沖縄への旅。
華やかなリゾートや美しいビーチだけではありません。
今回は、沖縄の歴史を辿る旅も目的の一つです。
先の大戦で沖縄県民が受けた傷・・・言葉では表せないくらいの悲惨さがあります。
昭和20年、軍病院に召集された沖縄の女子学生。
1945年3月に召集命令。
全員10歳代の女性です。
多くは、軍の病院の補助として駆り出され、迫りくる米軍の中で必死に働きます・・・。
1945年5月に撤退命令。
1945年6月18日に解散命令が出されます。
地下壕の中でそのまま耐えるのか、戦火の中そとに飛びだして逃げるのか、青酸カリや手りゅう弾で自決するのか・・・。
もう絶望しかない世界です。
200名以上の女子学生が亡くなりました・・・。
解散命令が、あと1週間早ければ100名以上の女子学生が助かっていたはずです。
日本の軍隊の身勝手さ、希薄化する武士道、大和魂・・・本当に酷く悲しいことです。
資料館は、当時女子学生が通っていた女学校をモチーフにして造られたそうです。
ひめゆり平和祈念資料館では、生き延びられたひめゆり部隊の女性が、「たまたま手元に青酸カリや手りゅう弾がなかったから生き延びることが出来た」「道端の泥水を飲みながら命を支えた」といった証言をされていました。
言葉では表せないくらいの衝撃を受けました。
広島と長崎の原爆資料館、知覧の特攻資料館、東京大空襲の資料施設、そしてひめゆりの塔・・・。
日本人として、永遠に語り継がれなければならないと思います。
広島は一発の原爆で14万人、長崎では7万人、東京大空襲では10万人の人たちが虐殺されました。
沖縄県では、国内唯一の地上戦で20万人が殺されました。
軍人よりも沖縄県民の死者が多いそうです。
大東亜戦争では300万人を超える日本人が死亡したと言われています。
沖縄県ではその10分の1に近い方たちが亡くなりました。
今でも狭い沖縄県(面積は全国の0.6%)に米軍基地の7割が集中しているという事実があります。
ひめゆりの塔で黙とうしてきました。
とりあえず戦後78年間戦争をせず、とりあえず平和を維持しているわが国・日本。
本当にありがたいことだと思います。
でも世界では、ウクライナやガザでの戦争、虐殺が現在進行形で行われています。
国連安保理や米国でも止めることが出来ません。
人類は、どこまで愚かなのか・・・。
人類の英知を信じるしかありません。
戦争は、絶対に止めなければなりません。
決して起こしてはなりません。
ひめゆり学徒たちに誓って、帰路につきました。