能率技師のメモ帳 経済産業大臣登録中小企業診断士・特定社会保険労務士の備忘録

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広島平和記念公園の被爆建物レストハウスがリニューアル・・・決して忘れてはいけない75年前の無差別大殺戮

2020年07月26日 | まち歩き

2020年7月、広島平和記念公園の被爆建物レストハウスがリニューアルオープンしました。

レストハウスは、1929年、大正屋呉服店として建設。
中島地区は、当時、広島市最大の歓楽街でした。
広島の女性が集まるオシャレスポットだったようです。
渋谷の109のような感じだったんでしようね。

当時、瓦屋根の木造家屋が建ち並ぶ中で、鉄筋コンクリート造のモダンな外観は中島本町のシンボルとなる建物。


爆心地から170mにあった建物は、原爆により屋根が押しつぶされ、内部も破損、地下室を除いて全焼。
爆心地の近くでありながら爆心地側に開口部のほとんどない強固な建物だったためか、基本的形態はとどめました。

平和記念公園の建設に伴い、取り壊すかどうかの議論があったそうですが、1957年に広島市が買収し、東部復興事務所として市の東部地域の復興の拠点となりました。
1982年、平和記念公園レストハウスとして整備され、公園の憩いの場となりました。

そして、このたびのリニューアル工事の完成。
平和公園の中で被爆前の面影を残す唯一の建物・・・被爆建物として存続できて本当に良かったと思います。


1階は、観光ショップ
2階は、カフェ・・・被爆ピアノも置かれています。


3階は、中島地区の歴史
当時の中島本町は、中四国地方最大の繁華街でした。
映画館やカフェ、飲食店、銀行や商店・・・すごい賑わいだったようです。

元安川の左岸にあるのが産業奨励館・・・原爆ドームです。

米国軍の大型爆撃機B29「エノラゲイ」は、T字型をしている橋・相生橋をターゲットにして原子爆弾を投下しました。

地下1階

一般市民、軍人ではない女性や学生やこどもたちも含めて無差別に殺戮する・・・。
教科書にも書かれていませんが、これは明らかに国際法違反だと思います。
一発の原子爆弾により広島市で14万人、長崎市で7万人が無差別に殺戮されました。
その中には、朝鮮半島やアジア諸国出身の人たちや米国軍の捕虜などもおり、瞬時に殺されてしまいました。
本当に無念だったと思います。

アングロ・サクソン民族は、徹底的に相手を叩きのめします。
「そこまで、やるか」というくらい・・・です。
イラク戦争などでも、大量破壊兵器を所有しているという言いがかりで、フセインを拉致するまで、徹底的に壊滅作戦を展開しました。


日本であれば、武士道にも通じる「武士の情け」があり、ひれ伏した相手に対して、とどめを刺すことは卑怯であるという「恥」の文化があります。
1945年8月の大日本帝国・・・敗戦は確実、ひれ伏した状態でした。

しかしながら、今でも米国では、原爆の使用で戦争が早く終わった、米国兵士の命を救った・・・という考え方のが主流たそうです。

今でも世界中には、無数の原子爆弾、水素爆弾、ミサイルがある・・・。

そして、地雷や毒ガス、ウイルス生物兵器などが隠されていると言われています。

あの日から75年を迎える広島の街・・・。
リニューアルされたレストハウスに、ぜひお立ち寄りください。


日本人にとって「水と安全はタダ」・・・世の中には見えない価値があります。

同じように最も重要である「平和とはに何か?」ということを体感していただけると思います。


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