価値の見分
恐らく巷を埋め尽くして そこに空間を創出している時間というものは 本質的に無機質で 最初から 与えられている価値などと云う概念は無いのだ。それぞれの思惑で あらゆる種類の姿と形で創造してゆく 常に新しいものの中に 各々の価値観に支えられた 時間というものが成立する。まさに個人的に。
価値ある有を
無価値でもあり
或いは
無尽蔵の価値あるものでもある
膨大なTOKIの空間
チャンスは誰にも等しく与えられて有る
さまざまの要因が複雑に絡み合って
一言で断言するには
些かの語弊も有るが
それでも
一生を包み込んでくれるTOKIの間に間は
基本的には
誰でもに分け隔てなく存在する
それを価値あるものに変換してゆくのか
その無尽蔵を
価値ある形に整形してゆくのか
或いは
無価値のままに放置しておくのか
偏に個人の力量に委ねられている
それは
希望というものの塊でもあり
容易く辛酸の源ともなりえる
全ての哲学者は
そのtokiを如何に生きるかを語り
全ての仏道の師は
生きる闘いで被った傷跡を慰める
それだからキミよアナタよ
我ら凡庸の俗人は
何も恐れることなく
tokiの間に間の無を果敢に切り開き
自らの力で掴み取った
価値ある有を紡いで
己が曼陀羅の編みこんでゆくのだ
それこそが
与えられたイノチを生きる生業nariwaiになる
03/13 06:51 万甫