囲碁きちの独り言 Ⅱ

趣味の旅行、うたごえ、囲碁の事や日常の出来事を記録する。

忘れまい、3・11   三陸への旅 2

2018-07-22 19:56:40 | 旅行

今回の旅行の目的のひとつに東日本大災害の現実と復興に学ぶことがありました。一日目に泊まった田野畑村の羅賀荘のそばには、津波石と共に、明治29年、昭和8年、そして7年前の津波被害の犠牲者の慰霊碑が並べて祀られてありました。

2日目は、宮古市田老町の災害の実態を学びました。町が造った防災学習のパンフの一部です。1時間かけて勉強しました。

被害の実態と防災現状を実際に見て、その後、津波遺構のたろう観光ホテルの5階で津波のビデオを見学しました。

田老町は三つの防潮堤が造られていました。しかし、7年前の津波に耐えられたのは第一防潮堤だけでした。しかし、その防潮堤を乗り越えて津波が町を飲み込みました。残った防潮堤の上でボランティアガイドの方から津波の状況と新たな防災・街造りの状況を説明してもらいました。

その後、津波に耐えて辛うじて残った、たろう観光ホテルの非常階段を登り、5階に行きました。

5階の部屋でホテルのオーナーが撮影した津波の状況の映像を見ました。そのすさまじさに誰もが言葉がありませんでした。

2日目に泊まったホテルの一室には被災前と被災後の町の状況を映した写真が展示していました。

私には、一つの入り江には必ず明治、昭和、平成の三つの慰霊碑があるのが三陸の現実だ と言うことが分かりました。

三陸縦断のバスの車窓からはどこも大規模な防潮堤や町造りの建設工事が行われ、ダンプカーが行きかっていました。海のそばに住みながら防潮堤に囲まれて暮らす住民には海が見えない状況です。

でも、街をコンクリートで固め、人間の力ずくで自然(津波)を封じ込んることが可能なのか、私には疑問も感じられました。それは逆に、陸前高田のかっての千本松原のような自然と折り合いをつけながら暮らそう との人間の知恵が失われて行きそうな気がするからです。

政治の現実を看れば、西日本の豪雨警報の中、宴会を開く自民党、豪雨被害の復旧が求められる時に、災害復旧よりカジノ法案をごり押しする自公政権に怒りさえ覚えました。フクシマの原発事故の終息もつかないのにオリンピックに国民を掻き立てる政権の姿勢を見るにつけ、複雑な心境になりました。

 

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2台のアコーディオン

2018-07-22 18:02:53 | アコーデイオン

友人の方からアコーディオンを貰いました。何故か、最近、立て続けに2台です。

いずれも、「老前整理」なのか? 身辺整理をする年齢になっているようです。

今回、もらったアコーディオンです。

エクセルシア303-S です。長いこと使わずにいたので、使えるようにするにはオーバーホールが必要です。ケースも新しくしなければいけません、

今月上旬にもらった別の品です。

同じくエクセルシア303ーS です。こちらも長いこと使っていなかったので、使うためには全面的な調整が必要です。

調整にどのくらいの費用がかかるかは、私にはわかりません。

もし希望の方がいれば無料で差し上げます。ご自分の負担で使えるようにしてください。

そんな方がおいでになりましたらご連絡いただきたいと思います。コメント欄に連絡方法を書き込んでください。

 

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体感した「山背」(ヤマセ)

2018-07-22 06:56:09 | 旅行

連れ合いと娘二人の4人で、旅行会社の「三陸縦走感動の3日間」なるツアー旅行に参加しました。この旅行で印象に残ったことは、 ① 山背 ② 3・11東日本大災害の記憶 ③ 病気に寄り添う心使い の三つでした。

体感した山背

新幹線で盛岡へ。盛岡からバスで久慈へ。三陸縦断の始まりです。

久慈から、やっと復興した北リアス線で「譜代」まで40分程乗りました。

ところが、電車に乗ると全線で海きりが発生す、眺望はまるでありませんでした。

 運転席のとなりから写した情景です。左が海岸線で海、右が山よりです。海岸線を走り素晴らしい眺望のはずですが何も見えません。運転手さんは眺望の良い所では、徐行したり、停止したりしながら説明してくれましたが、眺望のきかない天気に、説明する若い運転手さんが可愛そうでした。

譜代駅で下車、バスで断崖の景勝地 北山崎に行きましたが、勿論こちらも眺望 ゼロ。ビジターセンターでスクリーンで鑑賞した景色です

 

北山﨑の断崖の景勝も海霧でほとんど見られず、写真はビジターセンターのスクリーンです。

予定した鵜の巣断崖などを海上から見る観光船も欠航となりました。

田野畑村のホテルに泊まりました。

翌朝、ウニ漁が始まると言うので朝4時には起きました。ホテル6階の部屋から見た小さな港です。

霧の中、漁民が働き出していました。4時半に合図の音があり、みなさん漁に出かけました。

港は霧の中、沖は全く見えません。漁に出ない船、出てもすぐ帰ってくる舟など様々でした。

6時ころ帰ってきた舟です。右が改定をのぞく箱眼鏡? 左が獲れたウニです。

あまり漁にならなかったようです。

私の駄句  ウニ求め霧に消えゆくサッパ舟

この日は、浄土ヶ浜に行きました。浄土ヶ浜のレストハウスで昼食でした。

昼食後、浄土が浜の遊覧船に乗る予定でしたが、こちらも霧のため欠航でした。二日続きの欠航にがっかりしました。

岩手入りしてから関東の高温が嘘のように、最高気温が23℃と涼しく、夜もクーラーを使わず、ぐっすり眠ることおができました。

これが、ヤマセだと思い、山背を初めて体感しました。こんな日が長く続くと稲が育たず、さらに長引くと凶作や飢きんをもたらす山背だと実感しました。

やませ

春から夏にかけ、冷たく湿った東よりの風が北日本の太平洋側に流れ込む現象で、低い雲や霧がかかり、気温が低くなる。県南ではやませの影響で農作物が冷害にあうことが多く、しばしば凶作が引き起こされた。このため、冷害に左右されにくいゴボウやナガイモ、ニンニクなどの生産が盛んになった。

(2018-01-03 朝日新聞 朝刊 青森全県・1地方)

 

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