「能率技師って何ですか?」という質問をよく受けます。
能率技師とは、今で言う経営コンサルタントのことです。
日本の元祖「能率技師」は、上野陽一先生(1883年~1957年)。
「能率(マネジメント)の父」と呼ばれています。
小職が、憧れ、尊敬するロールモデルです。
今から100年前のこと。
それまで、経験・勘・度胸、成り行きまかせだった日本の実業界、産業界にサイエンスを持ち込みました。
フレドリック・テーラーの「科学的管理法」にインスパイアされ、渡米。
テーラーの愛弟子ギルブレスに師事、当時米国で最新のマネジメント理論を日本に輸入。
経営や工場、店舗、人材育成にサイエンスを持ちこみました。
1983年 東京にて出生 父の関係で長崎へ転居
1908年 苦学の末、東京帝国大学文学部を卒業 専攻は心理学
1909年 「実験心理学講義」出版
1910年 「心理学通儀」出版 ベストセラーになる
1919年 早稲田大学にて広告心理学を教授 ライオン歯磨き(小林商店)広告部長と知り合う
1920年 ライオン歯磨き(小林商店)工場にて能率研究指導→日本初の有料マネジメントコンサルティング
1920年 中山太陽堂、福助足袋などでの能率指導
1921年 大阪造幣局での能率指導
1925年 日本産業能率研究所創設 初代所長に就任
1929年 白木屋を指導 日本発の商業コンサルテーション
1939年 能率ハンドブック出版
1942年 日本能率学校設立
1947年 内閣行政調査部顧問に就任 人事院人事官に就任
1951年 人事官を任期満了で退官。産業能率短期大学学長に就任
1955年 インド政府の洪水予防、動力開発業務指導のためコンサルタントとして国連要請を受けインドへ向かう
1957年 逝去
上野陽一先生は、「能率の父」と呼ばれています。
今で言うマルチタレント学者で、7つの顔を持っています。
心理学者としての顔、ベストセラー作家としての顔、翻訳者としての顔、能率技師としての顔、教育者としての顔、学校創設者としての顔、人事院人事官としての顔、リベラリストとしての顔という7つの顔です。
彼がいなければ、日本のマネジメント、経営が欧米に追いつくのに、もっと時間がかかったのではないかと考えています。
大学院では、「上野陽一研究」というテーマで4万字にわたる修士論文を仕上げました。
「能率」「能率技師」については、追って書かせていただきたいと思っています。