今日、3月1日はビキニ・デーです。1954年(昭和29年)、太平洋ビキニ環礁でマグロ漁船「第五福竜丸」が米の水爆実験により乗組員全員が被爆しました。広島、長崎に続き3度目の被爆者を出した日です。この日をビキニ・デーと呼び、今年も静岡県焼津市で、反核集会などが行われました。
段々、ビキニデーそのものが忘れられがちです。でも、今日の東京新聞の筆洗の欄(朝日新聞で言えば、天声人語の欄)に水爆実験のことなどを教訓的に書いていますので、転載します。
一九五四年の三月一日、太陽は西から昇ったかのように見えた。船員たちがそう錯覚するほど強烈な光が、ビキニ環礁で漁をしていた第五福竜丸から見えた。やがて甲板に、米国の水爆実験で出た死の灰が雪のように積もった
▼『ここが家だ』(集英社)は、米国の画家ベン・シャーンさんが第五福竜丸の悲劇を描いた一連の絵を使って、詩人のアーサー・ビナードさんがつくり上げた絵本だ
▼「原水爆の被害者は、俺たちで終わりにしてもらいたい」と言って死んでいった無線長の久保山愛吉さんの姿を、画家はこんな思いを込め描いたという。「亡くなる前、幼い娘を抱き上げた久保山さんは、わが子を抱き上げるすべての父親だ」
▼ビナードさんはその絵に詩をつけた。<ひとびとは わかってきた-ビキニの海も 日本の海も アメリカの海も ぜんぶ つながっていること。原水爆を どこで爆発させても みんなが まきこまれる。「久保山さんのことを わすれない」とひとびとは いった。けれど わすれるのを じっと まっている ひとたちもいる>
▼忘却を待つどころか、当時の日米両政府は国民の反核反米世論をかわすため、原子力の平和利用キャンペーンを巻き起こし原発建設にこぎ着けた。その延長線上に、福島の事故は起きた
▼いま一度、第五福竜丸の悲劇を思い起こしたい、六十年目の春だ。
私が特に注視したのは、最後の3行です。「平和利用」と「安全神話」の結果が福島の原発事故だったと思います。しかも、福島の事故の反省も収束のめどもないのに、安倍首相は「原発再稼働」を明言したのです。
ビキニデーに当たり、この事実を各々の方が考えてみて欲しいと思います。
段々、ビキニデーそのものが忘れられがちです。でも、今日の東京新聞の筆洗の欄(朝日新聞で言えば、天声人語の欄)に水爆実験のことなどを教訓的に書いていますので、転載します。
一九五四年の三月一日、太陽は西から昇ったかのように見えた。船員たちがそう錯覚するほど強烈な光が、ビキニ環礁で漁をしていた第五福竜丸から見えた。やがて甲板に、米国の水爆実験で出た死の灰が雪のように積もった
▼『ここが家だ』(集英社)は、米国の画家ベン・シャーンさんが第五福竜丸の悲劇を描いた一連の絵を使って、詩人のアーサー・ビナードさんがつくり上げた絵本だ
▼「原水爆の被害者は、俺たちで終わりにしてもらいたい」と言って死んでいった無線長の久保山愛吉さんの姿を、画家はこんな思いを込め描いたという。「亡くなる前、幼い娘を抱き上げた久保山さんは、わが子を抱き上げるすべての父親だ」
▼ビナードさんはその絵に詩をつけた。<ひとびとは わかってきた-ビキニの海も 日本の海も アメリカの海も ぜんぶ つながっていること。原水爆を どこで爆発させても みんなが まきこまれる。「久保山さんのことを わすれない」とひとびとは いった。けれど わすれるのを じっと まっている ひとたちもいる>
▼忘却を待つどころか、当時の日米両政府は国民の反核反米世論をかわすため、原子力の平和利用キャンペーンを巻き起こし原発建設にこぎ着けた。その延長線上に、福島の事故は起きた
▼いま一度、第五福竜丸の悲劇を思い起こしたい、六十年目の春だ。
私が特に注視したのは、最後の3行です。「平和利用」と「安全神話」の結果が福島の原発事故だったと思います。しかも、福島の事故の反省も収束のめどもないのに、安倍首相は「原発再稼働」を明言したのです。
ビキニデーに当たり、この事実を各々の方が考えてみて欲しいと思います。