能率技師のメモ帳 経済産業大臣登録中小企業診断士・特定社会保険労務士の備忘録

マネジメント理論、経営理論を世のため人のために役立てるために

吉田松陰先生のお墓に墓参 世田谷・松陰神社 身はたとひ、武蔵の野辺にくちぬとも とどめ置かまし大和魂

2013年04月29日 | まち歩き

ゴールデンウィーク・・・祝日の並びの悪さ、スポットで入った仕事などで遠出が難しく、読書三昧の黄金週間の前半です。


今日は、松陰神社に参拝。

毎朝の自学自習勉強タイムの中に組み込まれている松陰先生の書籍の素読。

もう10年以上続けています。

松陰神社は、世田谷区の東急世田谷線の松陰神社前徒歩3分。

駅を降りて、松陰神社に向かう道沿いの街灯には、松陰門下の高杉晋作、久坂玄瑞、山田顕義などの解説文が掲示してあり、それらを読みながら神社に向かいます。

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吉田松陰(1830~1859)は、江戸末期の山鹿流兵法、長沼流兵法のスペシャリスト。

若き日から藩校明倫館教授、藩、幕府における様々な事件や関係性の中から、萩松本村に松下村塾を主催。

江戸幕末から明治にかけて表舞台で活躍した幾多の人材を輩出します。

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この松下村塾、開設されていたのは1856年8月から1858年のわずか2年半。

門下生は、90名程度だったとのことです。

松陰先生の指導は、やさしく厳しく、塾生一人ひとりに着目した文字通り親身な教育だったようです。


松下村塾の教育方針は、3つ。

1.君臣の義・・・武士道、正しい道を体得する

2.華夷の弁・・・日本と外国の違いをしっかり認識する

3.奇傑非常の人・・・すぐれた人材を産みだす


日本の教育界において、これだけ短期間で有能な人材を輩出した教育機関はなかったように思います。

若者のモチベーションを高め、必要な知識や考え方を移植し、行動、実践を重んじる・・・。

まさに日本の陽明学の起点ということができるのではないでしょうか?


松陰神社内には、松下村塾のレプリカが再現されています。

萩のものとほぼ同じ。

萩の松下村塾は敷地面積が広いため、農村である旧松本村の片隅にこじんまりと存在した感じが伝わってきますが、

世田谷のレプリカは狭い敷地の中に窮屈そうに立っています。

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神社に参拝。そ

の後、松陰先生のお墓に墓参。

周りには、江戸末期に時代を動かした長州藩士のお墓が立っていました。

松陰先生は、わずか30歳で刑死。

先生の意志を継ぎ、現場に身を投じた志士も、その多くが20歳台で命を落としています。

その志、国を何とかしようという行動力・・・そのエネルギーはどこから出てきたのでしょうか?


お墓の前で松陰先生の歌を口ずさみました。


「身はたとひ、武蔵の野辺にくちぬとも とどめ置かまし大和魂」


「かくすればかくなるものとしりながら、やむにやまれぬやまとだましい」


今、死後となりつつある大和魂。

グルーバル時代の今だからこそ、日本人として、心に刻まなければならないと思った次第です。

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