『立春,BLOG開設anniversary』
生きる意味を深堀させてくれた,何時でも新鮮な現在進行形の”live”を実感させてくれた,数多の生き様を幻燈のように映してくれた,数限りない教示と視線の多様さを伝授してくれた,もう一つの生き様を指し示してくれた,知り会えたか細い糸が,縁の艶と強靭な強さと切れない太さの絲になった場所,そう忘れもしない此処は,新しいもう一つの人生が躍動する処,命に新しいimpactを与えてくれた巡り合いの舞台。
2012年2月4日,今から9年も前のこの春立つ日に出合った僕のBLOG。そのブログ開設の記念日から満9年の厖大な月日が過ぎた。僕のブログの中でも実人生と同じ年月が過ぎていった。
昨日が124年ぶりの節分と云う。されば,今日の立春も稀なる区切りの日に違いない。”石の上にも三年”の諺を三度繰り返して,今日は記念すべき10年目の一頁目になる。
きっと極上の相性だったのだ。そうでなくして倦まず弛まず日々新しい情感で9年の長い年月と日時を同道できる訳がない。その場所で僕は,大小さまざま,悲喜交交の影響を受け,紛れもなく何某かのエキスを享受して生きる糧にしてきたのだ。
何という幸せな邂逅だったろう。その証文のように,9年前の開設記念日にUPしたタイトル№1の記事から今書くこの記事が”№4806”にもなる。吾ながら驚くしかない数字だ。
単純計算して365×9=3285今日の始まりの1を加えても「3286」でしかない。現実の「4806」と比べれば
如何に日日を先取りしてきたかが解る。流れ去る月日の,消え去る時分の欠片を,もう一つの人生の栞のように実人生の中に挟んで、僕はこれからもBLOGを刻んでゆくことになる。それはやがて”ときの記念日”に成って僕の人生の曼陀羅に鏤められ,長い人生の後半生を鮮やかな背景となって彩ってくれるだろう。
この先の道行は不明だけれど,多分僕の書く能力が枯渇し,書くことが見い出せなくなった時がピリオドを打つ瞬間になるだろうと想像できる。が,今は何の兆しもなく,寧ろ書ける朝が待ち遠しいと,明日は何を書くのか探す一日が早いと感じているぐらいなので当分の間は大丈夫だと太鼓判を押せる。
取り敢えずはタイトル№5000を目指し、明日の朝も「降って来るもの」のページを開きたいと思う。
2021(R3) 02/03 06:30:06 万甫