降って来るもの

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Wedding-Anniversary.38

2019-03-17 05:03:12 | 日記

                             Wedding-Anniversary.38


 1981年の3/17、あの日からほんとうに月日は”矢のごとく”昨日へ過去へと傾れ去り、2019年の同じ日付の日曜の今日、愛でたく(兎に角その日を二人して迎えられた!!)38回目の結婚記念日を迎えることができた。

 3人の子供を授かり、子育てとそのことに付随する彼是に奔走した日々。僕は脇目も振らず生業に精励し、女房も生計を支えるためにともに働き共に子供たちと関わり二人で懸命に重ねた月日の事を、今では懐かしい面持ちで振り返ることができる。

 それと言うのも、3人の子供たちがそれぞれに選択した各々の良き伴侶に巡り会い、大過なく日日を送る現今の境遇を確立しているからに他ならない。僕らはそのお陰で7人の孫に巡り会った幸せな”爺じと婆ば”になれたのだ。

 その現状はまた、女房と二人して辿った道程が正しい選択だったと、そうして僕らが綯ってきた家族と云う一本の糸が、間違いなく太く強くしなやかに縒り合されているからに相違ないという些かの自負もある。

 一つの結び目から伸びる3本の糸。その結ぼれから生まれた7本の様様の糸が重なり撚り合され、そこに更なる光沢と強度と粘度を加えてゆく。何時でも其処に居る僕らの”原点”の結び目から、各々の虹彩に染め上げてゆくそれぞれの糸が、軈てその先にある豊饒の布となって拡がっていってくれるようにと願うばかりの、結婚記念日の日のこの早朝の感慨である。

 さてさて、この記念日の一日を如何に思い出に残る日にするか?何日も前から女房と二人して思案中なのだが、まだこれと言って決定的な過ごし方を見い出せないでいた。

 女房は去年、子や孫たちに囲まれて幸せな”還暦”を祝ってもらった。僕はと言えば、初夏の頃には”古来稀”なる一つの区切りに到達する。

 もはや30年前のように血が騒ぐ時代は過去のものになってしまったと改めて感じるのだが、ともあれその豊穣な年月で培った濃厚な意思疎通がメモリアルの一日の過ごし方をきっと指し示してくれると高を括っていたが、夕べお互いの想いが一致して急にスケジュールが確立された。

 大したことではないのだが、僕が希望する”串カツ”での昼餉と、クリントイーストウッドの映画「運び屋」を見ることに。何て細やかで慎ましやかな記念日の過ごし方だろうと自分でも思う。けれど、それこそが又、来た道と行く道の有り様とを暗示しているようにも感じる。

 どんなメモリアルな一日になるのか?書くほどのことに遭遇したら、何時かまた此処にUPすることもあるかも知れないと思う記念日の早朝である。

             結ばれし彼の日の宴まざまざと 三十八年 昨日の如し


    三人の子と七人の孫を得し 記念日祝う 串カツ屋にて


    日曜と重なりて記念日 映画観て 昼餉の席にグラス合わせる

                         2019-H31- 03/17  05:01 まんぼ

コメント (6)
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