今日の東京新聞の「あけくれ」と言う読者の投稿欄の記事です。
87歳の船山さんが終の棲家となるかもしれない老人施設に入所した日のことを書いています。まさに、他人ごとではありません。
私の家でも97歳になった母親を昨年6月、特養施設に入所してもらいました。入所の日、母親も船山さんと同じような心境だったと思います。
「老後は家族と暮らせると考えていた。施設は人ごと思っていた。」と思います。でも、残念ながら本人の身体能力が衰え、介護を担う人が難病になり、「老々介護」で支えきれなくなっての特養への入所でした。
「今は入りたくても入れない人が多い。」壁を乗り越えて、やっと入所させてもらいました。
そんな母親を不憫と思い、ほぼ毎日のように施設に会いに行っています。今日も午前中、2時間近くおしゃべりをしてきました。
でも、母親の問題だ とばかり思っていられない、もう一つの現実があります。
母親は98歳になりました。その子の私は、80歳になりました。母親のことと同じように自分自身の終の棲家を考えざるを得ない年齢になりました。何とか自分で動けるうちは良いのですが、いつ病院を転々とする身体になるか わかりません。
船山さんの「終着駅」の一文を読み、そういえば「終着駅は始発駅だ」と思いつきました。そんなことを思いながら、家族と自分の将来を考えた一日でした。