アナタへ~糸は絲に~
親、兄弟姉妹、夫婦、そうして
三人の子と七人の孫と
断ち切れない血縁の契り以外に
僕が巡り会えた
恐らく
最も大切な縁の糸
糸は絲になり
人生を共に綾取ってくれる
今までも
きっと
此れからも
本然の天の惠のように・・
アナタへ~糸は絲に~
親、兄弟姉妹、夫婦、そうして
三人の子と七人の孫と
断ち切れない血縁の契り以外に
僕が巡り会えた
恐らく
最も大切な縁の糸
糸は絲になり
人生を共に綾取ってくれる
今までも
きっと
此れからも
本然の天の惠のように・・
鎮魂-あの夏の真夜-
今日は八月大晦日。僕の”鎮魂と祷りのAugust”が昨日へと、過去へと滞りなく流れてゆく。
昨日三十日は母の祥月命日だった。あの夏の悲嘆の真夜から既に十二年もの歳月が過ぎ去ったが、その真夜に僕たちに起こった出来事のことは、まるで昨夜のことにように鮮やかに思い出せるのだ。
真夜から夜明けまで母の傍に付き添って迎えたあの夏の最後の日曜日は、野党だった民主党が自民党に圧勝して初めて政権を握る歴史的な一日になる投票日の朝だった。
今年の夏と同じように、あの夏も炎暑や酷暑の文字が何度も使われた暑い熱い日々が続いた。
平成二十一年八月二十九日も焼けつくような陽射しが降り注ぐ一日だった。昼間の仕事を終え、公務員だった女房が帰るのを待って簡単に夕食を済ませ、それがもはや日課のように、脳内出血で倒れ、意識不明のまま入院中の母を見舞った。
女房と二人面会時間ギリギリの午後九時まで傍に居て、温かい手を握ったり痩せてきた足を摩ったり、或いはもしかしたら反応がと交互に耳元で励ましの声を掛け続けたりして過ごした。応答のない虚しさを胸いっぱいに抱きながら、それでも”じゃ又、明日も来るからね!”といつもと変わらぬ様子に安心して部屋を出て片道四十分かけて帰宅する。
風呂に入って一息つき、心身の疲れを癒すべく布団に潜りこんだのは午後十一時を少し回っていた。けれどその安寧は直ぐに粉々になる。緊急用にと知らせておいた女房の携帯が寝入りばなの枕元でけたたましく鳴り響いたのだ。
”脈搏が弱くなってきたので、直ぐに来て下さい!!”の連絡。僕らは休む間もなく踵を返し、駆けつけたのは最早日付の変わった三十日の00時20分。体はまだ温かかったけれど、母は最早この世から旅立った後だった。無言のまま一人で逝ってしまったのだ。
何時でも誰にでも”死”は予測不能。それは突然に現実となるもの。どんなに世話をし、何度願っても、今際の際に立ち合えなかった無念。あの真夜の事実が廻りくるたびに繰り返す切なさの上書き。命というものの避けがたい非情の最期、逝くものも残るものにも忘れ難く刻まれる日時。
山並の懐に抱かれて
母の眠る故郷は在る
この夏の晦日も、あの夏の息苦しさを想って故郷に眠る母に会いに行った。目を瞑って無になると、脳裏に一瞬閃光のように笑顔の母が顕った。
この炎夏も何事も無かったように過ぎてゆくのだろう。何処かの場所で、誰かの胸に、虚しさや切なさの種を蒔きながら・・。
2020 08/31 07:04 まんぼ