今日は同僚がわらび餅を買ってきてくれていたので一口二口よばれました。 家にかえってネットを歩いていたら朝日のこんな記事…。最近は広島でもあんまり見んよなあ。
でも若い人たちが車を引いて街角で売ってますなあ、なんかアンナを見ると統一教会かいなと思ってしまう僕でした。
いまや1台のみ 「まぼろし」のわらび餅屋台 福岡
「まぼろし」と呼ばれる流し屋台が残暑の中、福岡市の街角を巡っている。わらび餅を売る「博多一番太鼓」。かつては博多の夏の風物詩だったが、今では引き手は1人だけになった。歩くコースも一定でなく、なかなか出会えない「まぼろし」を、多くのファンが心待ちにしている。
JR博多駅そばのオフィス街。昼食時、チン、チリリーン……という年季の入った真鍮(しんちゅう)の鐘の音を響かせて、屋台が現れた。
屋台を引くのは長尾重明さん(61)。一角に止めると、すぐに会社員らの行列ができた。「鐘が聞こえたから、うれしくて走ってきた。なかなか会えないもんね」。女性(36)が息を切らしながら注文した。「わざといないわけじゃないんだけどね」と長尾さん。「待って~」と追いかけてくる客もいた。
定番は、わらび餅を2枚のもなかに挟んだもので、一つ100円。注文を受けて、一つずつ作る。氷で冷やした餅をお玉ですくってきな粉をまぶし、手際よくもなかに挟むと、できあがり。注文してから、「はいよ」と出てくるまで十数秒ほどの早業だ。「熱中症に気をつけて」と長尾さんを気遣う客や、注文の順番を譲り合う客もいて、屋台には、いつも和やかな空気が流れる。
福岡育ちの長尾さんは、この道20年。大工の仕事で生計を立てながら、夏場はわらび餅を売り、肌寒くなると焼き芋に切り替える。
わらび餅を作る店によると、博多一番太鼓の歴史は、40年以上前にさかのぼるという。当時はわらび餅の屋台が何台もあり、夏休みのプール帰りの子どもたちなどにとって、夏菓子の定番だった。
だが、引き手の高齢化が進み、屋台は年々減った。長尾さんをこの世界に誘ってくれた大先輩の手島理一郎さんも2年前に引退し、博多一番太鼓の引き手は長尾さんただ一人。「後継者が出てくれたらいいね」。仲間が増えたときのために、先輩たちの鐘はいまも大切にとってある。
売りは、なつかしさだけではない。「ここのを食べたら、ほかの店のは食べられない」と客が口々に言うように味も絶品だ。わらび粉の配合は、食感が良く、きな粉と絡みやすくなるように調整し、きな粉の原料となる大豆は香り高いものを選ぶ。汗をかきやすい夏場はきな粉の塩の配合を少し増やす気配りも。雨の日は、もなかが湿ってしまうため営業しないという。
各地の常連客を回るために、曜日ごとにコースは違う。重さ約150キロの屋台を引き、1日約30キロの道のりを行くのは重労働だ。車や歩行者にも神経を使う。それでも、車は使わない。「だって、屋台を引く風景まるごとで博多の文化やから」(柴田菜々子)