。
この他にも、北朝鮮の韓国との対立、北朝鮮のウクライナへの派兵、アジアではさらにミャンマーのクーデターによる軍部独裁政権問題などもあります。
こうした問題発生に共通な要素を上げてみますと
・宗教や思想の対立
・独裁者(権力の個人への集中)の存在
・領土拡張(資源獲得)願望
の3つが重要な要素であることが知られます。
ただし、宗教や思想の対立だけでは戦争には発展しないでしょう。独裁者の存在だけでは内戦まででしょう。領土問題だけではせいぜい部分紛争程度まででしょう。
ところが、この3要素が揃った時はほぼ確実に戦争の可能性が大きくなるのではないでしょうか。
人類がみな地球上で平和裏に文化・社会の進歩・発展を謳歌していくためにはそれぞれの国がこの3要素が併存することが無いよう確り努力することが必要です。
この3つの要素が偶然に揃ってしまうといった事は多分起こりえないでしょう。起こるとすれば、それは国民の無関心、怠惰といった不徳が一般化する中で、ある程度の時間をかけて独裁者が生まれ、独際者の権力の浸透する中で残る2つの要素、宗教や思想の違い、領土の回復や拡大という対立を生む要素が、国民の中に次第に共通なものとして認識される退行現象が起きた時ではないでしょうか。そして、そのプロセスでは、独裁者によるメディアの支配が大きな役割を果たすのでしょう。
いま、世界には、このプロセスが進行している国もあるようです。それを阻止する役割の中心は国連でしょう。
具体的な例を1つ挙げてみましょう。国連憲章には「力による国境線等の変更は認められない」ということが明記されています(憲章2条4項)。
ロシアのウクライナ侵攻問題で、早晩この問題に関わる議論が起きるでしょう。その場合、国連は世界の支持を得て、憲章を貫徹しなければなりません。
それが貫徹されれば、前記3要素のうちの1つが亡くなるでしょう。当然その後戦争は大きく減少するでしょう。
加えて言えば、世界各国は、独裁者を生まない努力を徹底することです。独裁者が生まれるのには時間がかかります。ですから、国民の注意と努力によって、早期に気付き、独裁者が生れない国作りに、常に留意する必要があります。そして独裁者が生れなくなれば、人類社会に、たぶん、戦争はなくなるのではないでしょうか。