まあ、地元での支持は びっくりするくらい かつて 自治労の「闘士」(?)が 選挙だけはこのおっさんだ…いったのを聞いて「あほくさ」と思ったことがありました。
まあ、でもこんな記事を読んでみると、応援者がぎょうさん居ることがわかるような気がしますわなあ。
政治家よ、軽々しく使うな
■亀井静香さん=衆院議員
浪花節って、実にいいもんですよ。だけど隣近所に浪花節を聞いたらじんましんが出るという人ばかりが住んでいたら、その家のおやじは窓を開けて大声でうなるのは控えた方がいい。本人は気分がよくても、家族は近所付き合いせにゃいかんのだから。首相の靖国神社公式参拝の問題も同じ。首相が参拝するのは当然のことだけれども、隣国のことを考えて控えた方がいいというのが持論です。
とはいえ私は、安倍晋三首相の時、今年は正面から靖国神社にお参りした方がいいと伝言したことがある。隣近所が嫌がることは本来しない方がいいが、日本という家庭の中は今めちゃくちゃだ、と。自分勝手で、他人への思いやりや祖先に対する尊敬の念を失ってきている。もう近所付き合いを気にしている暇はない、おやじがこの際、家庭の中をしゃんとさせるために参拝するべきだ、と。
ただそれは襟を正して粛々とやればいいのであって、愛国という言葉をわざわざおっかぶせる必要はない。
尖閣諸島の問題もそうです。政府がやるべきことをやっていない状況が続いていたのだから、東京都が購入して実効支配を強めようとしたことは正しいと思いますよ。だけど、国が所有し、実効支配を明確にするとなった以上は、国に任せておけばいい。何も愛国を持ち出して騒ぎ立てることはない。
だって国を愛するというのは当たり前のことなんだから。自分たちの郷土を素晴らしいところにしていく努力をする、それが愛国。みんなが持っている感情で、いちいち取り立てて言うようなことじゃありませんよ。
当たり前のことが強調される時は、何かよこしまな意図がある場合が多い。戦前は、政府がやろうとすることの正当性や必要性をきちっと国民に説明し、理解を得る努力をしないで、愛国という、ある意味誰も抵抗できない言葉で正当化、美化し、人びとを戦争に駆り立てた。従わない人間に対しては「あいつは愛国心がない」なんて批判してね。愛国がそういうふうに使われてきた面があることを忘れちゃいかんと思います。
領土問題で隣国と先鋭的な対立が生じている今、政治家は、相手の国がこれまた短絡的に愛国を振りかざして極端な対応をとらないように、現実的、具体的な解決策を地道に探る努力をすべきでしょう。仲良くすることに勝る防衛はないんだから。
しかしそんな政治家はすっかりいなくなったね。簡単な言葉で酔っていく時代ですから。威勢のいいことを言っていれば国民が拍手してくれるし、マスコミも取り上げてくれる。それで一時の人気を得て、ダメになったらまた別の人間が同じようなことを繰り返す。まったく。賽(さい)の河原みたいなもんですよ。(聞き手・高橋純子)